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*15*
fragment (ユリエス)
 視線を感じた。
 どことなく居心地が悪くなって、ユーリはその発信源へと目を向ける。不意にレスポンスが返ってきたことに狼狽えたらしい少女は、慌てて視線を逸らす。とぼけた様子でわざとらしくラピードに話しかけている姿をしばらく見つめてから視線を戻すと、また少女からの視線がこちらへ飛んできた。
 再度少女を見やる。少女もさっと視線を外す。
 ――バレバレなんだけどな……。
「エステル。オレの顔になんか付いてるか?」
 はっとした表情の少女。“バレました”とでも言いたげな顔だが、本気でそんな事を思っていようものなら、かなり天然だ。
「いえ、ごめんなさい。じろじろと見て……不謹慎でしたよね」
「まあ、いいけどな。――で、一体なんだったんだ?」
「えっと、ですね……」
「ああ」
「ユーリが、ですね……」
 先ほどはこちらを何度も射抜いてきていた瞳を今度はおろおろと泳がせながら、エステルは言い淀む。ユーリはそれを、辛抱強く待つ。
 エステルは一つ息を吐いて、言った。
「ユーリが、居てくれて、嬉しいなあって、思って……」
 意図せず、ぽかんとなってしまった。
 ああ、このお姫様は。
 久しぶりに会ったけど、やっぱり天然だ。
「……そっか」
 自分の左側に、寄り添うようにして歩く少女の頭に、ユーリはその左手をぽんと乗せる。そのまま何度か優しく叩く。愛でるように、慈しむように。少女は少しだけ戸惑って、それからユーリを上目遣いで見上げて、そして本当に嬉しそうに微笑んだ。
 その顔を見つめてユーリも少し笑って、
「オレもだよ」
「え?」
「オレも、エステルが居て良かったって、思う」
 そう、言った。


【fragment】


 自分の中で精神が本当に安定しているのが分かる。
 と言っても、星喰みのこと、エステルの力のこと、まだまだ問題は山積みだ。世界の行く末は定まらず、何処へ辿り着くのか分からない不安定なもの。
 それなのにユーリの心は安定している。何故と思っても分からない。分からないが、分かっていることが一つだけ。
 隣に、エステルがいる。
 その存在が大きい。
 仲間の存在は大きい。
 例の術式球体の中でエステルの絶望に暮れた涙を目の当たりにした時、その時自分は、今こうして二人肩を並べて歩く未来を想像出来ただろうか?
 出来なかったはずだ。
 あの頃の自分など、エステルの事しか考えられなくて、救いたくて救いたくて救いたくて、どうすればいいのか考えても分からなくて、分からないことが無力で腹立たしくて、とにかく動くことしか出来なかった。
 自分以外の仲間の誰にも届かなかったエステルからの絶望のメッセージを一人受け、最初はぐしゃぐしゃに破り捨てようとしていた最後の手段。
 救うとは、どういう事か。“救う”にはどうすればいいか。
 目を合わせず背を向けていた最後の手段に向き直った時。それを選ぶつもりなど毛頭ないが、それを手段として認めた時。覚悟を決めた時には、もう自分は自分に戻れないのだと、ユーリ・ローウェルとは違う存在になってしまうような、そんな感覚に陥った。身体の端から、まるで血が静かに凍っていくような感覚。黄昏色の階で虚ろの人形と化したエステルと対峙した時。自分の手が握る抜き身の刀を、エステルへと自分の意思で向けた時。その感覚はユーリの身体の隅々へと浸食してしまったのだ。
 してしまった、のに――。
「ユーリ?」
 声にはっとなる。エステルのエメラルドブルーの瞳が、こちらを心配そうに見上げている。
「どうしたんです?怖い顔して……」
「エス……テル……」
 世界が一転した。
 黄昏色だった空は、蒼く。狭かった視界は広大に。
 ざわざわと雑音。生活音。通りすぎていく子供の無邪気な高い声。
 帝都ザーフィアス。その下町。そこに佇む、エステル、ラピード、そして自分。
 空を見上げる。下町から見上げる空は狭く小さく、しかし確かに結界魔導器の光輪は欠片だがそこに在り、その背景に星喰みの不気味な輪郭も見えるけれど、でも、それでも。
 世界は広く、こんなにも。
 ああ。
 美しい――!
「…………」
「あの……、ユーリ……?」
 不覚にも、涙が出そうになった。
「ん、ああ。悪い。何でもない」
 信じられないくらいにちっぽけな人間。自分達。だけど、精一杯に今を生きるしかないその存在。
 生きる活力が湧いた。
 生きていて良かったと、今になって心の底から思えた。
 ――デュークに感謝しないとな……。 ふと気付けばまた視線。こちらを心配そうに見ている。ユーリもエステルをじっと見つめる。エステルは、今度は視線を逸らさない。おろおろと、ユーリの様子を窺っている。
 その両頬を摘まんだ。
「っ!?」
 柔らかいそれを、ふにふにと引っ張る。
「あ、あのあの――ユーリ?」
「そんな顔すんなって。柄にもなくちっと考え事してただけだよ」
「それなら……いいですけど……」
 そう言ったエステルの表情は、まだ晴れない。
 理由はすぐに知れた。
「……ユーリ」
「ん?」
「もう……居なくなったりしませんよね……?」
 要は同じだったのだ。
 ユーリがエステルの居ない間、エステルを救う事を考えていたように、エステルもユーリの居ない間、ユーリの事を考えていた。つまりはそう言っている。未来へ進む世界の中で立ち止まるではなく、進みながら、それでも心はユーリのことを。
 有り難く、嬉しい事だが、生死不明であっただけ、ユーリの方が幾分かタチが悪い。
 エステルを見る。
 両手を腹の前で軽く組み、背筋を伸ばしてきちんと立つ。ユーリが初めてエステルと出会ってからずっと変わらない少女の姿。佇まい。
 それが今、ひどく小さく、儚く、弱々しく見えた。
 安心させたい。もう自分はどこにも行かないと。おまえを心配させることは、もうないのだと。
 唐突に、この小さな存在を力一杯抱きしめたい衝動に駆られた。
 すると、ずっとユーリとエステルの傍に付いていたラピードが、尾を揺らして何処へともなく離れていく。不審がったエステルが“ラピード?”と後を追おうとするが、ユーリはそれに“あいつなら大丈夫だ”と制止した。
 ――ったく。変な気遣うんじゃねえよ。
 胸中で呆れた笑いを浮かべながらも、出来すぎた相棒に感謝した。
「エステル」
「はい?」
「もう一回、言ってくれねえか?」
「言う、って……何をです?」
「おまえが帰ってきた時にオレがおまえに言ったこと、だよ」
 すぐにピンと来たらしいエステルが、腹の前で組んだ手を胸の前に持ってきて、祈るような仕草で、言った。
「おかえりなさい、ユーリ……!」
 懇願。受け取る。
 大事な答え。
 エステルの手を取ると、ぐいと引き寄せ、見た目よりも随分と華奢な身体を、自分の腕の中へと閉じ込めた。
 もう大丈夫。
 何処へも行かない。
 何処へも行かせない。
 世界の中で。存在するということ。存在してくれるということ。
「やっぱりユーリが居てくれて良かったです」
 その空気を。
 その匂いを、胸一杯に吸い込んで、はっきりと告げた。
「ただいま、エステル」




ここまで読んで下さってありがとうございます。

時系列的にザウデ後のザーフィアスで再会した直後、といった感じです。エステルの事を諦めた訳じゃないけど、万が一の時は自分が――と心の隅で決めたユーリと、ユーリが行方不明で心配だけど、先に進まなきゃ、でも心配過ぎて、というエステル。そこら辺がこの二人らしさであり、性格や育った環境でこうも違うんだなーと、面白いところです。

でも、やっぱり居てくれて嬉しいのは同じだったらいいな。

駄文ですが、捧げさせて下さい。リクエストありがとうございました!



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