[携帯モード] [URL送信]

*destiny*
parting of the way
 彼との距離は十歩といったところか。眉を寄せ顔をくしゃくしゃにして泣いている様子にメイリン・ホークは安堵した。止まることを知らないかのように溢れる涙を服の袖で拭い、喉を盛んにしゃくりあげている。鼻をぐしぐしと啜る様子は汚くて顔をしかめてしまうが、それだけ彼が本気で泣いているのだと思うと、何とも言えない苦しさが胸をきゅっと締め付ける。あぁ、泣いてくれているのだなと、痛感する。そんな彼を慰めてあげたい気もするのだが、今までの付き合い上、そんなしおらしいことが出来るはずもなく、メイリンはわざとらしい溜め息を吐いた。
「あのね、男の子がそんなに泣くものじゃないわよ」
「だって……、しっ、仕方ないじゃんか!オレ、マジ心配したんだぜ、お前のこと……!」
 弾かれたように顔を上げると泣き腫らした目でメイリンを睨んだ。というよりは切実さが混じった瞳を向けた。無理はない。大戦時の最終局面では各軍入り乱れての攻防に、メイリン自身もかねての介入軍に拾われるなどとよく分からないことになってしまっていた。しかも、メイリンなど死亡したことにされていたのだから。
 ずずっと鼻を鳴らす様子に込み上げるメイリンの感想としては、“あーあ”だが、持っていたポーチからハンカチを一枚取り出すと、ヴィーノに向けて差し出す。十歩の距離を縮めて少年が受けとる。少し恥ずかしそうに顔を赤らめ、
「ありがとう……」
と言った。


【parting of the way】


 暑くもなく寒くもなく。常に心地好いと感じるようにセッティングされた気温。それ故に気候に対する感動というものが、プラントにいるとどうしても無くなってしまう。前髪を少しだけ揺らす程度に吹いているこの風は、一体どこから吹いているのだろう?ふと、ぼーっと考えてしまう。普段なら思い付かないようなことだが、一時でも地球の空気に触れたことのあるメイリンだから持てた疑問だ。だと言ってもプラントの気候システムのことなどメイリンには分からないし、そのうち興味も無くなってしまい、膝の上で紅茶の半分ほど残った缶を手持ちぶさたに弄ぶ。隣には同じようにベンチに腰をおろしたヴィーノがいた。彼も飲み終えたジュースを手の中でころころと弄び、末に少し離れたところにあるゴミ箱に無造作に放った。缶はゴミ箱の縁に当たって地面に落ちた。ヴィーノが“げ……”と呟いて、いそいそとゴミ箱に向かう。拾って、押し込んだ。
 メイリンはその様子を半ば白けた気分で眺める。
 メイリンが軍に所属していた頃と何ら変わらない光景が、そこにあった。今となっては随分と昔のように感じるが、あのミネルバに乗っていた頃もよくこうしてドリンクを飲みながら、先の見えない不安をレクルームで愚痴りあっていたっけ。それはメイリンにとっての一つの心安らげる時間であり空間でもあった。
「なーんか全然変わらないね、ヴィーノって」
「そんなことねーよ!所属だって変わったし、担当MSとかも……」
「……そういうところが変わってないんだってば」
 言って、呆れたような溜め息を一つ吐く。その割にはどこか彼のそんな様子に安心してしまう自分がいる。自分の環境も周りも世界もまた随分と変わったけれど、ヴィーノはあの頃と変わらない彼のままだ。メイリンが士官学校時代からよく知っているヴィーノ・デュプレのままだ。否、もしかすると彼の言う通り、彼とてメイリンの知らないところで変わり続けているのかもしれない。きっとそうなのだろう。そして、たとえそうだとしても、今隣にいる彼が相変わらずだということにメイリンは安心する。彼とメイリンだから醸し出せる、メイリンの一番落ち着ける雰囲気に、今は身を任せる。
「知ってたでしょ?わたしがあんなことになってたって」
「すぐに知った訳じゃないんだ。オレ達だって、最後は総員退艦させられてたし。でもシンもルナもやっと戻ってきて、……ルナに聞いたよ。その、メイリンのこと」
 別に会おうと打ち合わせて会った訳でもなく、本当に偶然再会してしまった。それも、久しぶりにだ。メイリンの顔を認識した瞬間にヴィーノは泣き出し、メイリンはどこか冷めたような気持ちでそれを見守った。それ故、何故彼があんなに泣いたのかを疑問に思うのだ。
「でも、生きてるって分かってたって、実際に会うのと会わないのとではやっぱ違うだろ!そりゃ泣くよ!」
「泣くの?」
「泣くよ!!」
 また泣き出してしまうのではないかと思うほど顔を真っ赤にしてヴィーノが叫ぶ。元よりメイリンの知っているヴィーノはやや幼いところがある。仲の良いクルーの中でも特に感情表現が豊かだとはメイリンから見ても思う。自分もそうだとは言われる立場だが、絶対ヴィーノの方が子どもだと思う。間違いなく。
「で、ルナとは会ってんの?」
「時々ね。ていうか何?姉妹っていうのはそんなにしょっちゅうしょっちゅう会ってないといけないの?」
「な、何怒ってんだよ……」
「別に。怒ってない」
 困ったような顔をしてたじろぐヴィーノから顔を背けてしまう。本当に怒っている訳ではないのだが、思わずムキになってしまった。
「あんまり無理して会いたいとは思わないよ」
「え……?」
「……おねえちゃん、シンばっかりだもん」
 仕方がないことなのかもしれないが、ルナマリアはここのところメイリンよりシンを優先する。以前より、何かにつけてシンの世話を焼いていたルナマリアだ。そのスタイルは今でも変わらない。
 士官学校時代に、触ると切れそうなナイフのような雰囲気のシンがメイリンは怖くて、ルナマリアに一度聞いたことがある。“何であんな怖い人といつも一緒にいるの?”と。姉は一瞬きょとんとなった。“怖い人って?”と聞く。メイリンが誰にも聞こえないようにぼそぼそと名を告げる。“あぁ、シン・アスカのこと?っていうかなに?メイリン、あんなのが怖いの?”姉は何でもないかのようにカラカラと笑った。そしてこう言う。
『ほっとけないのよ』
 そう言ってシンの後を追いかけるルナマリアを、メイリンは士官学校を卒業した後もずっと見てきた。でも、最近のルナマリアはそういう雰囲気ではない気がするのだ。それはきっと、ルナマリアとシンの関係が少しだけ変わったせいなのだろう。メイリンは知っている。ルナマリアのシンを見る目は、士官学校時代やメイリンがミネルバに乗っていた時のものではない。あれは、異性を見る目だ。愛しみ、慈しんでいる目だ。前はああじゃなかった。では、それはいつからそうなったのかと言うと、明らかに自分がアスラン・ザラを追ってミネルバを出た後だ。それより前はいつものルナマリアだった。だとしたらそれしか考えられない。
 その後に起こったことをメイリンは忘れない。なのに、それをした人を、メイリンを殺しかけた人間を、ルナマリアはそんな目で見る。妹としては辛すぎる状況だ。分かたれたのだと思った。もう同じ道を歩くことは出来ないのだと。ルナマリアはシンの背を追いかけ、メイリンはそれとは違う道を往く。正直、寂しいと思うところがあるのかもしれない。何て下らない感情。何て子どもじみた考え。そしてメイリンは姉のことが大好きだったのだ。
 こんな自分を隣に座るヴィーノはどう思ってるのだろう。やっぱりお前の方が子どもだと、笑うだろうか?自嘲めいた気持ちで顔を上げる。笑っていると思った彼は、思い詰めたようにメイリンを見つめていた。
「その……、何て言ったらいいか、分かんないんだけど……」
 メイリンは次の言葉をじっと待つ。唇を震わせて何かを言おうとした彼は、いきなり“あーー!!”と叫んだかと思うと、頭をがしがしと掻いた。
「な、何なの……?」
「……オレさ、グフが撃墜されたあの日、帰ってきたシンの顔、まともに見れなかったんだ」
「え……?」
「軍人だから仕方ないって、命令だからって……、でもシンが討ったのは今までみたいに地球軍とかアークエンジェルでもなくて、……それで、メイリンとアスラン隊長が何でそんなことになって脱走したのかとかも、ほんと全部が訳分かんなくて……」
「………」
「あの時……オレ、あいつに……シンに何か言いたかったはずなのに、見たらシンも信じられねーくらい思い詰めた顔しててさ……、はは……、それから後も何も言えなかったんだ」
 言いたいのに言えなかった何か。それはきっとヴィーノの感情そのものに違いない。ヴィーノはよく言葉に感情を混ぜ込ませる。それはメイリンにとっては眩しくあり、羨ましくもある。
 辛そうな顔で途切れとぎれに言葉を紡いでゆくヴィーノの顔をそれ以上は見ることが出来ずにメイリンは顔を俯かせた。膝の上に置いた拳をぎゅっと握る。
「あいつは友達だ。いや、これからもずっと友達でいたい。これからも一緒に喋ったり、笑ったり、ふざけあったりしたいんだ。でも、おかしいんだよ。何か、前みたいにうまく笑えないんだ……!」
 そう言って引きつった笑いを浮かべるヴィーノを見た瞬間に、メイリンは泣きそうになった。
 何故だろう。
 何故自分達はこうなってしまったんだろう。
 一つの歯車が歪み、外れ、全部が軋みを上げて崩れてゆく。
 変化するということが人生において逃れられないことならば、人生というものは何と苦しいものなのだろう。
「わたしも……、前みたいに一緒に笑えたらって、思うよ」
 でもそう出来ない確信がある。
 メイリンは少し、シンのことが苦手になった。
 彼の技量、気迫、感情の爆発。あの日、グフのコックピットの中で通信機越しのアスランとシンのやり取りをメイリンも聴いていた。
 自分達を今まさに堕とそうと猛追してくるのは本当にあのシンなのだろうか。
 本気?本気で自分達を殺そうとしてる?でもシンだもの。きっとそんなはずない。だって乗ってるのがわたし達……。それにアスランさんがシンに堕とされることなんて絶対ない。なのにあの新しい機体……、速い。怖い。あれは本当にシン?殺すの?わたし達を?この叫んでる人は本当にシン・アスカなの?
 グフが新しい機体に剣で刺し貫かれたのが衝撃で伝わってきた瞬間は、何が起こったのか分からなかった。ただ恐怖でシートにしがみつき、叫んでいた。アスランでもその状態からどうすることも出来ず、グフが明らかに落下していると肌で感じた時は、あぁ、死ぬのかな、と思った。
 それをどうしても思い出してしまう。あの時感じた恐怖が、絶望が、心と体にまとわりついている。
 きっと自分は、シン・アスカの前で普通に笑えない。でも……。
「オレ達、前みたいに戻れるのかな……?」
 “戻れる”と言いたい。でもそれはただの願望でしかない。本当は、“分からない”だ。きっともう、自分達は進みすぎてしまったのだ。それぞれが選んだ、それぞれが進まなければならない道へ。
 答えたくても唇は震えるだけで声が出せない。言葉が出てこない。それを隣で見たヴィーノは何かを感じ取ったのか、ため息を一つ吐いて、乾いた声で笑った。そして、おもむろに立ち上がる。
「ヴィーノ?」
「帰るわ。そろそろ」
「……そう」
「お前、生きてて本当に良かった。会えて良かったよ。元気そうだし」
「ヴィーノもね」
 メイリンも立ち上がる。 何かを我慢しているかのようにヴィーノの両腕が震えている。こういう時、何か気の利いたことでも言えればいいのだけれど、相手はヴィーノだ。アスランならともかく、ヴィーノなのだからしおらしいことの一つも言えない。
 メイリンは右手を差し出した。そしてぽつりと漏らす。
「また、会えるよね……?」
 一瞬だけびっくりしたようにメイリンの手を凝視していた顔がすぐに嬉しそうにほころんだ。それを見たメイリンは心から安堵する。
「当たり前だ!」
 固く握り返してくれた友人の手は、以前と変わらず、あたたかかった。



[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!