[携帯モード] [URL送信]

*tales of…*
quick-drying glue(ユーリ×エステル)

【quick-drying glue】


 無意識に見つめてしまう。不躾だとは思う。いけないことだと分かっている。だけど、視線が吸い寄せられて仕方がない。胸の中が重い。カップを握りしめる手に力がこもる。あんなことを言われた後だから余計に複雑な気持ちで彼を見つめてしまう。
 それまで素知らぬ顔で焼き菓子を頬張っていたユーリが、不意に手を止めてこちらをじっと見つめてきた。まるで呼ばれたかのように思えた。エステル、と。エステルの表情が強張った。過度に緊張してしまう。
「何かあったのか?」
 テーブルに身を乗り出し、ついた頬杖の上で不敵に口角を吊り上げる表情は、どこかやれやれといった様子。疑問系ではあるけれど、それはすでに確信じみていた。なにかあったことを前提とした、問い掛け。
「なに、って、なにがです?」
 無駄だとは思うが、一応とぼけてみせる。彼に通用するはずがないと、知りながら。
「言いたかねえんだったら、聞かねえけど?」
 案の定。しかしそれでも、今日は実に久しぶりの彼との時間。彼に心配をかけるようなことは避けて、出来れば楽しく過ごしたい。頭ではそう思っているのに、エステルの表情は無意識に曇ってゆく。ユーリは黙ってじっとエステルを見つめている。
 心から湧き出した言葉は、勝手に口から流れ出した。
「そろそろ、身を……固めろ、と言われました」
 言ってすぐに後悔した。どうして今、彼とこの話題。
 ユーリは一瞬だけ目を丸くしてから、すぐにいつもの不適な笑みを浮かべて、へえ、と言った。
「そりゃあこの不安定な時期に、帝国のお姫様のご成婚と来たら、景気も良くなるかも知れねえな」
 言って、何も変わらぬ様子で茶をすする彼の様子を、知らず窺ってしまう自分にエステルは羞恥心を覚える。彼の動作の一つ一つを、彼の言動の一字一句を、意識してしまう。自分は一体、彼に何と言って欲しいというのか。
「固めろ、ってことは候補は上がってんだろ」
 まだこの話題が続いていることに恥ずかしさを感じながらも、何故かほっとしている自分に気付く。ユーリの方から話題を続けてくれたという事に、複雑な思いを抱かずにはいられない。
「今のところ、ヨーデルとの、縁談の話が持ち上がっています……」
「妥当だな。帝国皇帝と副皇帝。良いんじゃないか?」
「そうでしょうか……」
「けど、おまえとあの天然陛下だと見てるこっちが力抜けそうな気がするけどな」
 少し意地悪っぽく、ユーリは笑った。その様子に特に他意は見当たらなかった。
「後は、フレンも候補に上がっていて……」

「ああ、あいつはやめとけ。頭ガチガチで口煩いったらないからな」
「ふふ。ユーリはフレンの話になるといつもそうです。フレンもやっぱり同じように言うんですよ」
「あいつはふらふらしてばっかで駄目だー、ってか」
「ユーリとフレンって、本当に仲が良いんですね」
 途端にユーリの眉間に皺が寄る。やめてくれ、と鬱陶しそうに手を振った。
「まあでも、悪いやつではねえからな。そこは保証する。もしエステルがあいつと結婚するってんなら、オレは祝福するよ」
 どきり、というよりずきりとした。胸の奥に何か固いものでも刺さったような気分だった。カップを持つ手の震えを抑え、ユーリの顔を恐る恐る窺うと、彼は穏やかに微笑みをうかべていた。他意はどこにも見当たらなかった。
「それに、帝国騎士団団長様と副皇帝陛下なんて、肩書き的にもお似合いなのかも知れねえしな」
「…………」
 もう、ユーリの顔を見ることは出来なかった。やはり、彼に縁談の件を話すべきではなかった。募る後悔は痛むエステルの胸に追い討ちをかけるように押し寄せる。どうして久しぶりの彼との時間でこんな気持ちにならなければならない。どうして彼とのこの空間がこんなに辛い。いや、一緒に居るのが彼だから、こんなにも辛いのか。もう一層の事彼から背を向けてしまおうか。彼のことを忘れれば、こんな気持ちにならなくて済むだろうか。彼のことを考えなければ、誰と結婚することになろうとも……――。
「……っ!」
 出来るはずがない。
 何故なら自分は、
 自分がこの先ずっと一緒になりたいのは……――、
「わたし、は……」
「……けど」
 ユーリは真っ直ぐにエステルを見ている。
「おまえが誰と結婚しようがおまえの勝手だが、もしその結婚をおまえが望んでなかったら」
 そこに嘘や偽りなど、一切見られなかった。
「オレは、おまえの結婚式をぶち壊しに行く」
 紫紺色の瞳が真っ直ぐに投げ掛けてくる決意を、寸分も違いなくエステルははっきりと理解した。
 “オレが望んでんのは、おまえの幸福だけだ。”
 間違いなくそう言っていた。
 ――この人はなんて優しくて、そして狡いのだろう。
 フレンでもなく、ヨーデルでもなく、わたしは、ずっとあなたと一緒にいたいのに。あなたと一緒になりたいのに。
 それが言えないのを知っていて、ユーリはきっぱりと、何の迷いもなくそう言ってみせる。
 いてもたってもいられなくなって、エステルは立ち上がると、椅子にかけたままのユーリの背中にきゅっとしがみついた。流れる黒い髪が、エステルの頬に触れる。
「ユーリは狡いです」
 エステルが本当の気持ちを言えないのを知っている。エステルが副帝という立場を放り出せないことを知っている。全て、全て承知の上で、だからこそ、それが最善だと確信してエステルの幸福を心から望んでくれている。
「ユーリは狡くて、意地悪です」
「おいおい、えらい言われようだな」
 ユーリは少しだけ笑って、肩を竦めた。その手がゆっくりと持ち上がり、ユーリの肩を掴むエステルの手に重なった。相変わらず、温かく、大きい手だった。
 目眩く毎日の隙間の、僅かな一時。ユーリがどれほどエステルの幸福を願ってくれているかは知っている。だけど、ユーリは分かっているのだろうか。
 ――わたしは、あなたとこうしている時間が、何よりも幸せなのに。
 それでも時間は、エステルの気持ちなど知る由もなく、刻一刻と過ぎていく。



ここまで読んでくださってありがとうございます。

そう思ってるのは私の価値観。ユーリはいざ正式に結婚出来る、って決まった時にはもうすでにエステルの前から消えてそう、ってのも私の価値観。



[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!