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*15*
proof(ユリエス)
 次はいつ会えるのだろう、そう思って淋しさと期待とをない交ぜにしていた日々が懐かしい。そんな風に思い返してしまうなんて、今の自分の心のなんと余裕なこと。しかしそれもまた喜ばしいこと。
「ふぅ……」
 憂鬱ではなく一息、といった様子でエステルはため息を吐いた。朝から始めた掃除も昼間近になってようやくの一段落。部屋をぴかぴかにしておかねばならない理由が、今日はある。
 ふと窓の外に目をやる。エステルの大好きな桃色の花が、今日も今日とて咲き誇っている。はらはらと舞い散る花びら。その一枚が窓から部屋の中へ舞い込んできた。まるで、“ただいま”と、此処へ帰ってきたかのように。エステルの口元に笑みが浮かんだ。だけど“おかえり”は、まだ言わないでおいた。
 とっておきの瞬間の為に。

【proof】

 この街に住むようになってからというもの、エステルはすっかりこの店の常連となっている。料理の為の食材を買う時。なんとなく時間を持て余した時。度々エステルはこの店に足を運んだ。そして今日も。
「今日はいつも以上に新鮮なのが揃ってるよ」
 エステルの顔をすっかり覚えた店の主人が気安く声をかけながら野菜を勧めてくる。
「あ、今日は野菜ではなくてですね……」
 色とりどりの食材が目にも鮮やかに並ぶ。以前に旅をしていた頃より格段に増えた品数。他の街の商人との交流が盛んな証拠。幸福の市場の仕事の良さが窺えた。
 いくつかを購入。主人に礼を述べ帰ろうとした時に、知らない男に声をかけられた。
「重そうだね。持ってあげようか?」
「ご親切にありがとうございます。ですけど、大丈夫です」
 エステルはやんわりと断った。
 しかし男は引き下がらない。
「こんなにたくさん、何を作るの?一人で食べるの?」
 男が付いてくる。
「良かったらちょっと休んでかない?」
「結構です」
「そこの店とか」
「……大丈夫です」
 エステルは困惑した。このまま家まで付いて来る気だろうか?一瞬警備の所へ行こうか悩んだ。しかし、男が何をしでかしたという訳でもない。
「お姉さん可愛いよね。ここにずっと住んでるの?一人暮らし?」
「えっと……」
「二人暮らしだよ」
「!」
 エステルの瞳が丸く見開かれた。男がひどく不機嫌そうに振り返り、それからぎくりとその表情が引きつったのが見えた。
「悪い。そいつ、うちの嫁さんなんだわ。勘弁してくれねーか?」
 心地好い低声が耳を打つ。
 ずっと聴きたかった声。
 見たかった顔。
 エステルを見て不敵に微笑む。
「よう。久しぶりだな、エステル」
「ユーリ!」
 約半月ぶりに会った、夫の姿だった。

 ユーリのおかげで自由になった左手でドアを開ける。しばらく一人で入っていた部屋に今日は二人で入る。何だか変な感じがした。
「もうギルドのお仕事の方は落ち着いたんです?」
「ああ。全部カロルに押し付けてきた」
「ええっ?!だ、駄目ですよ、ユーリ!そんな、ギルドの大切なお仕事を――」
「冗談だよ」
 荷物を置き、振り返り、腰に手を当てニヤリと笑う。エステルをからかっている。
「もぅ……、ユーリはいじわるです」
 頬を脹らませる。久しぶりのやり取り。どこか愛しくて懐かしい瞬間。エステルの口元に笑みが浮かんだ。
「何ニヤニヤしてんだよ?」
「ニヤニヤなんて……ただ、嬉しいなぁって思って」
「長いこと空けてたからなぁ。……淋しい思いさせて悪かったな」
 そう言ってエステルの桃色の頭に乗せられる大きな手。ふわりとした感触。心地好い重み。ぽんぽんと優しく叩く。
 幸せ過ぎて、はにかみながら肩をすくめた。
「すぐにご飯にしますね!」
 エプロンを付けてもうほとんど出来上がっている料理に向き直る。ユーリの帰ってくるのが聞いていたのよりも少し早かったから、午前中のうちに掃除と洗濯とを終わらせて、料理にまで取りかかれていた自分を少し褒めたくなった。
「なんか手伝うか?」
 エステルの肩越しにユーリがひょいと顔を覗かせ訊いてくる。
「ありがとう。でも、もうほとんどおしまいなんです。だから休んでてください」
「ふうん。んじゃ、そうさせてもらうか」
 そう言って遠ざかっていく気配を愛しく感じる。半月ほど一人暮らし状態だっただけに、誰かの為に料理を作ることの素晴らしさを久々に実感した。
「ユーリ、カロルは元気にしてました?」
「ああ。あいかわらずだよ」
「ユーリ、先日リタが来たんです。それでですね……」
 歌うようにエステルの唇は言葉を紡ぐ。

「いただきます」
「はい、召し上がれ」
 先ほど買ったばかりの新鮮な苺の並ぶケーキを、ユーリが豪快にかぶりつく。それをエステルは嬉しそうに見つめる。自分の作った料理を誰かが口にする喜び。早く感想を言ってほしい期待。そんなエステルの顔をちらりとユーリの紫紺の瞳が捕らえて、あまりに不謹慎だったかと慌てて目をそらした。
「ん、美味い」
「本当です?!」
「ああ。料理の腕、上げたな。エステル」
「ふふ。たくさん練習したかいがありました」
「そうなのか?」
「ユーリには美味しいものを食べてもらいたいですから」
 そう言って自分も食事にとりかかる。ひとまずの安心。一口食べる。生クリームの甘さが優しかった。
「けど、昼飯にケーキとサラダと味噌汁……。基本的なとこはまだまだ勉強不足、と」
「え、え……?」
 意外なところでダメ出しを出され、狼狽えた。

「ごちそうさん」
「お粗末さま、です」
 食事を終え、しばしの沈黙。心地よい静けさ。穏やかな時間。ルルリエの花びらを舞わせる風が、緩やかにユーリとエステルの髪を揺らした。桃色の花びらがひらひらと風に乗って窓から舞い込んできた。
 なんて幸せな一時。
 なんて幸せな自分。
 ちらりとユーリを見る。ユーリも、自分と同じように思ってくれているだろうか。そう思うと無性にそれを確認したくて、かといって出来なくて、不意にユーリが視線に気付いてこちらを見て微笑んで、やっぱりそんなことは必要ないのだとわかった。
 ふと、大切なことに気付いた。
 しかし、それを言うことを急に躊躇われた。
 だけどどうしても言いたかった。
「あ、あの、ユーリ……」
「ん?」
「あ……、じゃなくて、ですね」
 怪訝そうにユーリがエステルを見つめる。
「えっと……」
 妙な恥ずかしさが邪魔をする。
 ユーリは言ってくれたのに。非常にあっさりと。でもしっかりと。
 エステルのことを。
 “嫁”と。
 自分は奥さんで。
 ユーリは旦那さんで。
 そんなこれ以上ないほどの幸せな肩書きが自分たちにはあって。
 そんなこと、目の前の彼はこだわらないのだと分かっていても、でも、こうしてエステルに幸せをくれる忙しい夫にどうしても今言いたくて。
 うつむかせていた顔を上げた。ユーリの視線があった。待ってくれていた。
 息を吸う。
 ありったけの幸せと、感謝を込めて。
「お帰りなさい、あなた」
 一瞬、ぱちくりと目をしばたたかせた夫は、ゆっくりと口元に笑みを浮かべて、
「ただいま」
 エステルの大好きな声で、そう言ったのだった。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

夫婦なユリエス、初でしたが、どんな感じだろうと想像しながら書かせていただきました。基本変わらないだろうな、とは思うけど、恥ずかしげもなくあっさり言ってのけるユーリと、少し恥じらうエステルはもはや願望です(え)。

美音さま、こんな文章ですが、どうか捧げさせて下さい……!リクエスト、ありがとうございました!



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