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*destiny*
fellow feeling
【fellow feeling】


 窓の外の空はどこまでも澄んでいた。吸い込まれそうな青。まばらに浮かぶ白。いつか見た地球の空と、一見何ら変わらないように見える人工の空。しかしこの空には確かに種も仕掛けも隔たりも限界もある。この青を映し出している装置は地上からの肉眼では確認出来ないが、もし空の青に透けてそんなものが見えでもしたらきっと、この気持ちも萎れてしまうに違いない。それが見えないからこそ、こんなに空が綺麗だと思うことが出来る。きっとこの装置を作った科学者は、相当空が大好きだったのだろうなと、ルナマリアは思う。
「あー……、空が綺麗」
「人工だろ」
 雰囲気ぶち壊しの言葉が情け容赦なく返ってきた。先ほどまで窓から吹き込んでいた心地好い風も“人工”と聞いた途端に心地好さは一編に失われる。さらさらと揺られる前髪を上目遣いで見ながら、その表情は憮然としたものに変わった。
「あんたねー、人がせっかく良い気持ちに浸ってるところに思いっきり太い五寸釘刺さないでくれる?」
「何だよ。本当の事言っただけだろ?プラントの空なんて所詮偽物なんだから」
「偽物って、あたしにはこの空が本物なのよ。それに、プラントの空も地球のも区別なんてつかないわよ」
「あのな、全っ然違うから!!」
 持っていたモップを放り出してまでこちらに向き直り、すごい剣幕でそう言う彼もきっと空の装置を作った科学者と同じくらいかきっとそれ以上に空が好きなんだろう。
「プラントの風には匂いがないんだよ!」
 モップの柄部分先端に組んだ手に顎を乗せ、依然として力説する少年をぼーっと眺める。正直、地球の空だとか風だとか空気だとかルナマリアにはどうでも良い。気付けばいつの間にか海の話になっているし。もしかすると空だけではなく、地球が大好きなのではないか、いや、むしろ──。
「シン。あんたって本当にオーブが好きなのねー」
「なっ!バカ言うな!誰があんな国っ……!!」
 そう言ってむきになって反論するところなんて本心丸分かりなのだけれど、あえてルナマリアは言わないでおいた。それに、一瞬見えた炎。単純にどこかで火が燃えているのではなく、目の前の少年の眸に一瞬だが確かに暗い炎がゆらめくのが見えたのだ。肌の粟立つ感覚を覚える。それは触ってはいけないところ。立ち入る事を許されない領域だという事が分かる。それが何なのかはルナマリアには分からないけれど、気になるけれど、まだだ。まだ聞けない。きっとそれを聞くには、ルナマリアは早すぎる。そんな気がした。
「まぁ何にしても……」
 放り出したモップを拾い、シンに手渡した。
「現実逃避なんてしてる場合じゃないんだけどね、あたし達」
「してんのはお前だろ!大体、“空がキレイ〜〜”だとか何とか言って……」
「あんたね……、よく言うわよ。自分だって海だとか山だとか語りまくってめちゃくちゃ逃避してたじゃない」
「〜〜〜!!」
 シンの顔が真っ赤に染まった。いつもならここで手が出てくるはずだ。しかし今日の彼は素手ではなくてモップを装備中。万が一に備えてルナマリアもモップを地面と水平に頭の上で掲げると、ガードのポーズをとった。
「……やめた」
「えっ?」
 拍子抜けしたようにガードポーズのままのルナマリア。てっきりガードを見越したチョップなりカットなり来ると思ったのに。からん、ともう一度モップの地面に落ちる音。
「やめた。帰る」
「はぁ?」
「やってられるか!こんなこと」
 振り返るホールは広大。人気は皆無。怒りと諦めの交じった声が二人だけの広間にこだました。
「確かにやってられないわよ、あたしだって」
 言ってみればそれはシン・アスカとルナマリア・ホーク、二人への罰だった。アカデミー随一の広さを誇る一階玄関ホール。それの床磨き。ただひたすら床磨き。使う道具はモップと己の肉体のみ。他の場所では清掃機たちが電子音や機械音を発しながら床を掃いて磨いてあっという間に綺麗にしてゆく。なるほど。これほどまでに不快感を覚える義務作業は他にないだろう。確かに罰にはおあつらえ向きの作業だ。第一、ルナマリアの手の中にある原始的な清掃器具が今のプラントのアカデミーに存在している意味が分からない。──あ、罰の為か。
「だったらルナも帰れよ。お前がこんな罰を受ける理由なんてないだろ」
「あるわよ。あたしも名指しされたんだし」
「別に、ルナは悪くないじゃんか!悪いのは──」
 悪いのは、女に負けた腹いせに下らない野次を入れてきたあいつら?それを面倒だからって無視してたあたし?見かねて言い返してくれたシン?それとも教官の言ったとおり、やっぱり騒動の中心にいたあたし達?
「分かんないわよ、そんなの」
 言ったものの心では薄々分かっている。多分それは自分の所為だ。“そういう事”は今回が初めてではない為に、下らない、反応するだけ無駄だと学んだルナマリアの、言いたい連中には言わせておけばいいとする行動がこのような自体を招いた。それはやっぱり他でもない、自分の所為なのだろう。ただ今回は少し奴らの度が過ぎていた事と、その場にシンが居合わせた事とがいつもとは違う点だった。だとすれば、彼だけはせめて返してあげなければならない。巻き込んだのは自分だ。
「あんたは帰っていいわよ。後はあたしがやっとくから」
 しかしてっきりそのまま帰るものと思っていたのに、シンは出し抜けにモップを拾うとくるりとルナマリアに背を向けた。きょとんとなったルナマリアの耳に、表情の分からない彼の言葉が届く。
「……別に、帰ってもする事ないから」
 何だかさっきと言ってる事が矛盾してるような気がするのだが、それを彼自身分かっているからかそれに対する照れ隠しなのか、そっぽを向いて言ったシンがひどく可愛らしくて、ついルナマリアは笑ってしまう。あぁ、この子は。どこまでも不器用で、それ故にどこまでも損をしてしまう性分なのだろう。
「なっ、何だよ!何がおかしいんだよっ!」
 ただ素直に嬉しかった。その不器用な優しさが。
「ううん。何でもない。ありがとうね、シン」
 怒ったような少年の顔は、彼の眸の色に負けないくらい真っ赤だった。

 清掃機はロビーの掃除をそのプログラミングから外されており、ロビー以外の場所でくるくるとよく働く。それを恨めしそうに見やり溜め息と共にルナマリアは呟いた。
「あれ作った人、ほんとに尊敬するわよ……」
「あれぐらいおれだって作れるけど」
「はぁ?シンが?無理に決まってるじゃない」
「バカにすんなよ!……まぁ、ルナマリアには無理だと思うけど」
「なんですって!……っていうか、まぁ本当に無理なんだけど」
 清掃作業を再開してから三十分後。終了した範囲は全体の二分の一を占めた。残り後二分の一。つまり半分。まだ半分。これからさらに磨いていかなければならない範囲を遠い目で見つめながら、ルナマリアは頭では全く別の事を考えていた。
「あの時ね、あぁ、こいつらまたか、って思って。でも、こんな奴らの為にわざと負けるなんてもっと嫌で」
「そうだよ。ルナも何か言い返してやればよかったのに……」
「あたしだって言われっぱなしなんて嫌だもの。でも、だんだん馬鹿らしくなってきて。だから実力で見返してやろうと思って」
 ルナマリアの目は、自嘲したような、それでいて諦めきったようなもので、いつもの力強さが宿ってはいない。シンの眸は怪訝そうに、何かを探るかのようにそんなルナマリアを見つめる。
「だからあの時ね、シンが来てくれて嬉しかった。スカッとした。ざまあみろって、思っちゃった」
 他力本願、なのかも知れないけど。
「当たり前だろ。ルナが、仲間があそこまで言われて黙って見てられるかよ」
 ルナマリアの心臓が一度どきりと跳ねた。それから胸がつかえるような違和感。
 そうだ。シンはいつだって優しい。ぶっきらぼうで、もどかしいくらいに不器用だけどとっても仲間想いで。これからも彼は、その優しさで多くの仲間たちを守っていくのだろう。自分とは違う、誰かを。そう思うと少しだけ、本当に少しだけその誰かが羨ましくなった。そこに自分は居たりするのだろうか?
 胸の違和感は取れなかった。もやもやを振り払うように、大袈裟な仕草でシンの首に腕を回す。抱きつき、というよりは軍格闘術がかった絞め技。
「ぅわっ!?」
「シンのそういうとこ、大好きだなー、あたしっ」
「何すんだよ!やめろっての!!」
 空は相変わらず青くて、人工の雲がまばらに浮かんでいる。情報によれば今日は晴れの日との事。人気もなくひっそりとしたロビー。人のたくさん行き交う時間に惨めったらしく見せ物のように清掃作業をするのも癪だが、こんなに静かなら、いい。何よりシンと一緒にこんなのんびりした時間を過ごすのも、悪い気はしない。
 ──なんたって飽きないし。
「はぁー、しあわせ」
「どこのオヤジだよ……」
 心底呆れたようなシンの突っ込みも、むしろ心地よかった。




 ここまで読んで下さってありがとうございます。
 アカデミー時代。きっと彼らの周りには騒動が絶えなかったはず。勝ち気だからこそ、耐える。ルナマリアも負けず嫌いだとは思うけど(アスランを挑発したり)、シンほど突っかかっていく事はしないはず。シンは理不尽な事が嫌いだからこそ(インパルスで軍施設を破壊したりとか)、そんな境遇のルナマリアを庇って一悶着起こしては教官に罰を頂いちゃったりしてたんだろうなー、と思うのです。


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あきゅろす。
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