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*destiny*
the door
【the door】


 迷うと必ず携帯電話を開く。およそ男が持つには少しばかり不似合いな、ピンク色の端末だ。ストラップが一つ付いている。可愛い、女の子好みのデザインのものである。シンが付けたものではない。でも、これがいつ、どのようにして付けられたのかは知っている。よく覚えている。
 端末を開くと、あどけなく屈託のない表情で笑う女の子の姿があった。クッキーのたくさん乗った、天板を両手に抱えている。
『お兄ちゃん、ほらっ!美味しそうでしょ?』
 在りし日の妹の声が鮮明に蘇る。撮って撮ってとせがまれて半ば嘆息しながら画面内に妹を収める。合図を送ると少女は輝いた笑顔を見せた。笑顔の持ち主は、今はもういない。
 あの頃からでは考えもつかない立場の中、考えもつかない服装に身を包み、それでも誓った決意がぐらぐらと音を立てて傾きかけるのを必死に正そうとしてシンは自分に言い聞かせる。
 ──おれは大丈夫だよな?
 ──おれは間違っていないよな?
 そうだと誰かに言って欲しかった。問題ないのだと。シン・アスカはこれでいいのだと。全ての確信が欲しかった。携帯電話の中の少女はもういない。喋ったりしない。今のシンを見てなんかいない。彼女が笑顔で見つめているのは、億劫そうにシャッターを切るあの日の自分だ。それでもそれにすがる様な想いで、軍人シンは語りかけた。
「おれは、これでいいんだよな、マユ……!」

 携帯電話が鳴った。着信だ。少しくぐもった音は、シンがそれをコートのポケットから取り出すと鮮明な音を響かせた。軍から支給された最新の端末である。色はシルバー。本当は私用で使うと怒られる上に料金も給料から引かれるのだけれど、それでも構わずにこうして電話をかけてくる人物を一人知っている。画面を開くと、ほら。見知った名前が早く出ろと言わんばかりに自己主張をしていた。
〈シン?〉
 こちらが喋る前にそう聞かれた。
「そうだけど」
〈良かった。今時間大丈夫?〉
「大丈夫だけど。何?どうしたの」
〈や、別にたいした事じゃないんだけどね。ちょっと声聞きたいな、と思って〉
 そう言って電話ごしに少女がばつが悪そうに笑うので、シンもこっそりと嘆息気味に安堵した。
「久しぶり、ルナ」

 電話ごしに聞こえてきたのが溜め息だったため、タイミングを誤ったものだと錯覚し不安を覚えた。しかしその後すぐに聞こえた“久しぶり”という言葉にはどこか温かな響きがあった。聴きたかった声、懐かしい響き。前に電話をかけたのがたったの一週間前だというのに、ルナマリアの胸にどうしようもないほどの嬉しさが込み上げた。“久しぶり”という表現もどこかおかしいような気がして、もしかするとシンの方も電話を心待ちにしていたのだろうか、なんて勝手な考えを、
 ──まさかね。だってシンだもの。
 少しばかり失礼な思い込みで打ち消す。
 しかしこの少年の鈍さといったら半端ないのだ。いくらMSパイロット達の中でも有名である“男勝りな”ルナマリア・ホークだと言っても、やはり女だ。不安な事があれば寄り添いたくもなる。探して探してようやく見つけた彼が、射撃訓練場で拳銃を片手に“あれ、どうしたの、ルナ”なんて能天気な言葉を口にした時には、何でこんな子を好きになってしまったんだろうと、本気で考えた事もあった。でもそこは考えても仕方無い。気持ちや感情の奥底というより本能の問題だ。きっとそんなシンだから自分は好きなのだ。
〈……ルナ?〉
「あ?えっ?な、何?」
〈何って……。どうしたんだよ。黙りこくって〉
〈えっと、あ〜……、ごめん。何でもない。ちょっとぼーっとしてた〉

 ルナマリアは嘘つきだと、シンは思う。昔からそうだ。といってもそんなに昔から彼女を知っている訳ではないが、せいぜい四、五年くらいか。アカデミーの頃からの付き合いのある自分にそんな安い嘘が通用するとでも思っているのだろうか。
 考えなくとも分かる。声が彼女の様子を物語る。明らかに疲れを滲ませた、“何でもない”に、
 ──ルナのやつ、一体どこが“何でもない”だよ。
 心中で悪態をつき、電話ごしに眉間のしわが寄った。いずれもルナマリアには見えない。聞こえない。携帯電話が伝えるのはお互いの肉声のみで、実際二人の間には気の遠くなるくらいの距離がある。すなわち、今シンにしてやれる事は彼女を気遣う事しかない。
「大丈夫かよ、お前」
〈ん、大丈夫よ。あたしを誰だと思ってんのよ〉
 予想通りの強がりだ。思わず洩れてしまった溜め息を耳ざとく聞き付けたルナマリアが、電話ごしに“何よぉ!”と怒っていた。
「で、今日はもう終わりなのか?」
〈え?うん、もう終わった〉
 “訓練規程が”という意味をどうやら正しく解釈してくれたらしい。ついでにさっきの怒りはどこかへ飛んでいったようだ。全く。女ってのは、気持ちが移ろいやすいというか、ムラがあるというか──。
〈あんたこそゆっくり出来たわけ?明日帰ってくるんでしょ?〉
「あぁ、まぁ……。うん」
〈何よそれ。はっきりしない返事ね。ま、いいけど。それよりそっち、寒いんでしょ?〉
「……は?」
〈降ってるんでしょ?〉
「何……」
〈雪〉
「………」

 携帯電話を耳から離し、思わずスピーカーを睨み付けた。今、確実に、吹いた──音がした。
 ──何?今あたし何か変な事言ったっけ?
〈──ルナ〉
 再び耳に充ててみる。どこか呆れたような声色。その様子にちょっとムッとしてしまうところなんか、シンの事を短気だとか言えないかもしれない。自然と眉間が寄り唇が尖るがいずれもシンには見えていない。
〈あのなぁ。ここ、オーブだぞ〉
 顔から火が出そうになった。

 携帯電話を再びポケットにしまうと、足元の慰霊碑に目を落とす。綺麗に掃除され整えられているのは、管理している係りの手によるものだろうか。それとも、自分以外にこんな石碑を誰かの墓だと参りに来る者によっての事だろうか。これを見ても、もうかつてのような憎悪や悲しみは沸いてこない。ただ少しの淋しさが、背中から這い上がって胸へと宿り脳天にじわじわと染み込んでいくだけだ。
 左のポケットからピンク色の携帯電話を取り出す。開くと目に入るのは愛らしい笑顔の少女だ。次の画面に父と母がいた。少し照れたような顔で苦笑している。その次の画面には平和そうな顔の自分が写っている。いつ撮られた写真だろうか。思い起こす事すら難しく、随分と昔のように感じられた。
 無意識に手が右のポケットへと伸びる。それを開くとボタンを押した。

〈シン?何、どうしたの?今ちょっと忙しいんだけど〉
 言葉に詰まった。普段自分から電話をかけないだけに、このあまりの物言いにそれをしたことを少し後悔してしまう。やっぱり慣れないことはするものではない。いざという時に戸惑い対応が出来ないのだ。
〈シン?〉
〈……やっぱりいい。別に用って程のことでもないから〉
〈はっは〜ん……。さてはあんた、淋しくなっちゃったんでしょ!〉
「な……!?」
〈あたしに会いたくなっちゃったんでしょ。違う?〉
「……っ!誰がだよっ!」
〈なぁに?会いたくないわけ?〉
「別に──」

〈シンッ!!〉
 一瞬自分の耳を疑った。変な声の聴こえ方がしたからだ。電話を充てた右耳からは電話ごしの彼女の声が。周りの音を拾うだけの左耳からも同じ声が、何故か肉声で聴こえたのだ。この間の健康診断の時の聴力検査では、確か異常なしだったはずなのに。不思議に思い立ち尽くしていると、それはもう一度聴こえた。
「シンッ!何ぼーっとしてるのよ!」
 今度は見たとおりちゃんと肉声で。
〈会いたくないって言うから会いに来てあげたわよ〉
 しかし彼女は電話ごしに声を投げてきた。シンも倣ってマイクへと返事を返す。
「別に会いたくないなんて言ってないだろ」
〈じゃあ、やっぱり会いたかったんだ?〉
 ルナマリアがゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。勝ち誇ったような笑顔が、何かむかつく。
「おれ、明日には戻るんだけど」
〈知ってるわよ。一緒に戻ればいいじゃない。あたしも明日はオンだもの。午後からだけど〉

 迷うと開くピンク色の携帯電話があった。それは半ばシンにとっての習慣で、いわば癖のようなもの。それが段々と開かれる回数が減ってきているのに、当の本人は気付かない。代わりに最近になって頻繁に開かれる銀色の携帯電話がある。それも自分からではなく相手の着信があってのもの。知らず知らずに開かされていることに、やはりシンは気付かない。そんな彼にも気付いた事が一つだけ。
 欲しくなった時に欲しかったものが銀色の携帯電話からは届く。
「訳分かんね……。何で来てんだよ」
〈うるさいわねー。細かい事は気にしなくていいのよ〉
 声が、聴こえる。距離がなくなるとルナマリアは電話を切り、仕舞う。勝ち気な蒼い目でシンを見上げていた。シンも電話を切るとコートのポケットに仕舞った。そっと、手を伸ばしてみる。指先が彼女の着ている赤いジャケットに触れた。
 ──届いた。
 思わず、固く抱きしめてしまった。




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