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企画












 自分に向けられるその視線が変ったのははたして、何時の頃だっただろうか。はっきりとした時期は解らない。ただ、男はその視線を自分に向けるようになってしまった彼に対して、そこまで真剣に取りあう事はしなかった。日常のふとした時に、男から向けられる熱を含んだ視線に気づいてはいたが、男は気づかない振りをし続けた。時折その視線と交差した時さえ、表だって動じることも無かった。彼の部下として、幹部の一人として、自分の立場と彼の立場を思えばこそだった。彼がCR:5のボスとして本格的に動くようになれば、組織の傘下にある店の女に目を向けない訳にはいかない。そうなれば、自然とその視線は女の方に向かうようになる。だから、その内冷めるだろう、一種の気の迷いみたいなものだろうと、自分に向けられるその熱に男は言い訳した。

















 日が沈みかけている時間帯、夜に賑わうデイバンの街中は喧騒に包まれている。そんな中でジャンカルロが口にした一言に、ルキーノ・グレゴレッティーは息を飲んだ。今日の仕事周りを終えて、本部に戻ろうとした時だ。唐突に口にされたその言葉はあまりにもこの場の雰囲気には不自然で、けれどその言葉を違和感に思う事は無かった。ジャンの口からまるで呼吸をするように自然と紡がれたそれにこの空間だけ時が止まったかとすら思う。ルキーノは路上で足を止め、その場に立ちつくした。そんな自分と同様にジャンも立ちどまる。先程まで煩わしく聴こえていた車のエンジン音も周りにいる人たちの話し声すらすら耳に入ってはこなかった。ルキーノは驚きにローズピンクの瞳を見開く。ジャンもそんなルキーノから視線を逸らさずに真っ直ぐと琥珀の目で見つめ返してきた。ジャンから視線を逸らすことは出来なかった。いっそ射抜くような彼の視線が自分を拘束でもしたのかと、馬鹿らしい事さえ考えてしまう。

「な、に?」
「だから俺ルキーノが好きなんだけど、アンタはどう思ってんだよ?」
「どうって・・」

ジャンの言葉に、いったい何の冗談だと言おうとして、ルキーノは自身の喉から出かかったものを無理やり飲み込んだ。これで言葉のままに言い返そうものなら、それこそ逃げ道すら封じ込まれる。早鐘する鼓動が頭の中で響いていた。出来る事なら誤魔化して、あやふやにしてしまいたい。そんな思いがルキーノに、曖昧な笑みを浮かべさせる。

「・・そりゃお前・・俺だってお前を気に入ってるんだ。相棒のお前を嫌う訳が無いだろうジャンカルロ?」
「ちげーよ。てか本気で言ってるのそれ?」

そうまで言われてしまえば流石のルキーノも誤魔化しようがなかった。ジャンが自分に向けるその言葉や視線が含むものをルキーノは前々から感づいていたし、その感情に気づかない程ルキーノも鈍い男では無かった。ただそれが今確信に変わっただけだ。ジャンは本気なのだ。男のこの俺を、好きだとこいつは言っているのだと。その時ルキーノの中で生まれたのは同性云々への嫌悪感情では勿論無かった。そこにあったのは焦燥だ。何で俺なんだとか、お前元々男が好きって訳じゃねーだろうがとか、何か言わなければならないのに、己の口から紡がれる言葉は無く、言い淀むように開いては閉じてをその唇は繰り返す。
 らしくない。解っていたことだろうと、ルキーノはそんな事を思いつつ、心の中では往生際が悪くジャンの言葉そのままを正面から受け止めることは避けたい気持ちがあった。こいつは解って言っているのだろうか。俺はお前の気持ちに応えてやれる資格など無いし、お前が思っているような男なんかじゃないのだと。お前が見てきたルキーノ・グレゴレッティーは組織の一部の俺でしかないのだと。けれどそんなルキーノの思いとは裏腹、唐突にグイッとネクタイを引かれる。近くで見ると大人びて見えるジャンの顔がすぐ目の前に迫っていた。視界がぶれる中で開きかけた唇を呼吸ごと塞がれる。覚えのある感触にルキーノはただ固まるしかない。思考が止まる。あまりの突然のその行為に意識さえ奪われそうになる。慌ててジャンの肩を掴んで、その身体ごと引き離す。離れるのは簡単だった。ジャンと自分との体格差を考えればそれは当然の事だ。それでも引き離した途端に目に飛び込んできたジャンを見て、突き放すまでは出来なかった。はぁ、と熱い息を漏らし、余裕の無い顔を隠すことなくジャンはこちらを見つめてくる。ルキーノは手はジャンの肩に置かれたままの体勢を取らざるを得なかった。

「・・話、聞いてた?俺こういう意味であんたに好きだって言ってるんだぜ?」
「馬鹿、お前何を言って・・」

ルキーノはジャンが口にした言葉に、再び苦笑を零す。馬鹿な話だ。お前のそれは単なる気の迷いだ。男ばかりに囲まれた生活の中で、お前は勘違いしているのだと。店の女にその類の言葉を言われても、こんな風に動揺する事など無かった。上手くかわしてきたつもりだ。それなのにジャンが口にした感情から普段のようにかわす事は出来なかった。何もかも自分らしくない。こんな風に言い淀んでいる自分に困惑すら覚える。普段のような冗談混じりの言葉さえ頭には浮かんではこないのだ。

「解ってたんだろ、ルキーノ?」
「何が、だ。」
「俺がこういう意味で好きだって事。アンタ気づいてただろ?」
「馬鹿な事を言うのはよせ。」

それより本部に戻ってまだする事残ってんだろう?もうこの話題は終わりだと、無理やり話しを終わらせてルキーノはジャンの手を振り払った。もうこんな事を言い出さなければ良い。そしてすぐ忘れてしまえば良い。これはジャンの為だと言い聞かせ、ルキーノは彼に背中を向けた。ジャンの気配が背中ごしに伝わってきたが、あえて無視を決め込んだ。けれど数歩歩いた所でスーツを掴まれ後ろから引き戻される。構えていなかったルキーノは、そのままその力に逆らうことなく、大通りからその暗い路地裏に引き摺り込まれ、固い石の壁に押し付けられて身動きが封じられてしまう。顎先にジャンの金色の髪が触れた。思ったよりも近いその距離に身を竦める。

「お、おい!?」
「なんで逃げるのアンタ?」
「つ、ジャンお前・・」

その先の言葉を封じるように再び、重ねられようとした唇を避け、ルキーノは顔をジャンから逸むけた。これ以上好き勝手される訳にはいかなかった。けれどそんなルキーノの態度を不満にでも思ったのか、ジャンはルキーノのシャツを引っ張り、今度は強制的にジャンの方に顔を向けさせられた。その強引さにルキーノは眉をひそめると、グッっとジャンの手首に力をこめる。ピタリとジャンの動きが止まった。

「いい加減にしろ、ジャン。」

言ってやりたい多くの文句を抑えて、ルキーノはそう呟き、もうこれ以上すると本気で怒るぞと突き放す言葉を投げかけた。ルキーノの言葉にジャンは一瞬呆気に取られた表情を見せたが、次には今まで見たことのない歪んだ笑みをジャンは浮かべた。何時の間にジャンはこんな顔をするようになったのだと驚きの思いと共に、ルキーノはジャンを見つめた。

「怒れば?」

スッと瞼を細めて、そんな言葉すら吐きだす。

「怒れよ。つーかアンタ甘いんじゃないの?殴るとか蹴るとかしないのかよ?」
「・・出来る訳ないだろ。」
「なんで?」
「なんでって・・」

お前はボスだろう。部下の俺がお前に手を上げられる訳ないだろうが。

「なら、オメルタの元、ルキーノは俺の言う事に従うべきなんじゃねぇ?」
「つ、ジャン。」

ジャンの言葉がルキーノには信じられなかった。ジャンはオメルタで相手を縛りつけるようなやり方を嫌っていると思っていたからだ。

「そう言ってるのと同じだぜ?」

ほら抵抗してみろよ、嫌なら出来るだろ。真っ直ぐに己を見つめる視線が自分を見透かされてるような気分にさせられる。完全に逃げ道を断たれてしまった。ジャンの言葉一言一言に追い詰められる感覚に、ルキーノは自虐的な笑みを薄く口元に浮かべた。目元を掌で覆う。大の男二人がこんな道端でいったい何をしているんだと。ジャンは訝しげにこちらを見つめてくる。そんなジャンの表情すら滑稽にしか思えなかった。

「・・お前は・・・・俺をどうしたいんだ?」
「ルキーノ?」

咄嗟に出たそれは自分でもひどく情けない声だったと思う。ルキーノは顔を下に向け、ボソリとジャンを責めるような言葉を思わず吐き出していた。馬鹿か俺は。こいつを責めたい訳では無いのに。けれど口から出てしまった言葉を取り消すことも出来ない。気まずい沈黙が二人の間に流れる。互いに身動きを取ることすら叶わぬまま、時間だけが過ぎていく。

「ごめん。」

アンタを困らせたい訳じゃないんだと、暫くして先程の声とは違う柔らかい声が降ってくる。目元を覆っていた掌を口元へとずらして、ルキーノが目線をあげると、ジャンは眉を下げ、困ったような表情を浮かべていた。頼りなさそうに琥珀の瞳が揺れている。泣いているのかと思ったが、一向にジャンの頬を涙が辿る気配は無かった。

「なぁ、なんで俺アンタを好きになったんだと思う?」

呟かれたジャンの言葉に、ルキーノは首を横に振る。そんな事解る訳が無い。

「あんた日曜日は絶対奥さんたちのお墓参り行ってるだろ?」
「・・知ってたのか?」
「そんなん見てりゃ解るって。それに一度連れてってくれたろ?」
「あぁ。」
「その時かな。」

ジャンは口元を緩めて、ルキーノの赤毛の髪を指先に絡ませる。

「アンタずっと彼女たちのお墓の前に跪いてさ。ずっと、ずっと。あんたから二年前の事聞いてはいたけど、実際に俺は二年前のあんたの事何も知らないし、解らない。けどさ・・」

その姿が、その背中が俺にはとても小さく見えたんだ。普段は自分に絶対の自信を持っていて、一切迷いの無いような振る舞いをする男が、彼女たちへのまるで贖罪のように、小さく丸まってあの場所から動かないんだ。あぁ、この男は今もこんなに自分を責めているのかって、最初は馬鹿だなって思った。そんなに自分を責めたってどうにもならないもんだろうってさ。けどだからかな。あんたが気になって。気になって。

「いつの間にかさ、そんな馬鹿なあんたがすごく愛しく思うようになって、ずっとあんたの事考えてた。」

ジャンはルキーノの髪から指を離すと、今度は両手でルキーノの頬に慰めるかのように優しく触れて、下から掬いあげた。

「ルキーノが、今でも奥さんと娘さんを愛してるってこと。俺、知ってるから。」

ジャンから紡がれた言葉にピクリをルキーノの身体が震えた。あの子たちの笑顔と自分を呼ぶ声が頭の中で浮かぶ。記憶の中のそれは、もうずっと前の事のような気がして、けれどすぐ傍に今でもあの子たちがいるような気がして、グッと湧き出そうになる感情に瞼が熱くなる。あの子たちの事を思う度、あの時の抗争時を思い出す度、俺はこの先もきっとこんな風に自己嫌悪に陥るだろう。けれどジャンはこんな俺を好きだと言う。正直そんなジャンの気持ちを自分は理解など出来ない。けれど。

「ジャン。」
「ん?」
「それを知ってて、俺が応えられる訳が無いって・・解ってんだろう?」
「うん、そうだな。」
「ならどうして俺にそれを言うんだ。」
「だって・・さ。やっぱり俺、アンタが好きだからさ。」

嘘なんてつけねーよ。ジャンは静かにそう口にし、ゆっくりと顔を近付けてくる。先ほどの強引さとは打って変わって、躊躇いながら。琥珀の瞳を瞬かせて、そっと閉じられる。暫くして再び降りてきた唇をルキーノはもう拒むことなど出来なかった。











静かな瞳に絆される










END









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