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*summon night*
outcast
 集合時間に遅れそうなのは、酷く下らない理由の為だ。それなのにも関わらず、自転車に乗る直前に通学鞄からポケットサイズのミラーを取り出し、また何回も前髪を触る。触る前と対して何も変わらないのだが今日は何故か前髪が気に食わない。結局のところ時間的に余裕がなくなり、夏美は仕方なく自転車のサドルに跨がった。

【outcast】

 いつもの通学路とは違った道を自転車を飛ばしひた走る。さして遠くはない目的地がやがて近づいてくるにつれて、夏美の鼓動が早くなる。そこは自分の慣れ親しんだ場所ではない。
 ──うわ、着いちゃった……。
 すでに集合時間ぎりぎりなのだがそんな呑気なことを思ってしまう。しかしそれでも夏美の心中は穏やかではなかった。
「夏美、何やってんの!」
「ごめん、遅れた!」
 すでに体育館へと入り始めている部員達の最後尾へと夏美はあわてて合流した。中に入ると、他校の馴染まない雰囲気に、会場をセッティングする他校部員。試合前の空気に夏美の肌は心地よい緊張感を感じてぞくりと粟立った。
 モップがかけられ、ポールが立てられ、ネットがかけられる。確実にバレーボールの試合会場がセッティングされていく中、前に練習をしていた生徒が引き上げていくのが見える。肩から掛けているのはラケットカバー。どうやらバドミントン部のようだ。
 一般的にバレーコートが二面しか張れない夏美の高校のような体育館では土日祝日になると、インドアスポーツであるバレーボール、バドミントン、バスケットボールの三つの部が体育館を分けて使用している。それは今夏美たちが練習試合に来ているこの高校にも言えるようで、午前中の内にバドミントン部が練習を終えバレーボールに体育館の使用権を譲って今に至る。ということは、今日、バレーボール部が使い終わった後に体育館を使用する次の部はバスケットボール部ということになる。
 ──もしかしたら勇人に会えるかもしれないな……。
 ぼーっとそんなことを考えている自分に夏美は少し驚いた。だから何だというのだろう。勇人は夏美の幼なじみだ。小さい頃から一緒に遊んできた彼など、嫌というほど顔を合わせている。何しろ家が近い為、今でも時々会う。一昨日も部活から帰ってきて家に入ろうとしたら、ランニングに出かける様子だった彼に、“よお”なんて声をかけられた。でも、最近勇人に会う回数が減ったのも確かだが。 ──勇人は今日あたしの学校が練習試合に来ること知ってんのかな。
 体育館の中は当然夏美には馴染みのない風景。どこも似たような造りだが、空気、匂い、天井の高さ、コートのラインの色、全ての違いと違和感が、ここは他校なのだということを実感させる。あたしには初めての場所、勇人には使い慣れた場所。
 その雰囲気が、夏美を少しだけ不安にさせているのかもしれない。

 バレーボールが何故好きかと聞かれたら、夏美は間違いなく“楽しいから”と答えるだろう。それは酷く単純な理由。白い、そう大きくもないボールをいかに自分のエリアに落とされずに守り通すか、いかに相手のエリアに叩き落とすか。そんなことが夏美にはとても楽しいのだ。コートにぎりぎり落ちる手前でボールを拾った時の嬉しさ、ノータッチでアタックを決めた時の爽快感。その全てが夏美の心を踊らせる。
 学校には部活をする為に通っていると言っても過言ではない。何と言われようと構わない。ただ、夏美はバレーボールが好きなのだ。
「──ぷはっ」
 この、思いっきり動いた後に飲むスポーツドリンクもまた格別だ。五月の始め。まだ春だといってもおかしくない季節にこの暑さ。いくら体育館の中といえども外は真夏日。激しい発汗によってTシャツはすっかり濡れそぼり、こめかみを流れる汗は頬を伝って顎から滴り落ちる。水道水でばしゃばしゃと顔を濯ぐ。夏美は気持ち良さそうに顔を振って水を飛ばすと、手探りでタオルを探した。が、置いてあるはずのタオルが見つからない。数回手を移動させてみるが、やはりタオルの感触がない。
 不審に思い顔を上げたのと、いつの間にかそこにいた少女が“はい”と言って夏美にタオルを差し出してきたのが、同時だった。
「落ちてましたよ」
「あ、りがと……」
 呆気に取られて、それしか口に出来なかった。いや、それだけ口に出来ただけでも上出来か。顔を拭くのも忘れて、馬鹿みたいに口をぽかんと開けたままで、夏美は少女を見た。大人しそうな少女だった。長い黒髪を垂らし、前髪を眉の辺りで切り揃えている。可憐、という言葉が似合いそうな、文化部系の華奢な少女である。
 凝視する夏美を不思議に思ったのだろう、少女は首をかしげ大きな黒い瞳で夏美を見つめ返す。“あの”と少女が口にするのを見て夏美は我に返った。
「あ、ごめん!じろじろ見ちゃって、失礼だよね、あたしってば」
 思ったことを比較的素直に口にしてしまうのは夏美の長所であり弱点でもある。夏美の必死さが面白かったのか、少女はふわりと顔を綻ばせた。
「他校の方ですよね?練習試合ですか?」
 そう聞いてくる様子に、可愛らしい娘だな、と思った。何年生なのだろうか。年下かな。同い年かな。
「うん、もうすぐ終わりなんだけどね、時間的に」
「そうなんですか。どうでした?」
「あ、勝ったよ……って言っちゃっていいのかな、これ」
「あはは、それもそうですね」
 何となく勇人が好きそうなタイプだと思った。自分は女だから詳しいことはよく分からないけれど、何て言うかこう、守ってやりたくなるような、そんな娘だと思った。そして何故か今、夏美は無性に勇人にだけは会いたくなくなった。今、この世で一番会いたくない人物を挙げろと言われれば、間違いなく新堂勇人だと答えられる確信があった。それが何故だか分からないけれど。
 もう少し話してみたい気もするけれど、夏美は部の仲間の元へ戻ることにする。気持ちは無意識に急いていた。それが休憩時間の終了を危惧してのものではないことに、夏美は気付かない。
 タオルの礼をもう一度述べてから踵を返そうとした時だった。
「樋口、どうしたんだよ。忘れ物でも取りにきたのか?」
 背中から飛んできた聞き覚えのある声に、ぎくりとして肩が竦み上がった。“樋口”と呼ばれた少女が、嬉しそうな笑みを作る。その様子を見た夏美の心臓がちくりと痛んだ。
 ──何で?何でそんなに嬉しそうなの?
「新堂くん!こんにちは」
 やっぱりだ。後ろにいるのは。
「あれ?夏美?何で夏美が樋口と一緒にここにいるんだ?」
 振り返ることが出来ない。
 何故自分がこの場所にいるのかが段々分からなくなってきた。前には可愛らしい少女。後ろには少女と顔見知りの幼なじみ。そしてその間に汗だくの自分。加えて馴染みのない他校の体育館。
 ──何であたしここにいるんだっけ?
 ──あたしはここで何してるんだっけ?
「新堂くんのお知り合いですか?」
「ああ、こいつはオレの家の近所に住んでるヤツでさ……」
 何だか自分が酷く場違いな気がして、夏美はいてもたってもいられなくなった。今の自分の精神を守るべき手段で一番に該当するのはもちろん、その場からの逃走である。踵を返し顔も見ずに少年の脇を通りすぎる。
「じゃねっ、勇人!」
 ぎりぎりでそれだけ言えたことに自分でも驚いた。勇人が自分に向けて何か言っていたように思えたが、聞こえなかった。

 夏美は時々勇人のお節介なところが嫌になる。放っておいて欲しい時に彼はいつもそうさせてくれない。だが、何故彼が自分に構うのかと言われれば、夏美は容易にその理由を答えることが出来る。何故なら、夏美もまたお節介な人間だからだ。自分の周りの親しい人間がいつもと違った様子だと心配になり放っておくことが出来なくなってしまう。今の勇人と夏美の様子が、まさにそれに当たる。
 家の呼び鈴を鳴らされ誰が来たものかと玄関のドアを開けてみれば、部活帰りらしい姿の勇人が立っていた。“時間大丈夫なら公園で話さないか”という誘いに若干迷いつつも承諾し、公園まで二人並んで歩く。道程では終始無言。こういう時にずけずけと聞いてはこない勇人の気遣いに、夏美の胸にじわりと何かが込み上げる。
 ブランコに腰を落ち着けると、勇人は夏美が口を開くのを待っていた。さて、夏美はどうしたものかと考える。次に口にした言葉は、夏美の悩んでいる内容だと勇人には受け取られるだろう。要らぬ誤解を招きたくはない。夏美は無難な内容から話すことにした。
「勇人の学校ってさ、大っきいね。あたし初めて中ちゃんと見たよ」
「そうかな。普通だろ」
「そんなことないって。あたし迷ったもん。中で」
「じゃあオレも夏美の高校に行ったら迷うかもしれないな」
「かもね。……今日さ、練習試合だったんだ。あんたんとこの学校と」
「そっか、どうりで。で、どうだった?」
「ぼこぼこにしました」
「あはは、本当かよ」
 それは昔から変わらない時間、懐かしい雰囲気。こうして話すこともここのところなかった夏美には、どこかこの空気がむず痒い。
「あの娘さ、何ていったっけ。あの髪の毛の黒くて長い……」
 話題は無意識にあの時の少女のことになる。
「樋口か?」
 即答なのが何故か苦しい。
「そうそう。その、樋口さん。彼女がさ、タオル拾ってくれたの。顔洗ってる時に」
「へえ。そうだったのか」
 “勇人の何?”とは聞けない。
「可愛い娘だよね」
「そうだな。学校でも結構人気あるみたいだな」
「そうなんだ」
 それでどうしたいのだろう。自分は何を求めているのだろう。あの時の苦しかった気持ちを、どう処理すれば良いのだろう。
「優しいし、いい娘だよね」
 そして自分は何故、こんなにも彼女を褒めるのだろう。
「そうだな」
「性格なんてあたしと正反対っていうかさ。勇人好きでしょ?ああいうタイプの娘」
「嫌いではないな」
「………」
 心臓が一つ大きく脈打った。口の中がからからで、それきり夏美は何も言えなくなった。
「何かこう、守ってやりたくなるような感じだよな。樋口って」
 女子の前で話すというよりは、男子と話す内容だなと思った。
 ──どうしよう。泣きたい。何でだろ。
「夏美?」
 返事が、出来ない。
「夏美?どうしたんだよ」
 その質問は今、苦しい。
「……帰ろっか」
 辛うじてそれだけ絞り出した。気を使ってくれた勇人には悪いけど、何だかもう、疲れてしまった。
 ブランコから立ち上がると、勇人が自分を呼んだ。まだ座ったままの彼は、真っ直ぐにこちらを見つめる。心配そうな目で、こちらを見つめる。
「あのさ……、言えよ?何か悩んでるんだったら。オレじゃ何の助けにもならないかもしれないけど、聞くぐらいだったら、その……、出来るからさ……」
 その目が物語っている。その言葉が嘘ではないことを。安い同情や単なる幼なじみの義理ではないことが、ひしひしと伝わってくる。それだけ勇人は夏美のことが心配で、それだけ夏美は勇人にとって大事な人間だと態度が訴えている。
 だからオレに頼れと。
 ──ずるいよ。
 ──勇人は本当にずるい。
「わかってるよ……」
 泣くことだけはどうにか我慢出来たが、涙声だけはどうしても抑えることが出来なかった。





 ここまで読んでくださってありがとうございます。
 ハヤトよりも先にナツミの方が気付いてしまったナツミ自覚前です。ハヤトはお節介でお人好しで鈍感そうだから(妄想を活力に生きています)、クラスメイトのアヤちゃんに対してもきっと優しいんですよ!それでナツミが勝手に焼きもち焼いてたらいいです(は)。




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あきゅろす。
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