*tales of…*
trial action(セネル×クロエ)/微ネタバレ有。
ごめんなさい。ごめんなさい…。
【trial action】
「…っわ!!」
踝の辺りに絡まる海水に身体ごと総てを持って行かれそうな気がして、クロエ・ヴァレンスは慌てて後ずさった。
まだ少し早い動悸を落ち着かせる為に、胸に手を当てて、荒く浅い呼吸を繰返す。
──やはり駄目か…。
ここなら誰にも見られる事もないだろうし、大丈夫だと思ったのだが。それとも、自分の中の恐怖心を拭い去らない限り無理なのだろうか。
──水なんて、もう怖くないつもりなんだがな。
雨が平気だと思える様になれた様に。しかし頭では平気だと思っていても、体はまだ拒否している様だ。
情けない。“アイツ”は何でもないかの様にスイスイ泳いでいるというのに。
「クロエ…?何してるんだ、こんな所で」
背後から聞こえた声に、クロエはぎくりとした。振り返る事もせず立尽くす。冷や汗が一筋だけ頬を流れた。
振り返らなくても誰が自分の後ろにいるのかは彼女にとって明白だった。
それが、今一番会いたくない、“アイツ”だという事は。
「…それで、静かの蒼我か?」
呆れた様なセネル・クーリッジの物言いにクロエは、眼鏡にオレンジ服の中年オヤジを頭に浮かべながら、“あ、今の言い方、レイナードみたいだな…”と、場違いな感想を抱いた。
“静かの蒼我”。開かずの灯台の遥か地下に位置する壮大な海に、もう一つの蒼我はあった。
これを発見した時には、この光景が信じ難く、また、感動に胸を震わせたものだった。
今はもうすっかり馴染みとなった海岸沿いに、クロエとセネルは腰を降ろしていた。
波が足元まで伸びては引いてを繰返す。まるで誘っているみたいだなと、クロエは感じた。
「何でこんな所で泳ぎの練習なんてしてたんだよ」
どこか怒った様な彼の言い方に、打寄せる波をぼーっと眺めていたクロエは意識を戻した。
「いや、ここなら誰も来ないかなと思って…」
親に叱られた子供が言い訳をする際そうなる様に、クロエの語尾は段々と自信なさげに弱まっていく。
クロエは騎士だ。なかなか腕も立つし、生立ちはどうあれ、一応家も由緒正しい騎士の家柄だった。
そんな彼女の弱点。それは、彼女がカナヅチだという事だった。
今までは剣の道に泳ぎなど必要無い、という事でだましだましやってこれた。しかし、これまでの遺跡船での旅で、彼女のこの弱点が露見する場面が幾時かあったのだ。
今のところ、弱点に気付いているのは隣りに座るクーリッジ、それに情報屋の少年ジェイ。後、トレジャーハンターの少女ノーマだ。うぅ、結構バレている。
自分にこんな弱点がある事を、もうこれ以上他人に知られる事があってはならない。だから克服したいと思うのだ。
そして少なくともクロエは、こういう努力を人に見せる様な少女ではなかった。剣の修行でも何でも、夜中にこっそりと行ってきた。基本的に自分の弱い部分を見せる事を極端に嫌う性格だったのかもしれない。
「俺が言ってるのはそういう事じゃない!」
急に語気を荒らげたセネルに驚き、クロエは彼を見やった。
少なくともセネルに対して好く思っている彼女からしてみれば、そんなセネルが自分に対して怒っている事が酷く恐ろしかった。
また彼の怒りの原因も判らずにただ、訳が分からないという表情でセネルを見つめる事しか出来なかった。
全く判っていない様子のクロエを焦れったく思ったのか、それとも別の理由からか。セネルはクロエから、ふいと顔を逸らす。
そんな彼にどうにも納得がいかなくて、それならどういう事なんだと、クロエはもちろん反論した。
「もし溺れたらどうする気だったんだよっ!!」
返ってきたのは、怒りの中にも僅かに哀しさを滲ませた、セネルの碧の瞳だった。
この瞳をクロエは知っている。
遥か昔。クロエが騎士に成る前。まだクロエの母親が生きていた頃。
“こんな時間までどこに行ってたの?!”
名のある騎士の家系であるヴァレンス家に門限など無い。何故なら自らの自由で外出というものが出来ないからだ。
その日部屋の窓越しに見つけてしまった迷い犬の飼い主を探し回り、ようやく探し当てた頃には月が昇り始めていた。
あの時の母の瞳を、クロエは忘れる事は無い。
心から心配した目。それを見た時、クロエは母にしがみつき何度も何度も謝ったのだ。その幼い双眸に涙を溜めながら。
そして彼女は誓った。二度と心配はかけまいと。
なのに、今こうしてまた自分の大切な人があの時の様な瞳で自分を見つめている。
「す…、すまない。悪かった…」
「クロエ…」
しばらくずっと波へと視線を預けていたセネルが先程とはまるで変わった口調で口を開く。しばらく沈黙が続き、波に何かあるのかとクロエはセネルから波に視線を移す。
「海は逃げたりしない。…俺も」
だから落ち着けと。急ぐ必要なんて無いのだと、彼は言う。
それだけで今の彼女には十分だった。
心配するのは大切に思っている事の証拠だ。だからクロエには十分過ぎる言葉だった。
「マリントルーパー並には泳げる様にしてやるさ」
そんな自分が想像出来ずに思わず胸中で苦笑してしまう。
「ああ。宜しく頼む」
苦笑はいつの間にか柔らかい笑みとなってクロエの頬に浮かんでいたのだった。
【END】
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