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pane(ユーリ×エステル)

【pane】


 ひどく久しぶりにこの場所へ戻ってきたような気がして、どこか妙な気分になる。何を今更、なんて己を揶揄しながら、歩を進める。目的の人物を視線の先に認識して、ユーリの瞳が穏やかに細められた。エステルが幹の根元辺りに佇んでいる。ピンク色の花びらの優しい雨の中、静かに佇む少女の姿。そのまるで絵画の中のような光景に思わずユーリは足を止めて見入ってしまう。
 不意に、少女が振り返る。手にした杖が、かつんと音を立てた。そのまま首を巡らせて当たりを探っている。それから自信なさげに小さな声で、
「……ユーリ?」
 と呟いた。
 ユーリは目を見開いて絶句する。
 反応が返ってこないことにエステルは肩を落として、また踵を返した。花びらと柔らかな風、絵画の世界に戻ってゆく。
 ユーリは少女との距離を詰めて、声をかけた。
「エステル」
 少女が振り返る。嬉しそうに弾んだ声で、ユーリの名を呼ぶ。杖がかつんと音を立てた。目は閉じられたままだった。
「やっぱり来てくれたんですね。でも、それならどうして返事をしてくれなかったんです?」
「ああ、悪ぃ。まさかあの距離で気付いてるなんて思わなくてな」
 常人でも気付くか気付かないかの距離。エステルの頬にほんのりと赤みが差した。

 エステルが視力を失って、一年が経とうとしていた。
 当初、そんなエステルの身の回りの世話にかつての旅の仲間達は交代でここ、ハルルに訪れていた。勿論ユーリとて例外ではない。それがどうにか落ち着きをみせ、エステルが自立するまでになると、彼女は仲間たちを気遣って一人で暮らすようになった。それ以降は折を見て仲間たちはハルルへとエステルの様子を見に来たり、近況の報告やとりとめもない話をしたり、といった様子になっている。
 その頻度が割かし高いのは、ユーリとリタといったところか。エステル自身は二人の忙しさを慮って体調を気にしているが、しかしやはりどこか嬉しそうなのだった。
「お仕事の方は良いんです?」
「うちの首領は優秀だからな。カロル先生に任せとけばなにも問題ねえよ」
 エステルはユーリの言うことが本気ではないと分かっていながらも、苦笑して、駄目ですよユーリ、と言う。
「んじゃ、戻るか」
 いつもはエステルの方から自宅へと招くのだが、今日はユーリの方からそう言ってみせると、彼女はきょとんとなって目を閉じたまま、ユーリを見上げた。
「なんかまずかったか?」
 エステルの口許に嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「いいえ。嬉しいんです。ユーリが、わたしの家に行くことを、“戻る”と言ってくれたことが」
 そう言ってふわりと微笑む。なんとなく気恥ずかしくなってユーリはエステルから目を逸らす。ハルルの巨木から、二つの足音と、杖の音が遠ざかってゆく。

 エステルは最低限にとどめた家具や小物、食器の配置まで全て把握しているようだった。それを示すようにほとんどユーリの助けを借りずに器用に茶を淹れてみせた。さらに、昨日焼いたのだという焼き菓子まで出してくる。自立出来ている証拠。しかし何故だか一抹の寂しさをユーリに懐かせた。
 ――どうしたいんだか。オレは。
「どうですか? お口に合います?」
「ん、ああ。腕、上げたな」
 エステルは嬉しそうにはにかむ。

 そろそろ戻る折を伝えると、やはりと言うか実に寂しそうにエステルは顔を曇らせた。でも、仕方無いと割り切っているような表情。ユーリとしても寂しいという気持ちに変わりはないが、エステルの生活環境を改めて目の当たりにして心配という面ではそれほど危惧はしていなかった。
「町の出口まで送ります」
 そう言って立ち上がろうとしたエステルが杖をつかみ損ね、足をもつれさせた。
「?!」
 ユーリが即座に腕を伸ばし倒れかけたエステルを受け止める。エステルはユーリに抱きすくめられる体勢で、しっかりと彼の腕にしがみついていた。
「ありがとう、ございます………」
 その時になって初めてユーリは気付く。エステルの体についた傷を。足に。腕に。指に。青あざ。火傷。切り傷。痛々しい傷の痕。
 エステルは目が見えないのだ。
 今のような杖をつかみ損ねて転びかけたことも、もしかすると少なくはないのだろうか。日常生活における様々な視覚の障害。それはこれほどまでに深刻なのか。否、そんなこと。彼女の体の傷がそれを物語っているではないか。
 ユーリはエステルを抱きしめた。
「ユーリ? どうしたんです?」
 どうして気が付かなかった。
 どうして一人にさせた。
 どうして彼女を傷だらけに、させている。
「泣いて、いるんです……?」
 エステルの細くしなやかな指が伸びてきて、ユーリの頬を撫でる。涙を探しているのか。泣いていないと分かっても、依然撫で続けている。
「泣かないでください。貴方が泣いていると、わたしも泣きたくなります」
「泣いてなんか……ねえよ」
「いいえ。泣いてます。ユーリの心が泣いてます。見えなくても、ちゃんと視えます。でも――」
「でも……?」
 エステルを抱きしめたまま、ユーリは訊ねる。エステルは小さく呟いた。
「今は、ユーリの顔が見たくて、仕方ない……です」
「!」
「ユーリがここに居るのに。すぐそばに居るのに。わたしの目は、貴方を見ることが、出来ないんです。暗くて、何も見えなくて、音さえ無かったら、本当はここにはわたし一人――……」
 ユーリはより一層エステルを強く掻き抱く。鼻筋でエステルの頬に触れ、唇で瞼に触れた。くすぐったそうにエステルが弱く呻き声を洩らした。
「エステル。オレを感じるか?」
「感じます」
「オレは居るか。おまえのそばに」
「……居ます……」
 その声に涙が混じる。エステルの手が、指が、ユーリの服の背中を強く掴んだ。
「悪かった」
「いいえ」
 エステルを抱きしめる手に力を込めた。
「すまなかった」
「……いいえ」
 エステルの頬を一筋の涙が伝う。
「目は見えなくても涙は出るんですよ。不思議ですよね」
 そう言って、エステルは少しだけ笑った。
 見てほしいと思う。見えてほしい。その宝石のような目で、ユーリを見上げてほしい。見つめ合いたい。だけど、決して叶わない。エステルは一年をかけて自分の境遇を受け入れようとしている。自分はいつまで嘆く。いつまで揺らぐ。彼女の目になろうなどとは思わない。彼女はそれを望んではいない。
 ただ、感じ合いたい。それだけでいい。だって、エステルも、そしてユーリもここにちゃんと居て、お互いを感じているのだから。
「そういえば、なんで木の下にいた時、オレがいると分かったんだ?」
「言ったじゃないですか」
 ユーリはエステルの言葉を待つ。
「見えなくても、ちゃんと視えてるんです」
 その後に続いた“特別ですから”という言葉はなんとも恥ずかしそうで消え入りそうだったが、確かにそこにあって、ユーリに伝わった。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

盲目、難しいです……! でも、楽しく書かせていただきました^^ 駄文ですが、捧げさせてください。リクエストありがとうございました!



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