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火の用心

※バサラ3仕様です。


不毛だ。そう思うのに足は止まらない。
不毛だ。そう思うのに心は逸る。

色付いた木の葉の切れ目、あっと思った時にはもう遅い。跳ね上がった心拍を抑える前に「真田!」と、口は既にその名を呼んでいる。弾かれたように赤鹿毛の髪が弧を描いた。振り返った表情が瞬く間に輝き出す。

「政宗殿…!」

そのまま待っていればいいものを、幸村はわざわざ繁った木の葉を掻き分けて政宗の方にやって来ようとする。呆れた溜め息の一つでも出ればいいのだが、それすら出来ぬ自分がほとほと情けない。犬ッコロみたいに真っ直ぐ向かってきやがって、不毛だ不毛だと嘆くこちらが馬鹿になる。顔を固め平静を繕うのに、少し苦労した。

「お久しう、政宗殿」
「夏以来か?」
「はい…!」

一言交わす毎に、幸村の顔は目に見えて綻んでいく。いつものことながら、仔犬のように懐かれるのは、気恥ずかしい。気恥ずかしくて堪らない。真っ向から懐かれることに、とんと耐性がないのだ。思わず視線を俯けたくなるのを、竜としての矜持で堪える。しかしやはり真っ向から視線を合わせるには平静が足りなくて、わずかな動きで目のやり場を探す。どうして戦場で会うときと、こうも勝手が違うのだろう。

その時、幸村の頭上に、ぽつんと乗った赤い葉を見つけた。がさがさと木の葉を掻き分けていたから、その時についたのだろう。どこかほっとした気持ちでそれに手を伸ばす。可愛いもん付けてんじゃねぇか、とでも言いながら取ってやろう。ついでにいつものように、頭でも撫でてやろうと思ったのだ。年甲斐もなく逸る自分を抑えるには、どうにかしていつもの優位性を取り戻す必要があった。

だが、それが一歩遅かった。

秋らしくない、ぬるい風―――いや、ぬくい風が吹き抜けた。そう思ったのは錯覚だったのだろうか。清涼感を伴わない、陽射しの匂いを含んだ風。それを感じた時には、政宗は上げかけた手もそのままに、幸村に抱きしめられていた。抱き締める、否。犬がじゃれつくようにとかそんな勢いではなくて、もっと大きなものにしっとりと身を包まれる。それはただ、包むような、ごく自然な抱擁のかたち。落ち着いたあたたかさに身が竦む。


「お会いしとう御座いました」


ひゅ、と冷たい空気が胸に滑りこんで、喉が上ずるのを抑えこむ。邪魔な鼓動を意識の外へ追いやって、そろそろと吸い込んだ息を腹の下に敷き詰めた。

「ああ」

その一言を返すのに随分と時間が必要だった。






信玄が倒れてから、幸村は躑躅ヶ崎周辺の警戒も任されているのだという。名実共に大将となりつつあるのだから当然のことだ。

その所為、なのだろうか。そう思って、それだけではないなと一人頭を振った。隣を歩く横顔をそっと見遣る。鼻梁が少し逞しくなって、体格も少し厳つくなった気がする。少年っぽさが抜けて大人になった。

「……活気があるな」
「はい。葡萄の収穫が盛りの頃かと」

身長こそまだ政宗の方が高いが、どっしりとした態度に、政宗は戸惑いのような妙に地に足の付かないような感覚を覚えていた。妙に気まずさを感じてしまうのは、こうして話すのが、あの上田での一件以来だからかもしれない。ならば、この妙な感覚は時を重ねれば薄れるのだろうか。

「葡萄……か」

それとも、ここらが頃合いなのか。不毛だ、不毛だと政宗が嘆いていた事。この関係は、不毛である。何も生み出さない。何も益はない。寧ろ、邪魔である。邪魔なのだ。以前は仔犬がじゃれ付いてくるのに流されるまま、いや流すまま、そういった立ち位置で逢瀬を繰り返していた。絆されなかったかといえば嘘になる。じゃれ付かれるまま、親しまれるままに気を許していった。惹かれなかったかと言えば嘘になる。だがこの感情は、邪魔だ。同盟によってはっきりと敵対関係を示してしまった、今では。大人になったこいつなら、周囲の見えるようになった幸村なら、もう気付き始めているだろう。それ故の落ち着きなのではないだろうか。それ故の、この身に染み入るようなあたたかさなのではないだろうか。ならばいっそ、政宗の方からこれを最後にと言ってやったほうが、幸村も楽かもしれない。引き時の判断くらい、年上の自分が付けてやった方が―――――


「――食されたことは?」
「An?」


ふと、我に返る。幸村の赤みがかった目が此方を窺い込んでいた。はて、何の話だったか。慌てて記憶を辿る。――――ああ、そうか。葡萄の話だ。思考に埋没して、すっかり聞き流してしまっていた。

幸村は、あまり葡萄に馴染みのなさそうな政宗に反応したのだろう。確かに、葡萄という果物は話に聞いたことはあるが食したことはない。古くから栽培されている果物だというが、その産地は主に西国である。

「……いや……ねえな」
「ならばこの機に是非食して下され。あれを食さずにいるというのは勿体のう御座る!」

幸村は政宗の手首を掴んで、少し足早に歩き出した。その強引さに、わずかに足が躊躇した。以前は政宗がふざけて肩を当てたりするくらいで顔を真っ赤にしていたのに、人前で手を引っ張るなどと大胆な真似が出来るようになったのか。政宗の記憶の幸村が初々しすぎたということもあるだろうが、やはり年月を感じずにはいられない。それが少し、寂しくも、あった。

幸村の行き先は明確だった。おそらく館からも目を掛けられている店なのだろう。大きな店構えの青屋である。大きな梨や、色艶の良い林檎、膨れた柿などが一つ一つ、腰を落ち着けるようにして鎮座している。それらが並ぶ見世棚には人影が多く、その幅も多種に渡る。麻を着た女子供や、袴を着た武士。皆が笑顔で果実を覗き込む様は、戦国の世を忘れさせるような光景だった。

幸村は果物の並びに近付き、黒い玉が房のように連なっている果物を一つ手に取った。射干玉が大きく膨らんだような実に見えるが、あれが葡萄というのだろうか。林檎などとは違って温かみが感じられず、どこか清廉とした印象を受けるが……。

「店主!上は空いているか?」

房を持った幸村の問いかけに、奥から出てきた男が「へい」と明るい反応を返した。顔なじみのようだ。青屋の主人と顔なじみとは、いかにも幸村らしい。

「政宗殿、どうぞ上へ」

促されるまま店の奥へと入る。軋む音を立てる階段を上っていくと、十二畳ほどの小部屋に通された。店屋の主人は部屋に入らずに階下へと戻っていく。幸村に続いて政宗も部屋に入る。背後で、幸村が襖を閉めた。

「ここは忍んで下町へ来た時の休息所で御座る。ごゆるりとなされよ」
「Hum、便利なモンだな。……アンタ、ここの常連なのか?」
「お、お恥ずかしながら……果実の類いはこの店が一等よいものと心得ますれば……」
「オススメを紹介してくれたってことか。ありがてぇな」

足繁くあの大きな見世棚に他の客と交じって通う幸村の姿が容易に想像できて、政宗は口を緩めた。

刀を外して畳みに腰を下ろし、息を着く。馬に揺られた後は歩き通しだったから、少し疲れが来ているようだ。しかし、寛いでいるのを示すため胡坐を掻くのもだらしなく座り込んだのだが、幸村が腰を下ろす様子はなかった。

「真田?」
「―――あ、いえ、何でも御座らぬ」

慌てて腰を下ろす幸村に、何かあったのかと求めてみるが、慌てたように頭を振るだけだった。一瞬、放心していたようなのだが。しつこく糾問するのも、それほどではないような気がして、こいつも疲れているのだろうかと結論付けておくことにした。

「それが葡萄か。果実にしちゃ、けばけばしい色合いしてんだな」
「けばけばしい、とは」

率直な感想を言うと、幸村は穏かに笑い声を立てた。その笑い方が男臭くて、こんな風に笑うやつだったかと目を瞬かせる。

政宗の様子には気付かずに、幸村はその房から黒い実を一つ千切り、枝に付いていた部分に爪を立てた。

「葡萄は、このようにして皮から実を出して食しまする」

黒い皮を捲った箇所から、半透明の実が姿を現した。同時に果汁が幸村の指を伝う。よく熟れているのか。たしかに、薄い黄緑色をしたその実は美味しそうだった。だが幸村はそこで皮を剥くのを止めて、「某は皮ごと食しまするが」と言って黒い皮がついたままの実を口に放り込んだ。ばりばりと種を砕く音が聞こえてくる。おまえは栗鼠か。

「ささ、政宗殿もどうぞ」

言われて、幸村がやった通りに葡萄の房へ手を伸ばした。いつもは此方が教える側だったから、幸村に教わって真似るというのは中々新鮮でくすぐったい気分になる。房からぐりぐりと回して実を千切ると、その断面の皮が少し破けて枝に残った。外観に反して実は軟らかい。皮を剥ぐのに、思ったより手間はかからなかった。指は果汁だらけになっていくが。実を口に入れて咀嚼すると、指についた以上の果汁がぶわっと口内を満たした。甘酸っぱい香りが鼻を抜けて、するすると実は喉の奥に消えていく。旨い。

「……如何で御座ろうか…?」

ふと視線に気付いて顔を上げると、幸村が神妙な顔付きでそう問い掛けてきた。その顔の理由を考えることなく、政宗は率直に返事をする。

「うめぇ。もう一つ貰うぜ」





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