[携帯モード] [URL送信]

*tales of…*
mere shadow

【mere shadow】


「おかえり、ジュード」
 その言葉にジュードは目を丸くして、きょとんとしてしまう。その反応が予想外だったのか、今度は逆にミラが不思議そうにジュードを見つめた。
「どうした? 私は何かおかしなことを言ったのか?」
 立ち尽くすジュードに少しだけ居心地が悪そうにミラはそう言った。その声にようやく我に返ると、慌てて手を振った。なんでもないよと返す。ミラは、そうか、と言いつつもまだ怪訝そうではあったが、やがて自身の乗る車椅子の向きを変えると、病室を後にした。その後ろ姿を見送った後、ジュードは自分の心境を図りかねて眉を寄せる。
 何故、一瞬どきりとしたのか。ミラにおかえり、と言われることは初めてではない。それに、自分がそう言われたこの場所は、マティス治療院。正真正銘、ジュードの家だ。家に帰ってきて、おかえりと言われることはむしろ当たり前のこと。幼い頃から、家に両親が居なかったことは多かったけれど、母親が居る日などは、外から帰ってきたジュードに対して、おかえり、と声をかけてくれたものだった。
 それでは、何がそれほど引っ掛かったのか。こめかみに指を当て考えてみる。それでもしっくりと来る答えはみつからなかった。
 病室に一人立ち尽くす。そういえば自分は何しに来たのだっけ。当初の目的。
 今朝は早くから往診に出た父の忘れ物を届けるように母に言われ、それが事の他距離があり、昼前の帰宅となった。そうしてミラの様子を何とはなしに見に来たのだ。そのミラは、何やら車椅子に乗って退室してしまった。今は部屋にジュード一人。頭を掻く。食べ損ねた朝食、もとい昼食でも摂ろうと、ジュードも部屋を後にする。

「く、うぅ……っ」
 庭の方から、そんな呻き声が聞こえてきて、不審に思って急ぎ向かうと、やはりというかミラの姿があった。苦痛に顔を歪めながら、シーツを懸命に伸ばしている。ぎこちない動きで竿に掛ける。とうやら洗濯物を干しているらしい。その腿には医療ジンテクスに填められた精霊化石の蒼い光があった。
 立つことはおろか、装着するだけで大の男でも気絶するくらいの痛みを伴うのに、ミラは今、とんでもない負担を彼女自身に課している。
 ――医療ジンテクスを付けたまま、家事をするなんて……!
 それに、入院患者に家事手伝いをさせるなど、根本的に間違っている。
 医者であるはずの母が、それを許すなんて。疑問に思いながらも止めさせなければと庭に出ようとして、その足が止まる。声が、聞こえてきた。
「すまないな、エリン。無理を言って」
 庭先に母が現れ、ミラが声をかけた。
「本当に。私は患者を無理させないようにしなければいけない立場の人間よ?」
 どうやら、ミラが母親に自ら申し出て、こういう事態になっているらしい。得心する。
「でも、あなたがこれからやろうとしていることは、きっと医療ジンテクスを付けて家事をすることよりもずっと、大変なことなのでしょう?」
「そうだ」
「なら、このリハビリはきっと間違っていないのでしょうね」
「お前のような立場の立場の人間に、そう言ってもらえると助かる」
 ミラは汗の浮いた顔に笑みを浮かべた。母は、本当の意味でミラの助けになっている。甲斐甲斐しく世話を焼くことしか出来ていない自分と違って。無理をさせることが助けになるなんて。ジュードは自分の良識の低さを痛感すると同時に、母から一つ学んだ事柄を頭に刻みつけた。
「でも、やっぱり言わせてもらうと、患者の苦しそうな様子は、医師として見ていて辛いわ」
「ふふ」
 ミラは目を瞑って笑う。エリンが不思議そうにミラを見つめる。
「お前はやはり、ジュードの母親なのだな。先ほどの物言いも、今私を見るその表情も、ジュードにそっくりだ」
 突然自分の名前を出され、反射的に心臓がどきりと跳ねた。
「仕方ないわ。親子ですもの。でもね、私よりもきっとあの子は父親似だと思うわ」
「ふふふ。人間というものはつくづく面白い生き物だよ」
 穏やかに笑う女性二人の雰囲気に、唐突に自分の中で浮かんだ感情に、ジュードは戸惑う。そして、立ち聞きをしてしまっている自分に羞恥心を感じて、そっとその場を後にした。

 自分は一体何を考えているのだろう。否定しようとしても、もう理解してしまった。自分の心の真正面に、突き付けられてしまった。もう、無視することは出来ない。
 ――僕は、母さんとミラが言葉を交わしているのが嬉しかった……?
 単なる、医者と患者としての会話ではなくて、エリン・マティスとミラ=マクスウェルという女性同士としての会話が、何故だか嬉しかったのだ。女性特有の穏やかで、丸い雰囲気の中での会話。何故か誇らしくて、微笑ましくて、そして嬉しかった。
 もし、自分とミラが結婚して、この家に住むようになったら、こんな感じなのだろうか。
 ――!?
 そう考えて、何を馬鹿なことを、と激しく頭を振った。頬が熱い。
 しかしその馬鹿な考えが、ジュードの心にある答えをもたらした。
 先ほど、ミラにおかえりと言われて、何故どきりとしたのか。
「そうか、僕は……」
 この場所で、この家で、ミラからおかえりと言われたことが嬉しかったのだ。まるで家族のように、ジュードを迎えてくれたことが、嬉しかったのだ。
 おかえりと、ただいまを交わすこと。その言葉の大切さ。
 家族になってくれたら、と思った。
 家族になってあげたい、と思った。
 何より大切な、彼女と。

 だけど、それはもう叶わない。

 ニ・アケリアの土を踏みしめながら、ジュードは郷愁を感じていた。かつてここには集落があった。しかし、今はもう無惨にも焼け跡となり、人の姿は見当たらない。それでも何度か訪れた度に感じた、空気や雰囲気の穏やかさはかつてのままで、放置された自然がそれをより一層際立たせていた。
 ミラと出会ったばかりの頃、彼女にこの村に置いて行かれそうになったことを思い出して、ジュードは苦笑する。あのまま彼女について行かずに、ここに住んでいたらどうなっていたのか。
 静謐な空気を肌で感じる。焼け跡にはならず、攻撃から免れた空間があった。ミラの社が見えてきた。
 石段をゆっくりと登りながら思う。
 あの時、マティス治療院でミラがおかえりと言ってくれたことが嬉しくて、出来ることなら自分も同じように彼女を迎えたいと思っていた。なのに、当の彼女はもう、いない。だから、この場所で。彼女の家で。
 扉を開けた。
 薄暗く静かな閉ざされた彼女の部屋を全身で感じた。
「ただいま、ミラ」
 あの日言えなかった言葉を口にする。
 沈黙を噛みしめる。
 不意に吹き込んできた柔らかな風がジュードの頬を撫でて、ジュードは目を見開く。それをミラの意思だと感じるのは都合が良すぎるだろうか。
 相変わらずの、悲しくなるほどの静けさが、ジュードを包み込んでいた。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

何がそっくりなのか分かりませんが、ミラに、ジュードとエリンが似てる、というのを言わせたかったんだと思います。



[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!