*summon night*
wish is softly vanity(ナップ×アリーゼ)
【wish is softly vanity】
静かだった。
仰向けに転がってしまうと、目を開ければ見えるのはまるで押しつぶされそうな空の青。その大きすぎる圧力に自分の小ささをこれでもかというくらいに思い知らされているようで、ナップは胸中で悪態をついた。
――ちくしょう。
肺に空気を送り込む度に上下していた肩も今は落ち着きを取り戻し、心臓の鼓動もいつものリズムに戻っている。ただ汗が乾いた分、体は少し冷えたらしく全身を撫でる爽やかな風に僅かな冷たさを感じた。
一人になってから十数分が経とうとしている。早く戻るなり、この場所から去るなりしなければ、きっとアイツは心配して再びここへ戻ってくるだろう。それだけは極力――いや、何が何でも避けたい。こちらから稽古をつけてくれと頼んでおいてがむしゃらに剣を振り回して突っかかっていって一刀のもとに伏されて、格好悪いと言ったらこの上ない。その上心配されて気を使われるなんて恥ずかしさの極みだ。
早く立ち上がってここじゃないどこかへ行かなければ。しかし体は動かない。動けない訳ではない。動く気になれないのだ。
――これじゃまるっきり八つ当たりじゃんか。ちくしょう。
召喚術による怪我の回復を拒否した腕をゆっくりと持ち上げると、当然痛んだ。打ち身と裂傷による痛みがズキズキと疼くのが、ナップを叱咤しているようにさえ思えてくる。もう何か、心もボロボロだ。
痛む腕で目を隠す。別に泣きたい気分じゃないが、何となく視界を暗くさせたかった。澄み切った空の青から逃げたかったのかもしれない。
静かだった。
仲間達はいつもの様に思い思いの場所でそれぞれの時間を過ごしているのだろう。普段ならスバルやパナシェ達が遊んでいるはずのこの草原に今はナップしかいないのも不思議だった。ナップの稽古の為に席を外してくれていたのか、それともこんな状態のナップに気を使ってくれているのか。どちらにしても今は好都合。一人になりたかった。
その、一人の空間を潰す音が聞こえてきた。それでもナップが立ち上がらなかったのは、足音が大人のものではなく子供のものだったからだ。スバルやパナシェなら、昼寝とでも言って誤魔化してしまえばいい。いっそこのまま寝たフリを続けてやろうか。そう考えていると、サクッサクッと草を踏みながら近付いてくる足音が彼らのではないことに気付いた。 二番目に会いたくないヤツ登場。ナップのすぐ近くに立ち止まると音も何も止み、また静かになった。
「……何見てんだよ」
腕を目から退けると刺すような青空が襲ってくるのかと思いきや、ナップの顔を覗き込む少女の頭でちょうど陰になっていた。少女へと向けられるナップの三白眼は急に明るい光を取り込まない為に目を眇めたわけではない。純粋に少女を睨んだだけだった。
「ほんとに寝てるのかと思った」
膝に手をつき中腰姿勢の少女の顔が反対向きでそう言った。風が少し吹く度にツインテールがフワフワと揺れる。その毛束が少女の逆光ながらも白い頬を隠したり現したりする度に垣間見える絆創膏に、ナップの心臓がちくりと痛んだ。蘇るのはその瞬間の映像。
不意打ちだった。はぐれ召喚獣による後方からの襲撃。一番先に気配に気付いたスカーレルでさえ追いつけなかった。ナップなど身動きすらできなかった。振り向いたらもう、一番後方にいたアリーゼの頬がはぐれ召喚獣の爪に裂かれて鮮血を飛ばしていた。大して深くなかったのが幸いで召喚術で治癒したが、完治するまでは傷口を露出しないようにしているようだ。
――っ……!
一番傷付いて欲しくない人の痛々しい姿に、反射的に目を背けようとしてしまうのを必死で堪えた。目に焼き付ける。これが今のオレだ。オレの力の無さでこいつがこうなった。心に、体に刻みつける。
「まだここにいるの?」
ツインテールがふわふわと揺れる。
「何しに来たんだよ」
疑問に疑問で返すのは触れられたくないことを言うのが嫌だからだ。そう誤魔化して、自分を守る為だ。
――情けねぇ。ちくしょう。
「あんたを探しにきたの」
「え?」
「先生が、ナップが戻ってこないから見てきてくれって」
自分の中の何かが急速に冷えていくのが分かった。少しでも期待してしまった自分がとんでもなく愚かしい。いや、期待なんてすることが間違っていたのだ。大体何に、何を、期待するというのだ。
恥ずかしさはそれを誤魔化そうとして自分を正当化する為の怒りに換わる。そしてそれが元凶である自分を守る為に他人に向けられる。すなわちそれが、八つ当たりだ。
「……帰れよ」
「え?」
「あいつの言い付けで来たやつなんかに用はないんだよ!帰れよ!」
――どこまで馬鹿なんだ、オレは。こいつに当たってどうすんだ。
泣かせたか。また腕で顔を覆う。沈黙が酷く痛い。とりあえず一人になりたい。
しかしその願望は叶えられることはなかった。ふわりと僅かな風圧を感じて腕を退け目を丸く見開いた。中腰のアリーゼがその場に腰を降ろしたのだ。
「……帰らない。何でナップにそんな風に言われなきゃならないの?帰ってあげないっ。絶対に帰ってあげないんだから!」
「な……っ!?」
思わずナップは起き上がった。ズキリと体中が痛むのにも構わない。真正面にアリーゼの涙の溜まった瞳があった。
――やっぱり泣いてんじゃねーか!
泣いてませんとでも言うように目に力を込めてナップを睨むが、溜まりすぎた滴は表面張力を超えポロポロと零れ落ちる。
――どうすりゃいいんだ、一体……。
逡巡し何度か手を空中でさまよわせてからアリーゼの頬に指を沿わせた。情けなくも小刻みに震えるナップの指を伝って少女の涙が浅葱色のスカートに落ち、丸い染みを作る。
「何で泣くんだよ……。いや、違う。そうじゃなくて、その……、ごめん。泣かせるつもりじゃないっていうか……」
「手」
「あ……?」
「血が出てる」
ぐすっと鼻を啜りながらもアリーゼの目はナップの腕に釘付けになっていた。むき出しの肘は打撲で青紫色になり、腕は裂傷や擦り傷で血が滲んでいる。そこから視線を外すことなく手の平だけをそっと当てた。彼女がやろうとしていることが分かった。
「やめろ!」
アリーゼがびくっと肩を竦めた。
「あ……。その、治してくれるんだったら、やめてくれよ。……本当にいらないから……」
レックスの治癒を頑なに断ったのはただ意固地になっていたからではない。――まぁ大半がそうなのだが、残りの半分は、自分を思い知る為だ。痛みによって自分の弱さをその身に刻みつける為だ。
少し赤い、むっとしたアリーゼの目にナップは思わずたじろぐ。しかし彼女はそのまま詠唱に移ってしまう。
「おねがい」
ほの白い魔法陣とともに現れたリプシーによってナップの傷が光に包まれる。むず痒いような特有の感覚のあと、ついに傷は消えてしまった。
「……っ」
「ナップの言うことなんて聞かないって言ったでしょ」
「お前なぁ、何意地になってんだよ」
「それはナップでしょ!さっきの戦いでも無茶してたし、帰ってからは先生につっかかるし、一体何がしたいのよっ!」
切実な目が訴える。何だか自分の身を心配されているような気がした。無茶するな、怪我するな、と。
――自分はこんな傷作ってるくせに。
「オレは」
無意識だった。痛くも何ともなくなった腕を伸ばせば手の平に簡単に収まった。白くて、少し冷たくて、想像以上に柔らかかった。
「もっと強くなりたいんだよ」
――せめて、お前だけでも守れるくらいに。
壊れそうなほど儚いそれを愛しさを込めて撫でれば、少女はギュッと目を閉じ身じろいだ。
「強くなるから。絶対」
「うん」
「強くなっていつかあいつだって超えてやる」
「そんなの……。無茶……だけはしないでよね」
さっきの切実な目を思い出す。もうあんな顔をさせたくない。心配してくれるのは少なくとも大事に思ってくれていることの証。ならナップの一番好きな顔で、いつもいてほしい。
「……わかったよ」
そう言うと少しだけ笑ってくれた。つられてナップも少しだけ微笑んだ。
何故か赤いアリーゼの顔の理由を思い至ったのと、慌ててアリーゼの頬から手を離して謝ったのは、この場所が何度目かの静寂を取り戻した数十秒ほど後の事だった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ナプアリ第四段、SSにすると第二段です。アリーゼが怪我をしてナップが自分にむかついてる話です。ナップは自分の本当に伝えたいことをなかなか素直に言い出すことが出来ない分大好きな人を傷つけてしまうイメージがあります。好きな子ほどいじめてしまう、というやつです。それでいてアリーゼをすごく大事にしてたらいい。それにしてもアリーゼの口調がわかりません^^(おい)
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