[通常モード] [URL送信]

*summon night*
spilt milk
【spilt milk】


 リシェルとていくらお転婆と言えど、一端の女の子だ。可愛いものが嫌いな訳ではない。むしろ、好きだと言っていい。
 家のシェフに無理を言って作ってもらった、フルーツやら飴細工やらのたくさん乗ったプディングやケーキなんて見栄えが良くて大好きだし、リシェルの一番好きな動物などは、ヌイグルミやマスコットなどで数えきれないくらいに持っていて帽子やベルトに付けて、それを毎日身に付けている程だ。
 そんなリシェルがあれほど嫌っている家(金の派閥のブロンクス家として)に生まれて良かったと思える数少ない瞬間は、父親に連れられて顔を出す派閥のくだらない会合の時に主にある。つまり、着られるのである。可愛い服を。
 何かにつけて反発してくる年頃の娘が、へそなど出したけしからん服装をしていたところで父親に出来る事はせいぜい怒鳴り散らす、悪態をつく、小言を言う、程度のものだ。要するに、“言っても無駄”という言葉で言い表す事が出来る。
 リシェルの父親の友人ケンタロウが、“のれんにうでおし”と言う言葉をそういった状況下で使っていたのを、果たして父親の耳に届いていたのかは定かではない。
 いくら言っても聞かない娘の服装を良くは思わないながらも目を瞑る事はあっても、さすがに派閥の会合でのその様な格好は許す許さないの問題ではない。その事はリシェル自身にも解っているらしく、仏頂面ではあるが大人しく着飾られるがままになっている。
 じつはその事は、リシェルにとって内心結構嬉しい事だったりするのだ。ヒラヒラの服は動きづらくて、毎日着るにはうんざりさせられるが、たまにならいい。フリルのたくさんあしらったスカートや、可愛いレースの縫い付けられたドレスを着せられ、
「お似合いですよ、お嬢さま」
と言われた日には、さすがに悪い気はしない。そういえば正装姿を初めてライに見られた時、あいつったら口をぽかんと開けて固まっていたっけ。次の瞬間に、
「お前って本当にお嬢様だったんだなー」
なんて言われたものだから、その時は思わず肘鉄を食らわせてしまったが。しかし確かに、ちょっぴり恥ずかしい様な嬉しい様な気持ちになったのを覚えている。
 嫌いじゃなかった。見てもらえる事が。むしろ大好きだった。他でもないライに見てもらう事が。
 それが、どうしてこんな状況になろうか。

 ──なんでこうなったんだっけ。
 ──なんでこうなったんだっけ。
 充分にさ迷わせる為だけの視界もない窮屈な空間で、リシェル・ブロンクスは必死に考えていた。今までの彼女の人生の中で一番と言っていいほど、頭をフル回転させていた。
 混乱する頭は物事を順序よく考えさせてくれる事を許してはくれない。状況は考えようとする力を根こそぎ奪っていく。
 ──どうすればいいんだっけ。
 “悪循環”というやつだった。
 激しく胸打つ鼓動、感じる熱。彼女の鼻腔を通るのは、嗅ぎ慣れた温かな匂い。厨房の匂い。“彼の”匂い。
 ライが、リシェルの上に乗っかっていた。
 微かに聞こえてくる彼の息づかいで、とりあえずは死んでいない事が分かり、安堵する。
 ──こういう時って、頭を動かしたらいけないんだったっけ……。
 段々落ち着きを取り戻してくる事によって、何をどうすればよいのか、考える余裕も出てきた。
 何しろ、派手に打ったのだ。額を。『ゴンッ』って、固い音がした。
 すぐに目を覚まさないのが不安だった。インジェクスの注射針でもぶっ刺してみたら起きるかな、という物騒な考えも過ったが、何だか怖いのでやめた。
「ライ……?」
 とりあえず呼び掛けてみる。
「………」
「ねぇ。ライってば!」
 揺すってもみる。
 ゆさゆさ。 ゆさゆさゆさ。
「………」
「ねぇってば!!」
 どうしてこんな時に限って誰もいないんだろう。いや、いても困るんだけど。
 まず、ライが自分の上に乗っかっている事。次に、自分の着ている衣服が盛大にはだけている事。こんな所、誰かに見られでもしたらそれこそ大事だ。
 かといって、ライをこのままにしておく事も出来ない。こんな時に霊属性の召喚術が使えたら──。
 這い出してしまえば、当面の問題は片付く。それも頭では分かっていた。でも、這い出した時の動きでもし彼が起きてしまったら……。ああ、矛盾してるなと思いつつも、もうどうしたらいいのか分からない。どうしたいのかが分からない。頭が全く働かない。
 誰もいない屋内に遠くからの音が届く。トレイユのある方角から、『ドォン』とくぐもった音が聞こえてきた。花火が始まってしまった。それが、始まりを知らせる合図だと分かった時、リシェルはライの下で溜め息を吐いた。
 店は開店休業。というか、町外れの宿屋とあってはこの様なイベント日に客が来る事など皆無に等しいのが実際。よってホールにはリシェルとライの二人だけ。多分、ライが目を覚まさなければ、このままずっと二人だけ。ひょっとしたら夕飯時に心配したルシアンが様子を見に来てくれるかもしれないが。
 それにしても。
 ──受け身くらい取れたでしょうに……。
 何故それが出来なかったかはすでに明確だ。
 リシェルをかばったから。
 リシェルの頭の下に回された彼の手が、それを物語っている。リシェルが後ろ向きに倒れる瞬間に、咄嗟にライがこちらに手を伸ばしてくるのが見えたのだ。
 そして、あの音。自分が傷つく代わりに、彼が傷ついた音。
 さてと。
 恥ずかしいなんていってられない。彼の頭に異常があったら大変だ。
「んっ、んっ……」
 とりあえず彼の下から這い出す事を試みる。なるべく振動を与えない様にと頑張ってはみるが、リシェルが彼の下にいる以上、所詮無理な話だ。上半身を少しずつずらし、肘を立て下半身も彼の下から引きずり出すと、梃子の原理で彼の頭が少しだけ浮いた。自由になった体を捻り、恐る恐る頭を支えると、ゆっくりと下ろした。そのままだといけないので、頭の下に手近にあった布を敷いた。
 ようやく安堵の息を吐く。膝を抱き、目を瞑ると込み上げるのは自身への嫌悪、後悔、罵りの言葉と情けなさ。今日はトレイユのお祭りで。ポムニットが新しい服を出してくれて。それが忘れじの面影亭で見たような服で。きっとライだったら着方も分かるだろうし、何より見てもらえるからなんてくだらない理由で押し掛けて。
 挙げ句の果てにライをこんな目に合わせて……。
「何やってんのよ、バカ……」
 何だかもう泣きたくなってきた。
「お前、そりゃねーだろ」
「!!」
 伏せた頭を物凄い勢いで跳ね上げる。口が渇いて言葉が出てこない。
「痛ててて……。コブになってら。お前は大丈夫か?どこも打ってねえか──」
 思いは強すぎるのに上手く言葉を紡げない場合でも、脳は“伝える事”を教えてくれる。その四肢に命令を下して行動として“伝えろ”と、リシェルに命令をする。
「……お前なぁ、また打ったらどうしてくれんだよ」
「うるさい!うるさい、うるさい、うるさいっ!!」
 先ほどの、倒れた時にリシェルが頭を打たない様にと後頭部に回してくれた彼の手。そして今、抱きついたリシェルを柔らかく受けとめてくれた彼の手。ああ、ライは優しい。いつだって優しい。
「どうでもいいのよ。あたしの事なんて……」
 あんなに見てもらいたかったのに、今はそれすらどうでもいい。ただうでの中の彼だけが大切だった。それだけだった。“可愛い”とか、“似合ってる”なんて言葉もいらない。この温かさが、匂いが、今のリシェルの全てだった。
「どうでもいい事なんてないと思うぞ」
「は?」
 間近にあるライの顔は真っ赤だった。そして何やら胸元がごそごそする。
 はだけた、というかもう脱げかけたリシェルの紅い浴衣の前をぎゅっと寄り合わせ、ライは言う。
「とりあえず、何とかしろ。……それ」
 忘れてたのは自分の失態なのに、恥ずかしさで我を忘れ、絶叫しながら彼の首を締め上げた。






[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!