[携帯モード] [URL送信]

*tales of…*
across the Milky Way(幼少エステル)
【across the Milky Way】


 何に限らず読んでいた本を閉じると、それは意識の外が現実世界へと切り替わるスイッチになる。そして決まりの行動パターンのように細く長いため息を一つ吐く。
 エステリーゼは自分の興味のままに借りてきた本のタイトルをまじまじと見つめた。なめし革の表紙に金字で“銀河と外宇宙”と真ん中に書かれている。新しい分野の知識は、感じた通りエステリーゼの感性にクリーンヒットしていて、読んでも読んでも飽きることがない。なのに、何故エステリーゼの小さな手は本の中ほどに栞を挟んで閉じてしまったのかというと、やはり新分野の知識の一つ一つを噛み砕き、理解し、吸収するまでの工程が、まだ幼いエステリーゼには容易ではなかったからだ。
 要するに、面白いが少し疲れてしまったということ。
 背伸びをしてから立ち上がる。ずいぶんと長い時間椅子に座っていたので若干背中が痛い。
 広すぎる部屋を横断して窓に近付くと、いつもそうしているようにぼうっと外を眺めた。結界魔導器の片輪は今日も白く淡い光を放ちながらくるくると回る。その仕組みがどうなっているかなんてエステリーゼには皆目見当もつかないが、そんなこと不思議だともなんとも思わない。エステリーゼが物心ついた頃からある変わらない景色は、今更“何故だろう”なんて疑問を抱くようなものではない。だから、興味も何も湧いてこない。
 エステリーゼの小さな顎が、くいと上がる。エメラルドブルーの瞳は蒼穹を映していた。
「青い……」
 千切れた雲を漂わせた空。空が何故青いのか。以前に読んだ文献でその知識を吸収したが、それを知ったにしても不思議である。エステリーゼの興味は俄然こちらであった。あんなに綺麗で澄んだ青を自然が作れるなんて、世界というものはなんて凄いのだろう!
 出たい。ここから。
 見たい。直に。
 触れたい。この手で。
 エステリーゼの小さな手が宙にさ迷って、空を触ろうとしたけれど無論叶わず、硬質なガラスに阻まれた。まるで“お前にはこの先ずっと無理だ”と、冷たく嘲笑われているかのようだった。
 翳り、伏せられようとしていたエステリーゼの目蓋。
「えっ!?」
 それが、突如として見開かれる。
 何かが窓の外を横切った気がしたのだ。
「なに……?」
 もしかしたら長時間活字ばかり見ていたので目が疲れていたのかもしれない。それでもエステリーゼは目を凝らして窓の外の風景を凝視してみた。
「あ!」
 やっぱり。横切った。というより、飛んできた。小石だ。小石が下から飛んできた。飛んできた方向を見る。少年の姿が見えた。どこから入ってきたのか、ザーフィアス城の敷地内に、明らかに貴族ではないなりの少年がいる。その服装からして下町の子だろう。
 少年は石を拾うと、また投げた。石の飛んでいった方をみる。エステリーゼの私室のすぐ近くにある木の、茂った葉の中へ吸い込まれる。緑葉が何枚か、はらはらと舞い落ちていった。
 もう一つ、飛んできた。その木に鳥の巣があったらしく、親鳥が慌てて飛び去っていく。
「なんてひどいこと……!」
 何故そんなことをするのだろう。何故、誰も来ないのだろう。エステリーゼは私室を出た。扉の前の騎士に事情を話すと、騎士は了承して駆けていく。私室に戻り再び窓の外を見ると、騎士に引きずられながら何かを叫んでいる少年の姿が見えた。

 翌日。
 その日も本を閉じる。“銀河と外宇宙”は十頁ほど読み進んで栞を挟んだ。そしてエステリーゼは窓際に立つ。いつものようにぼうっと外を眺めていると、また、目の前を何かが通り過ぎていった。飛んできた方向を見ると、なんと昨日の少年がまたいた。昨日と同じように木に向かって小石を投げる。
「どうして……」
 一体何をしているのだろう。エステリーゼの胸に少年の行動への疑問と、鳥の巣へ小石をぶつける理不尽さへの遺憾が沸き上がる。すぐに踵を返し、騎士へと伝えた。少年はまたもや、引きずられていった。

 翌々日。
 “銀河と外宇宙”はそれほど読み進めることが出来なかった。少年のことが気になっていたからだ。実は三十分おきに窓の外を見ている。だけど、今日は姿を見せない。騎士が徘徊しているのもあってか少年の姿も小石の影も、何も見えなかった。

 また次の日。
 “銀河と外宇宙”の文章を見つめながらもエステリーゼは別のことを考えていた。
 少年のことだ。何故こんなにも気になるのだろう。鳥の巣に石をぶつけるなんてひどいことをしていたのに。だけど、騎士に引きずられていった時の少年の必死に何かを叫んでいた表情や、その後怪我をしなかっただろうかとか、妙に色んなことが気になってしまうのだ。
 ――そういえば一昨日は、前の日にしてなかった絆創膏を頬に貼っていた……。
 駄目だ。とても本に集中出来ない。パタンと本を閉じ、窓際に立つ。結界魔導器の背景は澄み切った青空ではなく、灰色の雲。雨がしとしとと降っていた。
 水滴が窓を伝い落ちる。それにエステリーゼは触れることは出来ない。隔たれた世界。まるで今読んでいる銀河と外宇宙のようだと感じてしまう。すぐ外にある、全く別の世界。エステリーゼには触れることの出来ない世界。
「わたしは……」
 その時、何かがエステリーゼの眼前を過ぎった。小石だ。下方を見ると、いた。例の少年だ。
「あの子!」
 黒髪の、質素な服の、やや鋭い目つきの、エステリーゼより歳三つほど上の、少年。
 真剣な目で小石を投げていた。それも、雨のせいでずぶ濡れになりながら。
「風邪ひいちゃう……!」
 食い入るように見つめていると、やがて騎士が徘徊にきたのをエステリーゼは見つけた。少年も気付いた様子で小石を投げる手をぴたりと止めた。
 その時だ。
「!」
 少年と目が合った。合ってしまった。眦のあがった目でこちらを見た。
「あ……」
 戸惑った表情で目線を外せないでいると、少年はエステリーゼを睨み付けてから、ぷいと顔を背けてそのまま走って行ってしまった。
 エステリーゼは立ち尽くすしかなかった。

 そして、その次の日。
 “銀河と外宇宙”に今日は触れることもせず、エステリーゼは例の定位置に立っていた。窓に手をつけて、食い入るように下方を見つめる。例の少年がいた。少年が何故小石を投げるのか、その理由が分かったのだ。
 エステリーゼの眼前を小石が過ぎる。緑葉を揺らし、落とした。揺れた拍子に見えた。巣がある位置の、きらきらとした輝きを。鳥が飛び出した。親鳥ではない。招かれざる、別の種類の鳥。その黒い嘴に加えた、宝石のようなもの。
 以前、文献で読んだことがあった。全体が真っ黒い羽毛で覆われた黒一色の鳥。きらきらと光るものを好み、収集する習性があると。
「取り返そうとしているんだわ……」
 きっと、大切な宝物なのだろう。だから、毎日毎日通ってきていたのだ。危険を顧みず、捕まって引きずられても必死に叫んで抵抗しながら。
「わたし……」
 少しだけ、胸のあたりがちくりと痛んだ。騎士に二回も言いつけたのは、自分だ。
 少年は何度も何度も小石を投げる。よほど、大切なものなのだろう。
「頑張って」
 そう呟いたのと、小石をぶつけられた黒い鳥が宝石のような物をぽろりと落としたのとが、同時だった。少年はそれをすかさずキャッチする。その時に、少年の背後から近付いてくる騎士の姿があることに、エステリーゼは気付いた。少年はどうやら気付いていない。
「後ろ、ああ……!」
 騎士もまた、少年の存在に気が付いていない。しかし被我の距離は徐々に狭まってゆき、少年が捕まってしまうのはもはや時間の問題。
 エステリーゼは窓にあてていた手をきゅっと拳にすると、渾身の力で嵌め殺しの窓ガラスを叩いた。がんがんがん、と硬い場違いな音が昼下がりの穏やかな一室にて響く。少年と騎士とが怪訝そうな目でこちらを見た。騎士の口が“エステリーゼ様?”と動く。恐らくその声で騎士の存在に気付いたのだろう少年は、急いで駆けていった。少年の小さくなってゆく背中に安堵を感じながらも騎士の視線が気まずくて、エステリーゼは引きつり笑いを浮かべながら、とりあえずひらひらと手を振っておいた。

 “銀河と外宇宙”の文字を目で追いながらエステリーゼは考える。宇宙は全て繋がっているのだという。しかし、そこへ行くには幾多の障害があり現代ではそれを越えて宇宙へと昇る方法は見つかっていない。すぐ隣にあるのに。すぐそばにあるのに。なのに行く術もなく無理だと人間は諦め、自分達の世界で生きていく。
 それも仕方のないことなのだろうか。
 こんな、宇宙から見たらちっぽけ過ぎる城からも出られない自分のように――。
 ふう、と一つため息を吐く。その瞬間、窓を何かがコツンと叩いた。鳥でもぶつかったのだろうか。不思議に思いつつも視線は本の活字へと戻す。意識も戻し再び読み進めようとした時にまた、カツンと何かがぶつかった。
 “何か”。そう、まるで小石が窓にぶつかったかのような――。
「!!」
 勢いよく立ち上がり、読みかけの本もそのままに窓に飛びついた。
「あっ!」
 やはり。あの時の少年だった。宝石を取り戻したはずの彼が何故またここにいるのかはさっぱり分からないが、とりあえず周りに騎士の姿も見えず、エステリーゼは少年を見下ろした。
 小石を拾い、窓に向かって振りかぶったポーズで少年はエステリーゼを見た。二人の視線が交差する。
「あ、あ……」
 言葉にならない声の欠片がエステリーゼの喉から零れてガラスに阻まれて跳ね返ってくる。
 何かを伝えなくては。いや、伝えたい。なのに、何をどうすればいいのか分からない。
 少年もまた、何かを伝えようとしていた。エステリーゼの目を見て、エステリーゼに向かって、口に手を当てて、何かを呼びかけていた。何て言っているのか勿論聞こえないし分からない。だけど不思議とエステリーゼはこの少年が優しいことを言ってくれているような気がしたのだ。根拠はないけれど。
 だからエステリーゼは、微笑んだ。少年に対してただ優しい気持ちで、ふわりと笑んだ。すると、少年の方も白い歯を見せて、ニッと笑った。それは紛れもなく、エステリーゼだけに向けられた笑みだった。
「……!!」
 嬉しくて、嬉しくて仕方がない。こんな、城から出たことのない自分が、下町の少年と意識を共有出来たなんて。じわじわと湧き上がる名前の付けられない気持ち。胸の辺りを押さえるようにぎゅっと手を組む。
 少年は、またパクパクと何かを言うと足早にその場を去っていく。エステリーゼはその背が見えなくなるまで見送った。
 エステリーゼは知らなかった。
 盗まれた宝石が少年の物でなく彼の仲間の物で、彼が仲間の為に危険を冒して城に侵入していたことも、少年が今日また来たのはエステリーゼに逃がしてもらった礼を言う為だったことも、また、その少年がガラスの外で叫んでいた、“助けてくれてサンキューな!”という言葉も。
 エステリーゼは何も知らなかった。そして、この少年がもうここに来ることもないだろうことも。
 それでも彼女の胸は温かかった。とても満たされていた。
 世界は繋がっている。阻まれてなんかいない。
 見たい。
 触れたい。
 感じたい。
 それはきっと、不可能なんかじゃない。
「いつか……きっと……!」
 諦めではなく重要なのはきっと希望。胸を満たす温かかなものを両手で大切にしまい込んで、エステリーゼはまた、“銀河と外宇宙”の世界へと戻っていった。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

幼いエステルがユーリとすでに出会っていたら素敵だな、と思って(個人的に私が)書きました。

有り得ない話ではないですよね。同じ帝都に二人はいるんですもんね(何に対しての言い訳)。


[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!