*tales of…*
standardbear(エステル→ユーリ)
【standardbear】
一度目を冷ますと目が冴えてしまって眠れない。深夜のザーフィアス城は少しだけ肌寒く、そして、夕刻から夜半まで続いた宴の喧騒や賑やかさが、まるで夢であったかのように、今はとても静かだった。
夢なんかじゃない。
エステルは、夜のザーフィアス城をゆっくりと、噛みしめるように歩く。眠ってしまうのが勿体なかった。自分の足で、再びこのお城の廊下を歩けるなんて、思ってもみなかった。いや、そもそもこうして生きていられるとも思ってはいなかった。
自分の満月の子としての力が始祖の隷長を殺し、それをアレクセイに利用され、エアルを乱し、その影響で凶暴化した動植物が人びとを危険な目に遭わせ、それどころか助けに来てくれた仲間にまでさえ剣を向け、傷付けてしまった。
そんな自分が今、こうして、生きている。
エステルの瞳に翳りが差す。
自分が傷付けた人達にどう償えばいいのか。
自分の力にどう責任を取ればいいのか。
胸が押し潰されそうになる。それでも終わらせて欲しいと願いながらも生きたいと思ったのは自分の意思。それを叶えてくれた仲間に、エステルは深く感謝する。
何処へともなく歩いていく。住み慣れた、見慣れた筈の環境が、新鮮で嬉しかった。開け放たれた部屋の数々。普段居る筈のない下町の住民たちが、宿舎に居る筈の騎士たちが、酔い潰れては眠っている。宴の余韻が、そこかしこで見られた。避難してきた住民に、それを誘導した騎士たち。ザーフィアス解放、エステリーゼ帰還、身分を越えて嬉しさを分かち合えた事実が、エステルの顔に笑みを浮かべさせた。
エステルの足が、一つの部屋の前で止まった。意図していたわけではない。無意識ではあったけれど、ここへ来てしまった。ドアをそっと開ける。自分でも大胆なことをしていることは承知の上だった。中を除いてみる。足を踏み入れた。
静かだった。だけど、規則正しい寝息が、エステルの耳朶を打った。
カロルがベッドの上で四肢を放り出し、大の字になって気持ち良さそうに眠っていた。エステルは苦笑しながら、足元にずり落ちている毛布を、少年の腹にかけてやった。
隣のベッドにユーリが寝ていた。彼にしては珍しく、エステルの気配にも気付くことなく、寝入っているらしい。無理もなかった。エステルを今日、救出するまで、きっとかなりの無理をしたに違いなかった。
エステルはユーリのそばに立ち、その寝顔を見つめた。
ザーフィアスに来る道中で、彼が仲間の誰にも告げずに一人だけで来ようとしていたことを、カロルから聞いた。エステルは、彼に自分を殺して欲しいと告げたことを思い出す。
ユーリは決断の出来る人だ。ラゴウやキュモールの時も、そしてベリウスやドンの時も――。大事な時にその決を下すことの出来る人だ。それも、決して私利私欲の為でなく、多くの為。だから、きっと自分のことも終わらせてくれると思っていた。誰かに終わらせてもらえるなら、彼が良いと思っていた。
しかし、それはエステルの自分勝手な願望なのだと悟った。ユーリが一人で行こうとしていたことを聞いて、自分がどれほど彼を思い悩ませていたのかを深く反省した。仲間を何より大切にする彼が、エステルをその手にかけることでどれほどの傷を負わせることになるのかなんて、考えなくても分かるのに。
エステルは胸元で両手をぎゅっと握りしめた。
――……ごめんなさい。
心の中で、呟いた。
それから、小さくかぶりを振った。
――ありがとう……。
模索してくれていた。助けようとしてくれていた。記憶は途切れ途切れだけれど、黄昏時のザーフィアス城の階で、戸惑う仲間たちを背に、一人手にした剣でエステルを迎え撃ってくれた彼は、何度も何度も、エステルに呼び掛けてくれた。苦しく辛い状況から、エステルをすぐに楽にしてくれる訳でなく、正気が戻るという保証もないのに、それでも彼は必死に、エステルに言葉を掛け続けてくれたのだ。
――助けてくれて、ありがとう。
静かに眠る青年を、エステルはじっと見つめる。
――ユーリ。
青年は目を覚ますことなく眠り続ける。
その腕が、宙に解き放たれたエステルをしっかりと抱きとめてくれた。
力強い感触を思い出して、エステルの心臓が跳ねる。押さえつけるように両手を握りしめる力を強める。
「ユーリ」
声に出すと、一層胸の高鳴りが大きくなった。切なくて、苦しくなって、エステルはわずかに腰を折った。
彼の端正な顔が、間近にあった。
そこからは無意識だった。
暗がりに深く落ち着いた色合いとなった、エステルのピンク色の髪の毛がユーリの顔を隠してしまうと、その場の時が一瞬の間だけ、止まった。
「!!」
唇を押さえて立ちすくむ。
――わたし……!?
恥ずかしくて、顔が燃えそうに熱かった。
それでも青年が起き出すことはなく、安堵して、エステルはそっと部屋を後にする。
明日はエステルにとって、仲間たちにとって、各々の思惑を乗せた決戦だ。出発の時は近づいている。それまで体を休ませなければならない。
ドアに向かって自分を助けてくれた仲間たちにもう一度深く一礼すると、今度こそ、本当に自身の自室へと向かった。
再び二人だけとなった部屋は、相変わらずの静けさだった。カロルが、何か寝言を呟きながら、寝返りをうった。腹にかかった毛布がずり落ちた。
その様子をユーリの紫紺色の瞳が見つめていた。グローブをはめた左手が持ち上がり、握られた拳が唇を押さえた。
「なんだってんだ、一体……」
低く呟く声はカロルの寝息に掻き消される。その声も、ユーリの乱れた心音も、エステルに届くことはなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ザウデに行く前夜。おかえりただいまの後にこんなことあったらいいななんて有り得ない妄想。
声が聞こえた辺りで兄貴覚醒→狸寝入り。
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