山茶花の小説
とあるなつのひのあけがた
ラダマンティスは傍らで眠るカノンの指先に口付けした。
無防備に眠るその顔には、3巨頭を向こうに回して大立ち回りをやらかしたときの迫力は微塵もなくて、まるで幼子のように邪気がない。
「どうせ、聖域でないがしろにされてきたのだろうな。…似合わぬ性豪の振りまでして抱かれたがるのは、そんなにも自分の価値に自信がないのか」
聖域でも5本の指には入る強さを持ちながら、なぜそんなに自分に自信が持てないのか。己の価値を男の欲望でしか量れないカノンが哀れすぎた。
一騎当千を地で行くような冥界での凄まじさは、再び生を受けたものの間では語り草になっている。そのカノンが肝心の聖域では、無役に過ぎず黄金聖衣すら賜っていないと言う事に憤りを覚えるものもいる。
プライドの高いカノンが双子座のスペア、海龍のまがいものと呼ばれて肩身の狭い思いをしているかと思うと矢も盾もたまらなくなってしまう。いや、冥闘士であるラダマンティスが文句を言える筋合いではない事はわかってはいるのだが、互いに命を掛けた死に物狂いの戦いに果てに共に散った間柄としては納得のいかないものを感じる。
「お前の女神様は、お前を一体どうしたいのだろうな」
いっそのこと、海皇のもとで海龍として生きろと言った事もある。13年待っても現れない「本物の海龍」などより、まがりなりにも13年の間勤め上げたお前の方が海龍にふさわしいと言うラダマンティスに、自分はあくまでもアテナの聖闘士だから「本物の海龍」が現れたら鱗衣を返上して聖闘士に戻ると笑っていた。
それまでの仮の姿に過ぎないとも。
ただ、海皇や他の海将軍にも迷惑を掛けた事は事実なので、その時が来るまでは誠心誠意お使えするつもりだと言うカノンに意地悪く、「本物の海龍」が現れる前に地上と海界がきな臭くなったらどうするつもりか聞いたことがある。
「その時には、その場でこの首を差し出すつもりだ。潔く自害して果てることで、二柱への忠誠の証とするさ」
「待て、それでは余りにも海界が不利ではないか」
最強の海将軍筆頭を欠いたまま聖戦に臨まねばならんのだぞと、つっこめば、それは考えてはなかったと言う答えが帰ってくる。
「…俺を自害させたくなければ、わがままなポセイドン神といえど、少しは自重してくださるかもしれん」
ま、結果オーライという事だと肩をすくめて見せた。
傷つきやすいのか、ふてぶてしいのかよくわからぬカノンの行動をみているのは楽しい。
くるくると良く換わる表情の下に、未だ血を流し続ける傷口がぽっかりと口をあけているなんてことは誰にも気付けないはずだ。
その傷口に気が付いてしまった自分は不幸かもしれないが、キラキラ光るその瞳に魅了されてしまったことは幸せかもしれない。
破天荒なカノンの行動には生真面目な自分には、ついていけないこともままあるけど、目を離せない事は否定しない。
惚れた弱みなのかも知れないなと、ラダマンティスは自嘲気味に笑った。
なんとなく眠れぬまま、カノンの寝顔を眺めていると空が白みかかる頃来客があった。
玄関のドアチャイムを連打ではなく、ただの一回鳴らしたきりで後は無言でドアの前に立っているようだ。インターホンのカメラからは死角の位置に立っているのか、訪問者の姿は見えないが存在感はありありと伝わってくる。
いつまでも睨み合ったままでは埒が明かんので、ラダマンティスは玄関のドアを開けた。…そして後悔した。
其処に立っていたのは、深い紫紺の髪と紫の瞳を持った黄金聖闘士・双子座のサガだった。
全身から滴るほどの瘴気がわきあがり、冥界の決して晴れ渡る事のない澱んだ空に立ち上っている。つい先日聖域で会見した時も、その以前に亡者として相対したときですら見たことのない異様な雰囲気に圧倒され、立ちすくんでしまう。
「…愚弟を連れに来た」
地を這うような低音で告げられ戸惑っていると、邪険に押しのけられずかずかと上がりこまれる。
「ここにカノンはいない。…大体いきなり他人の家に上がりこむとは無礼であろう!」
慌てて追いすがるも、一足遅く寝室のカノンを見つけられてしまう。
「起きろ!カノン!…帰るぞ」
うろたえるラダマンティスには目もくれず、一直線にベッドに眠る弟の元まで行くと包まっている上掛けを一気に剥いだ。
寝乱れたシーツの襞の海に現れたのは自らの長い群青の髪だけをまとった海の龍。
己の体を抱くように縮こまった肢体のあちこちに濃赤の花びらが散っている。
こちらに背を向けている双子座の聖闘士の体から立ち上る瘴気が一層濃さを増したような気がして、我知らず総毛立ってしまうのを感じた。
憤りのままに凄惨な悲劇を引き起こされないように、身構えたラダマンティスを尻目に双子座はひどく静かに、同じ顔をした弟の頬を黄金聖衣に包まれた掌で包み込んだ。
「……カノン」
頬の丸みに添って這わせた指でそっと顔にかかる髪の毛を払ってやると、まだ意識のないはずのカノンが兄の手に擦り寄ってきた。
「もう帰るから起きなさい」
目覚めを促す声にやっとカノンは薄く瞼を開いた。そして声の主を確認すると、花がほころぶように破顔し兄の紫紺の髪をつかんで引き寄せると、首に腕を回してくちずけした。
息が上がるほど深いくちずけを終えた後も、双子座の装具に頬ずりする。
「おかえりサガ」
満面の笑顔で言われてしまって、振り上げた拳の落とし処に困っている双子座の聖闘士の背中にラダマンティスは同情を覚えた。やがて、苦笑いとともに拳を収めたのか、帰り支度を促すように言った。
何を言われたのかわからなかったのか、きょとんとした表情で兄を見上げていたカノンが、ふと己の姿に目を落としてやっと自分のおかれている状況に気が付いたのか、全身で真っ赤になってうろたえだした。
見かねたラダマンティスがカノンの体に客用のバスローブを着せ掛けてやり、バスルームへ連れて行く。カノンがシャワーを浴びている間に脱ぎ散らした服を集めておいてやっていると、双子座の聖闘士が背を向けたままいった。
「…けして、許したわけではないぞ。いつか、決着をつけてやるから首を洗って待っているが良い」
呪詛と怨念がこもったような低い声に、肩をすくめて頷く事で返事とする。
「…だが、なぜカノンはあんなに不機嫌だったのだ?」
バスルームの前にカノンの脱いだ物をそろえてやってからその兄に問いかける。
「…アテナが12宮全員を集めて教皇の間で地上のマスコミ宛に会見を開きたいと仰せられた。…私はそんな猿芝居など御免だったのだが、アテナのご命令とあれば致し方ない。…カノンにはすぐ戻るゆえ待ってるように伝えたのだが、気に入らなかったようだな。」
しぶしぶ話し出すサガの言葉に、ラダマンティスは思わず激昂した。
「そ、それだけの事であいつはわざわざ冥界までやって来たのか!?」
「…私も、まさか冥界くんだりとは思わんから、海界の連中には悪い事をした…。それで、時間をとってしまって此処まで辿り着いたときには…もはや最中でな。はらわたが煮えくり返るようだったが、いったん戻ったのだ。…おかげで双児宮の柱が一本無駄になったわ。」
淡々ととんでもない事を話しているが、ラダマンティスには気になったことがあった。
「さ、最中というと……見たのか?」
「表から丸見えのリビングで始めるのは感心せんな」
こちらをぎろりと睨む瞳がにわかに赤味を帯びていく。
「最中に踏み込んでやっても良かったのだぞ」
蛇に睨まれた蛙状態で立ちすくむ二人の前に、シャワーを浴び終えたカノンが姿を現した。
「何やってんだ二人とも?え、あれぇ?サガだよな?へぇ、そんなことできるのか、すごいな」
真っ青な瞳をまんまるにして兄の紫の瞳を覗き込んでいる。いつも見慣れているだろうにといぶかしんでいると、双子座の聖闘士がカノンの額に軽く掌を押し当てごり、と磨った後まだ湿り気の残る前髪をくしゃりとして放した。
「当たり前だ、何の下準備もなしに冥界まで行こうとするのはお前くらいな物だ」
用意が済んだなら帰るぞと、兄に追われてラダマンティスに向き直る。
「迷惑をかけてすまなかったな。だが、嬉しかったぞ、ありがとう」
にっこり笑って礼を言うカノンを力いっぱい抱きしめたい衝動にかられたが、こちらを苦虫を噛んだような顔で睨みつけているサガの前で流石にそれは憚られ、両手がこっそりわきわきしてしまう。
「役に立ったのなら何よりだ」
「じゃな」
当たり障りのない別れの挨拶をして玄関前までお見送りに出る。
一刻も早くこの場を立ち去りたい風情の兄と並んでゴールデントライアングルを自分達に放った。
「邪魔したな」
光で出来た三角形の中に消えてゆきながら短く別れを告げる兄のかたわらで、なにやら話しながら笑っているカノンを複雑な思いでみつめる。
(目覚めてサガを見たときのような、満開の花のような笑顔を俺の前ではしたことがないな。自分の方から積極的にキスしてくれたこともない。…そのくせ悪鬼羅刹も裸足で逃げ出すような形相の兄には平気で甘えに行ったり…俺は、やはりあいつにとって当て馬でしかないのだろうか…)
ゴールデントライアングルの光が消えようとした瞬間、カノンは振り返りチェシャ猫のようににしゃっと笑って手を振って。
「ラダマンティス、またやろうぜ!」
今度こそ兄にどやしつけられていた。
常に薄暗い冥界にとって、余りにもまばゆいひかりはあとあとまで残像を残した。
ラダマンティスの心の中にも、光の中で笑っていたカノンの顔が何時までも残っていた。
いつの日にかあの兄の手から奪い取る事の決意と共に。
終
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