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*15*
anya kouten(ユリエス)
【anya kouten】


 きょろきょろと辺りを見回しながら、その身を包む重たい布を引き摺って歩く。幾重もの色鮮やかな布。その重さはまるでエステリーゼを引き留めているかのようだ。
 それでもエステリーゼは歩く。抗う。早く“そこ”へ辿り着きたくて。
 角を曲がる。
 縁側に腰かける一人の男の姿を認めて、エステリーゼの表情が、ぱっと華やいだ。
「ユーリ!」
 ユーリと呼ばれた男が顔をあげ、こちらを見る。
「よう、姫さん」
 少し呆れたような顔で笑った。
「またこんな所まで出てきて、怒られちまっても知らねえぞ?」
「いいんです。わたしの意思でやったことで怒られるのであれば、何の問題もありません」
 きっぱりと言ってみせると、ユーリは“そうかい”とだけ言って再び視線を落とした。
 視線の先には一振りの刀。それを手入れする男の手。刀のことは分からないが、その手入れをしている彼を見ているのは好きだった。
 将軍家。その姫君。波乱の運命を背負う少女、エステリーゼ。
 そこへ使わされた武士。腕利き。黒の着物の男、ユーリ。
 まるで異質の組み合わせ。空間的にも一般常識的にも受け入れられるものではない。
 それでもエステリーゼは、このいつ居なくなるとも知れぬ男のそばによりそった。主従関係において主人格である姫君が一介の武士に目をかけるなどという極めて希な事態に、しかし男はそのことをまるで気にもとめず、また口にもしなかった。
「ユーリ、死なないでくださいね。ずっと生きていてくださいね」
 そして、エステリーゼがこう言うと、男は決まって、
「ん、そうだな。オレの運が良かったらな」
 こう言うのだ。

 やけに寒いと思ったら、雪の気配がすると自室の中で感じた。部屋の外がざわざわと騒がしい。何だか不穏な動きを感じて、エステリーゼは外へ出た。
 慌ただしく行き交う男達。まるで何かの準備をしているかのような雰囲気。
 ――まさか、戦が?!
 胸中に浮かぶのは一人の男の顔。漆黒。
 ――ユーリ……!!
 男の元へと急ぐ。

「よう、エステル。どうした?血相変えて」
 エステリーゼの大好きな、彼だけにしか呼ばれないあだ名を聞いても、エステリーゼの心は晴れない。男はいつもと変わらずエステリーゼを迎えた。しかしその装いはやはり、これから戦へ赴く者のそれだった。
「戦が、あるんですね」
「ああ。明朝にな。聞いてないのか?」
「父上は何も話してくれませんから」
「ふうん。じゃあ本物の将軍どのはあっちか」
「え……?」
「いや、なんでもない。さてと!んじゃ、行ってきますか!」
 これから死地に赴くというのに、まるで茶でも飲みに行くかのような彼の様子に、エステリーゼの胸がざわついた。
「おまえも、もう部屋に戻んな。雪も降ってきたことだし」
「あ、」
 訪れようとする別れ。何故だかいつもより不安になる。
 別れたくない。
 行ってほしくはない。
 何か言わなければ。何かを。だけど、何を言えばいいのか――。
「なんて顔してんだ、エステル」
 頭に心地好い重み。ユーリの手。
 もう、何も言えなかった。ただ、ぶつかるようにしてユーリに抱き付いた。抱きしめられたかった。しかしユーリは、受け止めてはくれたものの、抱きしめてはくれなかった。
「ユーリ、死なないでくださいね。生きて帰ってきてくださいね……!」
「ああ。オレの運が良かったらな」
 いつものやりとりも、エステリーゼの不安を煽るだけ。
「駄目です!生きて帰ってくるって、約束してください!」
 ユーリは困ったような冗談めいたため息を吐く。
「お姫様との約束とあっちゃあ、破る訳にはいかねえな……」
 苦笑い。困らせていることは分かっている。それでもエステリーゼには確信が必要だった。彼とまた会える、という確信が。
「んじゃ、行ってくる」
 頭の上の温もりが去っていく。体に触れた温もりが去っていく。涙が滲んだ。永遠の別れなどではないのに。

 その後、出陣する際の武士の一人に、ユーリがどの位置に就くのかを訊いた。武士は恐縮しきって答えた。“総大将を護る位置”だと。その総大将とは、影武者との事――。
 要するに、囮なのだった。

 そして、七日が過ぎた。
 戦は自軍の辛勝で、別陣にいた父も負傷して戻ってきた。
 しかし一月が過ぎても、ユーリは戻って来なかった。

 自分の立場は理解しているつもりだった。だから、この歳になるまで父や周りの示す自分の運命に従ってきたのだし、それが当たり前のことだと認識して生きてきた。
 だけど、それだけではないと知った。
 自己の意識の芽生え。
 自分で考え、自分で動く。
 それがどれほど些細なものだとしても、自分にとっては今まで見落としていた逃げ道のようなもので。
 だからそれを見つけた今となってはもう、それが当たり前であるかのように思考も身体も動く。人というものはなんとも不可思議である。
 そしてそれを、一人のふらりとやってきた武士が、教えてくれた。
 ――ユーリ。
 男は、本殿の最奥で生涯を終えるはずだったエステリーゼに、外の世界をくれた。
 ――ユーリ……!
 夜な夜な縁側に出ては一人の男の帰りを待つ。この一月ですっかり日課と化した、エステリーゼの行動。
 涙が、遠慮というものを知らないかのように湧いてははらはらと頬を伝う。
 ――ユーリに会いたい……っ!
 震える唇が懇願するように言葉を紡ぎ出した。
「ユーリ……!」
「なんて顔してんだ」
「――!?」
 一瞬耳を疑った。顔をあげる。辺りを見回す。それから、我が目を疑った。
 夜の闇に紛れるようにして、黒い男がいた。
「エステル」
 エステリーゼは、縁側を降りた。履き物を履いていないのにも構わず、玉砂利の上を裸足で歩く。そろそろと男に近づく。見上げる。男が、不敵に微笑んだ。一月前と何も変わらない様子で。
「本当に……本当に、ユーリですよね?」
「ああ」
「帰ってきて……くれたんですね」
「お姫様との約束だからな。まあ、一ヶ月もかかっちまったけど――って、うおッ?!」
 もう、何の言葉もいらなかった。彼が此処にいるという事が現実である、それだけで良かった。彼の温もりを今、こうして感じている。それだけで充分だった。
「ユーリ、良かった……。本当に……」
 男の胸に顔を埋める。エステリーゼの大好きな温もり。匂い。
 ふと妙な感覚に気付く。
「……!!」
 男の左腕の、肘から先が、無かった。戦で失ったことは、明白だった。涙が溢れる。先の無い腕を愛しそうに抱きしめた。治せることなら、どんな事をしてでも治したかった。それが出来ない自分が酷く歯痒かった。
 ユーリの右腕がのろのろと上がり、エステリーゼをぎゅっと抱きしめた。初めて、エステリーゼはユーリに抱きしめられた。
 ――この人と一緒に、生きていきたい。
 そうしなければならなかった。全てを棄てて。身分も何もかも脱ぎ捨てて。
「ユーリ……」
「ん?」
 別陣で生き延びた父も。
 この地を狙う敵勢も。
 戦ばかりの浮き世も。
 その最奥で何もせず、何も出来ない自分の未来も。
 全てがどうでも良かった。
「このままどこかに……わたしを、拐ってもらえませんか……?」
 泣き笑いのような顔で、ユーリを見上げた。
「オレの運が――いや、違うな。エステル、おまえが望むならオレは……」
 答える代わりに微笑んだ。
 ユーリも、不敵な笑みを浮かべた。
「――御意」
 短い呟きの後、エステリーゼの視界が暗転する。その黒は、エステリーゼにとって確かに光明のように感じた。




ここまで読んで下さってありがとうございます。

武士と姫。その絡みは難しいですが、エステルの姫っぽさ、ユーリのユーリらしさ。それらを出そうとして最終的にこんな感じに。きっとテルカリュミレースよりずっと都合が悪いんだろうなと思ったり。どんな境遇でも二人がくっついてれば良い。

とりさま、時代背景が出せているか不安な駄文ですが、捧げさせて下さい。リクエスト、ありがとうございました!



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