*destiny*
decoy(シン×ルナマリア)
「ゎぷっ?な、何っ?!」
「桜だよ」
「これ……が?」
突然、鼻の頭を襲ったぺとりという奇妙な感触にルナマリアはたじろいだ。張り付いた“何か”を手に取ってみる。
シンが“サクラ”と呼んだそれは、豆つぶ程の大きさの、小さな白い花びらだった。
【decoy】
──少し寒いかも……。
赤道直下の国とはいえ、夜が明けたばかりの丘は風も少し冷たさを孕んでいて涼しすぎるくらいだ。
むき出しの肌は正直で、彼女の意思とは関係無く、うっすらと鳥肌が立つ。向こうを出る前にそんなに寒い事も無いだろうと決め付け、半袖しか持って来なかった事にルナマリア・ホークは大いに後悔した。
「寒くない?」
隣りを歩く少年の言葉に、ルナマリアは先ほど感じた本音を胸の奥にしまい込み、微笑みながら、ううん、別に、と返した。
ここでうっかり、寒いなんて事を言ってしまえば、優しいシンの事だ。きっと彼のジャケットを無理やり着せられるに決まっている。そんな事をしてシンが風邪でも引いたら嫌だし、それに、別に厚着をしなくとも体を暖める方法を彼女は知っていた。
「?」
「ふふっ」
心底嬉しそうにルナマリアの満面に笑みが浮かぶ。
ごく自然にするりと取った彼の手は、やっぱり冷たかった。シンも肌寒さを感じていたのだろう。
しかしこうやって手を繋いでいれば、繋いだ箇所から彼の温かさが流れ込んできて、それが全身にじんわりと広がって、そして寒さなどその内忘れてしまうのだ。
まだはっきりと月の輪郭を空に残したまま、淡紫色の雲の隙間から暁の光条がルナマリアの目へと飛び込む。直射日光をまともに受け、眩しさから手の甲を眼前にかざし、少しだけそれを和らげてみせた。
「もう、朝みたいね」
「……っ。え?あぁ、うん」
「………」
横で如何にも眠たそうに欠伸を噛み殺すシンをルナマリアは半眼で見やる。すると、それが不満だったのか、彼の紅い眸が反抗的な色を湛え、予想通りに口を尖らせた。
「しょうがないだろ?あんまり眠れなかったんだから」
「それはそうだけど……」
だからと言って何もこんな時に欠伸なんてしなくてもいいではないかと、ルナマリアは思う。
今更気を使う様な仲ではない事は解っているが、幸せだった気分に急に水を差された様な気がして、不満げに頬を膨らませた。
自分とてそれほど乙女な方ではない。しかし、シンのデリカシーの無さといったらさすがのルナマリアもほとほと呆れさせられる。
とはいえ、紳士的で気の回るシンというのも怖い気がするが。少し想像してみる。あまりに気持ちが悪くてすぐにやめた。
瞬間。込上げた生欠伸を、ルナマリアは慌ててそっぽを向き、噛み殺す。自分もシンの事を言えないではないか。全く。生理現象というのは恐ろしい。
「ま、ね。あたしもほとんど寝てないし」
などと調子の良い事を言えば、まるで“ほら見ろ”とでも言いたげに、シンの半眼になった目が自分を見下ろした。
「ほら見た事かよ」
やっぱり。
「しょうがないじゃない。時間が無かったんだから」
そう。あれはしょうがない。実際プラントから地球なんてあっと言う間の距離だ。どんなにああいった乗り物に慣れていようと、どれほど眠り心地の良い毛布が用意されていようと、そして隣りに座るのが、安心して無防備な自分を預ける事が出来る、どれだけ頼れる少年だろうと、時間そのものが短くては眠った気にはならない。身体と脳ははっきりと、休息をくれと、叫んでいる。
だけど、それでもルナマリアは満足だった。
確かに時間をケチった所為で眠くて眠くて仕方が無いけれど、お陰でこうして彼と長く一緒に居られる。
それだけで昨日までの訓練の疲れも、それによる全身を包む様な倦怠感も、はたまた有休を二人一緒に取った事で一部に拡がりつつある、自分とシンの関係についての噂も、今は気にならなかった。
気付けば、かなり高い所まで来ていた。小高い丘──というより、むしろ低い山と言った方が正しい様な場所の頂上で、二人は足を止めた。というか、シンがはたと立ち止まったので、ルナマリアもそれに倣った。
「ここなの?」
「そのはずなんだけど……」
どうにもはっきりしないシンの答えに、ルナマリアは訝る。
“淡いピンク色の小さい花”。首を巡らせて辺りを見渡してみても、彼の言う花はどこにも見つからない。
「やっぱり遅かったかぁ……」
「え?今なんて──…わぷっ?な、何っ?!」
彼がぼそりと呟いた言葉が聞き取れず、ルナマリアは聞き返した。その瞬間。強く吹いた突風によって飛ばされて来た“何か”が、彼女の鼻先にへばり付いた。
やはり遅かった様だ。冷静になってみると、すぐに分かる事だ。今はもう四月も終わりで、満開の時期などとうに過ぎている。
──少し散っててもいいから、ルナに見せたかったのにな。
シンの中に諦めと悔しさが込み上げる。
何、と言われたので、桜だよと教えてあげると、彼女は鼻にへばり付いた花びらを手のひらに乗せて、まじまじと眺めていた。
「ふぅん……。花自体はこんなに小さいのね。それに、白い。もっとピンクなのかと思ってた」
率直な感想を彼女が述べる。その次に、彼女の口から恐れていた問いが発せられた。
「で、木はどこにあるの?」
どこにあるも何も、さっきから目の前にでんと立っているし、花だって彼女の靴に踏まれたい放題だ。
「……これだよ」
やるせない気分で、頭上の、花一つ残していない、若葉の生い茂った木を、シンは振り仰いだ。
「あーあ。すっごく期待してたのになー」
「な…っ、……悪かったよっ」
ルナマリアの言葉に、つい言い返してしまいそうになるが、計画性が無かったのは明らかに自分であって、不承不承詫びる。
すると彼女はころっと態度を変えてシンの腕に抱き付いてきた。
「……うそ。有休がなかなか取れなかったもんね。シンのその気持ちだけであたしは満足だから」
優しい言葉を掛けられてもシンの心は晴れず、ぶすっとした顔で歩を進める。
大好きな彼女に一番見せたかったものが見せられなかった。
彼女はそれを納得した上で許してくれている。だけどやっぱり悔しくて仕方がない。
何だかもう全てのものが台無しになった様な気分がしてきて、シンは嘆息した。
「……?」
その時、ふと。落として、無くした物が返ってきた様な気持ちになった。
彼の心を洗い流してくれるかの様な香りが、鼻腔をくすぐる。
「あれ?あんな所に……何?」
それは、人気など、自分達を除くと全く無い様な公園の片隅にちんまりと広がった、露天商の花畑だった。
「へぇ。いろんな種類があるのね。シン、見てかない?」
言われるより先に、シンの視線はもはや一本の苗木に釘付けになっていた。
「いらっしゃい」
「ね、これは何ていう種類なの?」
店の中央に座した露天商の少年と、ルナマリアが何やら会話を交わしているが、シンの耳には入ってこない。
「そんなに珍しい?お兄さん」
「え?あ……」
突然会話を振られ、シンは返答に困った。
「そりゃあ……」
珍しいに決まっている。この時期に咲こうとしているこの花を、シンは見たことがない。
「それはね、何でか知らないけど今頃になって蕾を付けたんだ。旬の時には咲かなかったのにね」
自分より遥かに年下だと思われるのに、そう見せない少年の柔和な笑みと“季節外れの花”とを交互に見比べる。
「わ、可愛いね、それ。何ていう木?」
「これ。下さい」
ルナマリアの言葉を遮ってシンが言う。
心は決まっていた。大木じゃなくても。露天商の苗木でも。それを見せられる事が、シンにとって重要だった。
「まいど」
そう言って柔らかく笑った少年に、シンは酷く安心した。
「また明日から訓練だね」
名残惜しそうに言ったルナマリアに、あ、うん、と返すと、何が不満だったのか、眉根を寄せて半眼で見上げてきた。
「なに?シンは寂しくないの?」
「へ?だって基地でも会えるし……」
そう言うと、ルナマリアは見るからに大仰な溜め息を吐いてみせる。彼女のその態度に何だか居心地が悪くなって、すかさずシンは口を尖らせた。
「な、何だよ」
「もういいわよ……」
何がいいのかは知らないが、シンにはそれ以上追及するつもりも無かった。
手の中の苗木を、満足そうにルナマリアの眼前に突き出す。
「これ、あたしに?」
「うん。どうしても見てもらいたかったから」
言ってからにっこりと笑うと、何故かルナマリアの顔が赤くなる。ほんとにいつもくるくると変わる表情だ。
「ありがと。大切にするね」
この分だと明日には咲きそうだ。その時、きっと同じ様に咲くだろう彼女の笑顔を見たくて、早く明日になればいいのにと、思ってしまった。
「ところで、これ、何の木なの?」
白く、それでいてほんのりと淡いピンク。 まだその頬を、蕾と同じ色に染めたまま、シンは答えた。
「さくら、だよ」
【END】
【後書き】
ここまで呼んで下さってありがとうございます。
出来上がった頃には季節も去ってしまい、季節外れな作品になってしまいました。季節ネタは難しいですι
その後、ルナマリアが毛虫に悩まされたのは言うまでもありません。(台無し)
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