[携帯モード] [URL送信]

*tales of…*
cradle(ジュード×ミラ)

【cradle】


 腹の中から沸き上がってくるような不思議な呼吸も、ずいぶんと落ち着いてきたように思う。
「……ヒック!」
 かと思えば忘れた頃にまた出てくる。確か、先程聞いたところでは“しゃっくり”と言っただろうか。腹の内側。横隔膜という部分の痙攣。全く、どうしてそんな機能があるのか、その機能がどんな役割を果たしているのかは分からないが、本当に人間の体というものは面白く、ままならない。実に興味深い。そういえばレイアなどは、このしゃっくりが持病だと言っていたか。偶発的にこのような症状が出てしまうとは、少し気の毒に思わないでもない。
 ベッドに半身を起こした姿勢でミラはぼんやりとそんなことを考える。ベッドサイドに視線を移すと、水色と濃灰が目に入る。医療ジンテクス。ル・ロンドでジュードに施してもらった、医療用器具。この器具が無いと、自分は歩くことはおろか、立ち上がることも、今このシーツの下にある足の指一本すら動かすことは出来ない。それほどまでにガンダラ要塞で負った傷が深すぎた。とは言え、その時のことを後悔するつもりはミラにはない。その時はそうすべきだと決断して、自分は行動に移した。
 足が吹き飛ぼうが、下半身がなくなろうが、自分自身と意志があれば、使命は遂行出来る。そう思った。足を動かせないことへの不自由は恐怖にはならない。ミラが本当に恐怖するのは、その使命を遂行することが不可能になってしまった時だけなのだ。
 実際、這ってでも破壊対象であるクルスニクの槍には辿り着くつもりだった。足が使えなければ手を使う。移動の手段はまだある。ただ、どれほど時間がかかってしまうかは分からないが。だから、その移動手段が、医療ジンテクスによって格段に早くなるのは本当に有り難かった。その点においては、イル・ファンでジュードと出逢ったことは幸運だったのかも知れない。
 その時、ミラしかいない部屋にノックの音が響いた。それが誰だかなんて容易に想像が付く。仲間達皆で使うはずで取った一室だ。ミラだけが使う訳ではない。だからノックなどせずに入ってくればいい。それでも律儀に、それも寝ていると思って気遣ったのか、ごく控えめにコンコンと拳で叩く。その表情までが想像出来るような気がして、ミラの口元に笑みが浮かんだ。
「起きているよ、ジュード」
 扉の向こうで息を飲む気配が伝わってくる。ドアが開いてばつが悪そうに入ってきたのは、思った通りの人物だった。
「もう、止まった?」
「ああ、そう言えば先ほどから出ていないな」
 ミラの座っているベッドの端に、ジュードは腰を下ろす。スプリングがわずかにぎしりと軋んだ。
「ごめんね、アロマのアレルギーだなんて知らなくて……」
「君が謝ることではない。面白い体験もさせてもらったしな。それに、あの匂いはなかなか良かった」
「本当?」
「ふふ。嘘を言っていないことくらい、分かるだろう?」
 そう言ってジュードをじっと見つめると、ジュードは僅かに頷いた。
 何より、わざわざハーブを探しだし、アロマテラピーで日々医療ジンテクスの激痛に耐えるミラを癒そうとしてくれた、仲間達の気持ちが嬉しかった。
 ――なかなか可愛いことをしてくれる。
 その匂いが、今はもう収まってきた“しゃっくり”と一緒にずいぶんと薄れてきたのが、少しばかり淋しい気がするが。
「また、付けないと、だね……」
 呟くジュードの口調は重い。
 今はこうして宿屋で休んでいるが、時間をかけていられる旅ではない。出発は迫る。その為に今は外している医療ジンテクスをまた付けることになる。
「そうだな」
 さして何も思わずそう応える。しかしそれでジュードの表情が晴れることはない。彼にそんな表情をさせる原因はミラにある。彼はいつだって誰かを気にかけて、心配している。
 ――君自身が痛い思いをするわけではないのに。
 ミラの顔に苦笑が浮かぶ。
「君が、そんな顔をするな」
 微笑みかけた。ジュードは依然沈痛そうな面持ちでミラのそばへ身を寄せると、足の上にかかったシーツを捲った。白く滑らかな素肌が露になる。揃えられた両足。ジュードはそれにそっと手で触れた。触れられている感覚も、彼の手の温かささえ、感じられなかった。
「でも――」
 医療ジンテクスを今、付けてみようか。もうすっかり馴染みの激痛が襲うだろうが、彼の手をきっと感じることが出来る。
「痛いのは、やっぱり辛いよ」
 茶色い眼差しに痛みがあった。身体的な痛さではない、精神的な痛み。ミラの為に心を痛めている。
 何故かは分からない。
 人間がすべてそうなのか。それともこの少年が特別にそうなのか。
 ミラの守るべき対象である人間。
 黒匣を使い精霊を殺す人間。
 精霊と共存する人間。
 精霊を守ると言った人間。
 不思議な感覚にとらわれる。胸の奥がほの暖かい。無性に守りたい衝動。苦しさにも似た何か。それは目の前の人間を、自分に触れている少年を、愛しいと思う感情。
「君の手は、あたたかいな」
 ジュードが目を瞠る。
「ミラ、感覚が……?」
 そういうことではないと、ミラがかぶりを振ってみせると、少年の瞳が翳った。
「だが、確かにあたたかい。君に触れられていると胸の辺りが、そう感じるんだ」
 ミラの足の上で、手がぴくりと動くのが見えた。
「私にとって痛みなど苦痛にはならないが、そうだな……今の私に苦痛があるとすれば……」
「……?」
 ミラの視線が少年の視線をとらえる。
「ジュード、君が私の為に辛そうな顔をしていること、だな」
 そう告げると、今度こそ足から手が離れた。あたたかさが足から離れた気がした。ジュードは顔を赤く染めて、ごめん、と呟いた。
 一体、何の謝罪なのかは分からない。だけど、少年は戸惑った瞳でミラを見る。視線と視線が絡み合い、やがて決まりが悪そうに少年の顔に照れたような笑みが浮かんだ。
「うん。ジュードはやはり、そうして笑っている方が良い。私は、君の笑顔が好きだよ」
 守りたいと思うこと。
 愛しいと想うこと。
 それは人間に宛てたものなのか。
 それともこの少年に宛てたものなのか。
 心の底で根付き始めた感情に気付かぬまま、胸の奥の心地好さにミラは心身を委ねていた。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

シャン・ドゥ、ハートハーブのサブイベント、その後の捏造小話です。ミラのことで頭が一杯なジュードが好きです。



[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!