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*tales of…*
high risk high return
【high risk high return】


 始めてその施しを受けた時、フレンは驚きに戸惑ったものだった。一つは、そのあまりの清浄さに。そしてもう一つは、術を施してくれた人物に。人前で術を使ってはいけないのだということを打ち明けてくれた彼女は、内緒ですよ、と人差し指を唇に当て、まるで悪戯を隠す子どものように微笑んだのだった。
 そして今は、またあの時から何一つとして変わらない清浄な光に包まれながら、しかしフレンの胸中は後悔の念で苛まれていた。
 “こんなもん唾でもつけときゃ治る”というのは、もはや怪我をした時の下町の合い言葉だ。よほどの怪我でもない限り下町の人間なんかが治癒術士の治療など受けられるはずがない。否、むしろよほどの怪我でも難しいかもしれない。ただでさえ貧しい下町の民には、城下の治癒術士の馬鹿高い治療費が払えないのだ。故に下町には怪我をすると治癒術で治すという概念がない。
 もちろん下町出身ながら騎士団の小隊長まで昇りつめたフレンほどの男がファーストエイドといった初級治癒術を覚えていない訳がないのだが、ただの訓練中のかすり傷程度わざわざ術を使って治すこともないだろうと軽く見ていたのが、今回また裏目に出てしまった。
「すみません……いえ、ありがとうございます。エステリーゼ様」
 折角治療してもらっているのに謝るのも何だか違うような気がして礼を述べると、次期皇帝候補の姫君はふわりと微笑んでみせた。
「いいえ。でも……その、私がフレンを治療したこと、内緒ですからね」
 フレンは胸中でこっそりと溜め息を吐く。自分が横着などせずにかすり傷を治療してさえいれば、エステリーゼに術を使わせなくて済んだのに。幸いにしてザーフィアス城の広すぎる敷地内はいつものように閑散としており、フレンと遭うまでエステリーゼに衝いていた兵士は、その役目をフレンに譲りその場を辞している。かと言って“内緒”である治癒術を使わせてしまった事実は否めない。
 自己嫌悪に陥りながらも、ある考えが脳裏に過ぎる。同じ過ちを繰り返すほど、自分は馬鹿ではないつもりだ。それが、ザーフィアス城に自室を頂いてから数回目の過ちと後悔。もしかすると――。
 ――僕はエステリーゼ様にこうして治癒していただけることを楽しみにしている……?
「……っ!」
 唇を噛みしめ、自分を恥じた。
 たかが騎士団の小隊長風情が身の程知らずにも程がある。散々貴族に言われてきた嫌いな言葉で自分自身を責めなければならないとはなんという皮肉だろう。けれども、そうでもしないと姫と自分とのこの距離感。恥ずかしすぎて今にも逃げ出したくなってしまう。
 間近にある顔をこっそりと盗み見る。その視線の先は、患部であるフレンの腕に注がれている。睫毛の長い目。白い肌。ほんのりと薄桃色の頬。整った鼻筋。形の良い唇。気付けば見入ってしまっている。認めることを拒絶しても分かってしまう。理解してしまう。本当は気付いている。
 自分はやはり、この方に会えることを楽しみにしているのだということを。
「はい。終わりましたよ」
「ありがとうございます」
「どうですか?」
 見つめるエステリーゼの前で腕を三回ほど振ってみせた。
「調子いいです」
「良かったです」
 言ってエステリーゼはにこりと微笑む。それを見た自分の頬がわずかに赤らんでいくのを拳を握り締めることで制しながら、フレンは訊ねた。
「あの、エステリーゼ様。これからどちらへ?」
 先ほどまで衝いていた兵士が居なくなったからには、自分が護衛を務め衝いていかねばならない。しかし、フレンの質問に答えることなく何か思い出した顔つきで、あ、と言うと、その顔はみるみるうちに嬉しそうなものへと変わっていった。
「今日はフレンに良いものがあるんですよ!」
「良いもの、ですか?」
「ええ」
 フレンは今頃になってようやくそれがそこにあることに気付いた。白い、紙包み。膝に乗せていたそれを両手で持ち上げ、フレンに見せるとゆっくりと包みを剥がしてゆく。
「お菓子はお好きです?」
 甘い匂いと共に現れたのはたくさんの小さな焼菓子。これほどまでに上品ではないが、下町にいた頃はフレンも食べたことはあった。
「クッキーですか?」
「はい。昨日食べたものがあまりにも美味しくて、コックに我が儘を言って作り方を教えてもらったんです」
「ご自分で作ったのですか?」
「ええ。お一ついかがです?」
 一つ摘み口へ運ぶ。想像していた通りに甘く、想像していた以上に優しかった。作り方を教えてくれと言われたからといって作業の全行程を姫に任せるとも思えず、大部分にコックの手が入っているのだとは思うが、それでもフレンにとっては数年ぶりとも思えるほどの優しい味だった。
「美味しい、です」
 素直に感想を口にすると、エステリーゼは嬉しそうな、はにかんだような笑顔を見せた。その笑顔はあまりにも美しく、それでいてあまりに無垢だった。
 自分とは違いすぎる、身分、感じ方、そして世界。嫌味な貴族などにわざわざ言われなくても痛感出来る。庶民と貴族、騎士団小隊長と次期皇帝候補。軽々しく会話をしてはいけない相手。
 それでも自分は恐らく、否、確実にこの方との接触を求めてしまっているのだ。どんなリスクを侵したとしても。
「エステリーゼ様、そろそろ……んぐっ?!」
 エステリーゼの白く細い指が離れてゆくのが見えた。遅れてやってくる甘さ。
「もう一つ、いかがです?」
 ただクッキーをくわえたまま目を丸くするしか出来ない。早く去らなければいずれ誰かがやってくるだろう。自分がどんなに言われようが構わないがエステリーゼにまで巻き添えを喰わせるわけにはいかない。
 けれど、この場所は心地良くて、この空気は温かかった。
 顔が熱いのは自分の甘さに恥じているからか。それともエステリーゼに食べさせられたクッキーの甘さを今頃自覚したからだろうか。
「……美味しい、です」
 辛うじてそれだけを言うとエステリーゼは微笑んで、内緒ですよ、と言った。
 その瞬間、フレンは思った。
 どんなリスクも受け入れよう、と。





ここまで読んでくださってありがとうございます。

フレンが小隊長になったばかりの頃、ら辺です。ユーリが辞めた後も貴族やら政治やらに堪え続けて小隊長の地位に就いたフレン。下町の希望と言われて慕う人も多いけど、城や騎士団の中ではきっと敵の方が多かったはず。そんなフレンの唯一心癒せる場がエステルだったらいい。

エステルも読書と剣術訓練ばかりの日々でフレンに時々会えることを楽しみにしてたらいい。

もっとこの二人特有のほのぼのほんわかしたものが書きたいです。



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あきゅろす。
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