*destiny*
a lost article(シンルナ)
【a lost article】
欠伸を噛み殺し、そろそろ寝るかと開いていたウインドウを一つずつ閉じてゆく。ちらりと画面隅の時刻を確認し、そこでいつもは意識しないあるものを見て、シンの手がはたと止まる。
「あ……」
今日。今日の日付。そうか、今日は――。
「……九月一日……」
シンの産まれた日。何よりも嬉しく大切な日。
両親と妹を亡くす前までは。
「くそ……っ」
嫌なことを思い出してしまった。舌打ちをしてからウインドウを一気に閉じ、乱暴にベッドへと横になった。
その日の夢に家族は、出て来なかった。
それはなにも特別なことではない。産まれた日なんて十七年も前のものであって決して今ではない。むしろ、その日が本当にその日であるのかすら、危うい。
時間は進み、日は変わる。しかし、日付や年なんてものは人間の決めた都合の良い概念であって、実際にそこには何もないかもしれない。地球に住んでいた頃は、明けては暮れる陽、昼夜という視覚的なものや気温などによって日が変わっていくということを肌で感じていた。
それがプラントへ来て、そして戦艦の中で生活するようになって、日付の感覚が段々となくなっていく。太陽の光も何も届かないところで生活していると、二十四時間、一日なんてものは存在せず、長い長い悠久の時を自分という生き物が存在しているだけなのではないだろうかという気にまでなってくる。
とはいえ、そんなことを考えるのはよっぽど“何もない時”だけだ。普段はそんな事を考えている間もない。特に、新型艦の急遽出撃からこの方、戦闘任務に明け暮れる今となっては。
産まれた日や特別な日なんてのは人間が勝手に決めたものであって、当人には特別であっても当人以外には普段の日であり何ら特別でも何もない。ただの、普通の日なのだ。
赤いパイロットスーツにも随分と慣れた。ただいつまでたっても慣れないのは、首もとが少し苦しいということ。それも仕方ない。間もなくモビルスーツに乗り込み、また戦闘をするのだ。小脇に抱えるのは赤いパイロットスーツと同じく鮮やかな赤いヘルメット。何の因果かそれらと同じ色の瞳は真っ直ぐに前を見つめ、口元は一文字に引き締まっている。
通路を曲がろうとしたところで一人の人物が姿を現した。少しマゼンタを深くしたパイロットスーツ。髪はそれによく似合うワインレッドのショートカット。それらの赤によく映える蒼い瞳を驚きに丸く見開いた少女。
「シン!あんたまだいたの?早く行かないと間に合わないわよ?」
コンディションレッドが発令されてから早十分だ。パイロットは速やかに搭乗機へと向かわねばならない。こんなところで出会うのだから少女も人の事を言えたものではないのだろうが、敢えて言わないでおく。少女はお節介なのだ。
「……分かってるよ」
合流し、二人並んで通路を急ぐ。不意に隣りのルナマリアが、思い出したかのように口を開いた。
「そう言えば今日って九月一日よね」
「そうだっけ。それがどうしたの」
「あんた、今日誕生日なんだって?」
「!」
驚いて隣りを進む少女を見る。少女は何でもないかのように前だけを見ている。その顔が、シンを向いた。何故だか、少し嬉しそうな顔だった。
「誕生日、おめでとう!」
“誕生日おめでとう”
シンの脳がフラッシュバックした。
自分の好物ばかり並んだテーブル。明らかに自分の物だと分かるプレゼント。その日は朝から全てが自分の為に動いているような気がして、何もかもが嬉しくてわくわくした。早くその一言が言って欲しくて、そわそわしてその瞬間を待っていた。
『誕生日、おめでとう!』
分かっていたけど実際に聞くとやっぱり嬉しくて、にんまりと口元はどうしても歪んでしまった。それでも照れ隠しで俯いたまま言った“ありがとう”はぼそぼそと小さな声だったけど、心からの言葉だった。
家族を失った日から、もう聞くことはないと思っていたのに。どこから嗅ぎ付けたのか、おめでとうとシンに向けて言った少女の笑みはどこか悪戯めいていて、まるで“してやったり”とでも言わんばかりの笑みだった。
懐かしいものがじわじわと込み上げる。それが何かは分かっている。嬉しさと、恥ずかしさだ。
「ありが、とう……」
言った言葉は、あの時みたいにやっぱりぼそぼそ声になってしまったけど、あの時みたいに心からの気持ちだ。
「急だったから、何も用意してないの」
前を向いたまま足は止めずに、ルナマリアがそう言った。とんでもない、と思った。もうあの時みたいに全てを期待している子どもなんかでは、ない。
「いいよ、別にそんなん」
キャットウォークに乗った靴底がカツン、と鉄の音を奏でた。ここで各搭乗機への分かれ道だ。
カツ、カツン。
不規則な音。止まった二人分の足。いや、シンは止まらされた。腕を不意に掴まれたのだ。
「何――」
言い終わらない内に起こった突然の出来事に、思わずヘルメットを手放しそうになってしまった。
カツッ。
重なった影。丸く見開いたシンの瞳が見たのは、ゆっくりと離れていく端正な顔だった。
「だからさ、我慢してよね」
そう言って意地悪そうに笑った少女は、少しだけ頬を赤く染め、逃げるように搭乗機へと向かっていった。
思わず唇に手が伸びる。手袋越しに触れた唇には、先ほどの柔らかな感触が残っていた。
「何、なんだよ…… 」
そう言った途端に、急激に頬が熱くなった。
やっぱり九月一日というのは、シンにとって普通の日になんて出来ない。何故ならそれは、シンの産まれた日なのだから。意識してなくても、意識させられても、どこか特別な日なのだ。
もう聞くことはないと思っていたのに。歳を重ねるなんてどうでもいいことだと思っていたのに。じわじわと感情が胸の内をせり上がる。唇が弓なりに、嬉しそうに歪む。
当の本人は自分が本当に久しぶりに笑っていることに気付いてはいなかったが、何となく嬉しい気分だということには自覚して、搭乗機までの僅かな距離を急いだ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
誕生日について考えてみると、子どもの時ほど特別で嬉しい日なんですよね。大人になるほどに段々と特別でなくなっていく。忙しすぎたら忘れてしまっている時もある。
シンはあの全てを失った日からそういう幸せなものとはきっと縁遠いところで生きなければならなくなって、誕生日という日が一瞬にして特別ではなくなったんではないかと思います。下手すれば、家族を思い出して元凶を憎悪してしまう引き金にすらなってしまうほど。
でも、そんな壁とか易々と破って入れる、というか入ろうとしてくるルナマリアには心を開いてたらいいなと思います。
どんなに誕生日がどうでもいい日になってしまっても、一年で一日しかない日を自分の為におめでとうなんて言われたら知らず知らずの内にあの可愛い顔で照れてたらいいんです、シンは。
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