[携帯モード] [URL送信]

*destiny*
nonaggression
 嫌な人間に会ってしまったものだと、舌打ちをしたくなった。実際していたかもしれないが。こちらの視線に気付いた少女は、その勝ち気そうな雰囲気を持つ切れ長の目からは想像出来ないほどの消え入りそうな声で、“お疲れさまです。”と、呟いた。顔を見るのが苦痛だった。見ると、どうしても最愛だった妹のことを思い出してしまうから。妹と同じマニュアル通りの文章で喋る少女の声を機器ごしに聞いて思い浮かぶ言葉は、“替え玉”“すげ替え”“代役”そして、“使い捨て”。故に、いつまで経っても慣れない。彼女の声に。慣れたくない。慣れるというのはそれ即ち、妹の存在が完全に掻き消えるということだ。だからルナマリア・ホークは、彼女の声を聞くだけで吐き気がするのだ。


【nonaggression】


 妹の代わりに新しくオペレーターに就いた少女の名は、アビー・ウインザーといった。恐らくブリッジでは軽く紹介などもあったかもしれないが、ルナマリアは知らない。気付けばいつの間にか変わっていた。コックピット内の通信機器ごしに、彼女の存在を知った。
 アビーの声はいつも淡々としていた。発進シークエンスの時も、インパルスを換装させる時も、その声のトーンはいつだって変わらなかった。まるで機械か人形が喋ってるみたいだと思った。よくもまぁ、こんな逸材がミネルバにいたものだ。
 それに比べると、妹は自らの感情を声に滲ませることが多かった。自軍のモビルスーツが危機に扮すると、その声は怯えたものだったし、いつかルナマリアがザクを大破させた時には、薄れてゆく意識の中、泣きそうな声で“お姉ちゃん”と叫ぶのを聞いた。アカデミーの通信科を中の上で卒業した妹は、ひょっとしたら軍のオペレーターとしては少し未熟だったのかもしれない。何故、ミネルバのオペレーターに妹が選ばれたのか、詳細はルナマリアには勿論分からないが(姉が乗っているからという理由ではなさそうだ)、それでも妹の声が通信機器ごしにいつも聞こえてきたから、ルナマリアは今日まで安心してモビルスーツに乗ってこれたのだと思う。少なくともあの機械みたいな声よりかは幾分も良かった。
 その妹が今はもういないことを、今同じ一つの部屋の椅子に腰かけて休憩をとるこの少女は、その身をもってして、証明している。
「……っ」
 ルナマリアの、ドリンクを持つ手が震える。アビー・ウインザーがそうさせている。胸の中がもやもやとして、むかむかとして、吐きそうになる。それでもレクルームから出て行こうとは思わない。それほどまでに体が疲弊していて動きたくなかったし、何より何でこの少女の為に自分が動かなければならないのか。そういった憤りの気持ちが、ルナマリアをそこへ留まらせた。
 ルナマリアはシン・アスカほど突発的にものを言ったりしないが、レイ・ザ・バレルほど冷静でもない。故に突発的にものを言うシンとはよく口喧嘩になったりするし、戦闘中の感情が高ぶっている時などはトリガーを引きながらよく何事かを喚いていることも多かった。しかし大方ルナマリアは覚えてもいないが。
「……何でっ」
 容量オーバーを迎えたどうしようもない感情は、意思とは関係なく溢れ落ちてゆく。
「何であなたがそこにいるの……」
 “え?”という表情を、アビーはルナマリアに向けた。ルナマリアはアビーの方を見ようともせず、うつむいている。視線は自身の膝に固定されたままだ。
「何であなたがそこにいるのよ……」
 独り言のように呟く。それが果たして自分に向けられた言葉なのか分からないアビーは、返答をして良いものなのかと視線をさ迷わせた。少し沈黙を置いてから、おずおずと答える。
「あの……、私、今オフですから……」
 ルナマリアが顔を上げた。初めてアビーの顔を見た。訳が分からないという表情でルナマリアを見つめ返すおどおどとした様子が、ルナマリアをさらに苛立たせる。これは、何も分かっていない顔だ。蚊帳の外にいる者の目だ。
 ──何も分かんないくせに、何で、何で……!!
「そこはメイリンの場所なのよっ!!」
 そう、吐き捨てると、アビーの表情が一瞬強ばった。一応、“メイリン”という名が誰のものなのかは理解しているようだ。そして、ルナマリアがメイリンとどのような関係であるのかも。
 単なる八つ当たりだということなんかとうに分かっていた。自分が軍人である限り、妹が軍人である限り、無事で居続ける保証などどこにも在りはしないのだと分かっていた。そういう環境に自分達は理解して身を投じたのだと。休戦協定が破られたあの日から、いつ死んでもおかしくはない状況になったのだと。
 それが、“分かっていたつもり”だったということを今、思い知る。
 前線で仲間が討たれたときに流した涙は嘘じゃない。虚空に消えた叫びは決して嘘じゃない。なのに、今ルナマリアは思う。どうしてうちのメイリンが死ななければならないのかと。どうして他の誰でもなく、メイリンなのだと。今ルナマリアは初めて実感をする。
 “妹が死んだ。”
 “メイリンが死んだ。”
 死は誰にでも平等で、誰の傍にも迫っているのだと、今、痛感をする。
 分かっている。何度も泣いた。何度も名前を呼んだ。もうこの世にはいないのだと、逢うことはけっして叶わないのだと知りながら。ルナマリアは知っているのに。
「メイリンさんは──」
 アビーが口を開く。
「もう、いらっしゃいません」
 アビーが追い討ちをかける。メイリン・ホークにとって換わった目の前の“新しい”オペレーターが。
 乾いた音が、部屋に響いた。

 以前にシンが、“おれ殺したい?”と言った。ルナマリアは“そんなことない”と答えた。そうじゃない。そんな風に考えたことがなかった。確かにメイリンはシンが討った。殺した者と殺された者。そして無関係ではない自分。立場的で言えばルナマリアはシンを恨んだって、殺したいと思ったって、何らおかしくない関係性なのかもしれない。
 でもそうじゃない。
 正直に言えば、失いたくないのだ。自分の居場所を。
 メイリンがいなくなったことの喪失感は、ルナマリアの世界を極端に狭めた。自分がいていい場所。自分がいたい場所。それが急に小さく、少なくなった気がするのだ。
 どこにいたらいい?
 誰といればいい?
 そう考えると、ルナマリアはシンを思い浮かべる。そこにいればルナマリアは安心できる。自分が自分でいられる。だからルナマリアはシンを失いたくない。シンを殺さない。ルナマリアがいていい場所を、ルナマリアは無くしたくないのだ。

 無意識だった。
 ソファーを蹴るように立ち上がった記憶もない。手の平の衝撃も分からない。ただ、呼吸が正常に戻ると、痛々しく頬の赤くなったアビーが左を向かされたままうつむいているのを見て、自分が彼女を叩いてしまったのだということに初めて気が付いた。
「あ……」
 彼女は敵じゃない。同じ陣営の仲間だ。何の罪もない、ただミネルバの新しいオペレーターに任命されただけの少女だということにも、改めて気が付く。
「ごめん、なさい……」
「……いえ、私も……すみません……」
 わずかに乱れた髪の毛を直し、アビーがソファーを立つ。休憩時間の終わりなのか、それともルナマリアに嫌悪感を抱いてこの部屋から出ていこうというのか。その頬はまだ少し赤い。ルナマリアの心がズキリと痛んだ。しかしレクルームを出ていこうとする後ろ姿にどんな言葉をかけていいのか分からずにただその背中を見つめることしか出来ない。
「私は──」
 扉の手前でアビーは唐突に足を止めた。前を向いたまま口を開く。
「ミネルバに乗れと命令を受けました。だから、ここにいます」
 そう、通信機器越しから聞こえるあの淡々とした声で言うと、出ていってしまった。
 アビー・ウインザーは、自分の居場所はここだと、ブリッジのオペレーター席が自分のいるべき場所だと言っている。それをルナマリアがとやかく言えることではないということも。たとえルナマリアが、メイリンの姉だとしてもだ。そこはもう、メイリン・ホークの居場所ではない。アビー・ウインザーの世界なのだ。
 与えられた居場所。いつの間にか居場所になった場所。不可侵領域。人は領域と領域の間でいつでもせめぎ合う。
 ソファーを何とはなしに撫でる。革製の冷たさに思わず顔をしかめた。一人になったレクルームは、急に空気が圧縮したような感じがして、無意識に肺が酸素を求めて呼吸が早くなる。
 ──いたくない。ここにいたくない……。
 何故だか無性にシンに会いたくなって、ルナマリアはレクルームを飛び出した。




[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!