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長月
 


九月

陳腐な表現はもう止めよう。然う決意した矢先に僕は至極陳腐な表現を使った事に気付いた。陳腐な表現、詰まり有り触れた凡庸な表現と云う事だが、其の言い回しこそが僕の決意には反して居た。之だから僕は日本語と云う物が嫌いだ。英語は未だ良い。文字の種類もアルファベットは少ないし、単語も少ない、其の上意味が明確だ。然し、日本語と云う素晴らしい言語は、その国家の文化歴史から、漢字平仮名片仮名と莫大な文字の種類が在り、沢山の熟語が存在し、言い回しは欠伸が出る程沢山、加えて矢鱈と気の使う表現が好まれる。流石に、日本人ですら日本語の皆を知らない。全くゲシュタルト崩壊でもしそうだ。そんな事僕ならば莞爾と笑えないだろう。
噫、此処までどれ程陳腐な表現を使ったのだろう。どんなに僕が忌み嫌おうと、人間である限り陳腐な表現しか使えないのだ。僕は過去の賢人の様に新しく言葉を生み出す事は出来ない。今在る既存の言葉を使う事しか許されないのだから。
僕は羊皮紙をインクの乾かない儘丸めて投げ捨てた。









“It's difficult for me to use language.
But I must use language since I was born."



ど、う、し、て。
冷えた唇は上手く動かなかった。紫色の隙間から一筋赤色が伝い、凍えた皮膚に僅かな温もりを与えた。
感覚はない。ただ、定まらない焦点と震えない声帯が頻りに稼働しようとするだけで、それ以外は全く何もなかった。麻痺。熱の渡らない身体は意識に相反して段々凍えていき、次第に痺れが四肢を襲っている事を悟った。脳ですら、麻痺。思考力は極端に衰え、ただ本能的に自分の運命を理解するだけ。

視界から、貴方が、居なくなった。
光りを失った眼が、途方もなく眼窩を彷徨う。ぎょろぎょろぎょろり。それでも、色を亡くした目で見る事が出来るのは永遠の闇のみ。迫り来る闇。共存する闇。身を蝕む、闇。
唇を動かした。忙しなく必死に、恐怖を込めて。開閉を繰り返した筈だった。声帯が振れ動いた筈だった。紫色はただ其処に付いているだけで役割を果たしている積もりだ。麻痺した脳味噌では録な命令信号も送れないようだった。
ど、う、し、て。


ああ。きょうは、いちねんでもっともさいあくなひです。ぼくがうまれたきょう、このひ。そして、のぞまれなかったきょう、このひ。あれいらい、ぼくのたんじょうびはいまわしいものになってしまいました。じんせいさいあくのひ。とうとう、ことしもやってきたのです、このひが。
ぼくはきょねんのちょうどきょう、じぶんのそんざいりゆうがわからなくなりました。ははおやはぼくをあいしているはずでした。でも、ちちおやがあいしてはくれないのを、ぼくはうまれたときからしっていました。それでいて、ぼくは、ちちおやがこころのすみでぼくをあいしてくれていることをのぞんでいました。だから、ちいさいときいらいのちちおやがいるたんじょうびに、ぼくはしあわせなはずでした。
どこかでうれしくおもっていました。むかしのかぞくにもどったきもちでした。でも、それはぼくだけでした。
ちちおやは、ははおやにおこっていました。いえにいたのは、ぼくのたんじょうびだからではなく、ははおやをといつめるためでした。ばんごはんは、みんなしずかでした。ふたりのけんかをききながらたべたごはんは、とてつもなくまずくなってしまいました。ぼくはみじめなきもちになりました。
ははおやは、いつもぼくにすきといってくれていました。だからぼくは、とっさにははおやをようごしました。でも、じっさいただしいのはちちおやでした。ははおやが、ぼくをほんとうにあいしてくれているのか、わからなくなりました。ちちおやはどなりました。ぼくはますますこんらんしました。ちちおやはぼくをなぐりました。これははじめてではありませんでした。
きょうは、たんじょうびのはずでした。いちねんでいちどの、おいわいのひのはずでした。きょうは、ひさんでした。ぼくは、へやにこもってなきました。ないていたら、どんどんいきができなくなって、てあしのけいれんがはじまり、ちからがはいらなくなりました。いっしゅのほっさでした。でも、それはしぬことのできないほっさでした。いっそのことしねたらいいのに、とぼくはおもいました。なみだがとまりませんでした。
けっきょく、ははおやもちちおやも、だれもぼくをあいしてはいませんでした。ぼくはのぞまれていませんでした。ほんとうは、ちっともおめでたくないひでした。きょうはあってはいけないひだったのです。ぼくは、このとしはじめてほんとうのたんじょうびをむかえました。
ことしもたんじょうびはやってきました。かんがえただけで、すこしぞっとしました。でも、ことしからはもうちちおやはいません。ぼくは、ははおやにひきとられました。むかしのかぞくは、もうあとかたもなくきえさりました。かぞくさいごのひは、あのひさんなたんじょうびでした。
きょうは、ぼくはひとりきりです。おいわいはもうしません。たんじょうびはこわいひです。やっぱり、たんじょうびなのにきょうもけんかしました。ぼくは、ほんとうにのぞまれていないこでした。いえにかえってきても、だれもいなくて、おかえり、といってくれませんでした。そんなの、わかりきったことでした。ひとりでたべたごはんはやっぱりまずくなってしまいました。たべることすら、おっくうでした。
ぼくのおたんじょうびは、じゅうさんかいめでおわりました。じゅうよんかいめからは、もうおたんじょうびではなくなってしまいました。ぼくが、うまれてしまったひ、です。ははおやはるすです、ちちおやはもうかぞくではありません、きょうだいもるすです。いわってくれたのは、ともだちであるたにんだけでした。なにもしらないくせに。ぼくはわらいながら、こころのなかでけいべつしました。だって、たんじょうびさえこなければ、ぼくはことしもだいすきななかまといっしょのはずでした。しあわせなかぞくみんなでいられるはずでした。ぼくさえうまれてこなければ、こんなことになるはずではありませんでした。
けっきょく、ぼくはちっともあいされていませんでした。ぼくのそんざいは、おおきなごさんでした。そんざいりゆうは、なにもありませんでした。


***
世界の八割は真っ黒な世界で生きている。
残りの二割は八割を犠牲に、真っ黒な世界の上の真っ白な世界で生きている。


 


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