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紫紺に滲む空

※家政が前提気味の三政です
※のっけから家康死んでます




交わる干戈の音。馬の嘶き。それらが全て、関ヶ原の湿り気を帯びた風のように、吹き抜けていく。留まることは無い。遠い喧騒の中で、自分の荒い呼吸と、今にも砂利に足を取られそうな歩みだけが嫌に大きく聞こえていた。心臓は、不気味なほどに音を立てていない。

「………ハハ、ハハハ、ハハハ……アハハハハハハハハ!!」

笑い声を張り上げたのは、それが歓喜から出るものではなく、静寂を打ち消すためのものだと自覚しかけていた。それを無視して、無視したことも忘却しようとした。からからに乾いた心に、自分の笑い声だけが落ちていく。

「やった、やったぞ!秀吉様、ついに……アハハハハ、アーハッハッハッハ……ハッ…ハ」

闇が、抜け落ちていく。膝から力が抜けた。勢いがただの無を孕み、崩れていく。抜けてから気付く。終わってから気付く。何もかも、何もかもだ。分かっている。分かってしまった。自分は自分で、止めを刺してしまったのだと。奴のいう『絆』。それを三成から最初に奪ったのは家康だったが、全部などではなかった。認めたくないが、これが三成に残された最後の『絆』だったのだ。今こそ、今こそ三成は全てを失ってしまった。自ら、失ってしまったのだ。

「この……空虚は……?」

気付きたくない。しかし気付かずにはいられない。全て、今までの自分を、満たしていたものは全て消えてしまった。何も無い。刀すら手を滑り落ちていった。何も無い。もう自分には、三成には何も―――――――――



「いえ……やす……?」



その声は、異質だった。残酷なまでのしじまに、事も無げに割り入ってきた。陣営の奥から現れたその姿を、三成は膝を着いたまま見上げた。大きな弦月が、鈍色の空を映して陰っている。その下から一つだけ覗く目が、限界まで見開かれていた。そこに、見慣れた色を見つける。ああ、絶望だ。この後に何が来るか、三成は放心しながらも予想がついた。

「……アンタ、まだ死ねねえって、言ってたじゃねえか」

ふらふらと、そいつは横たわる家康の前に膝をつく。見知らぬ相手と、遺体を挟んで対峙することになった。向こうの視界に入っていないというのは、聊か気持ちが悪いものだ。稲妻の走る手甲が遺体の頬に伸びる。恐る恐る、といった様子はない。その様はどこか、幼子をあやしているように見えた。

「死なねえ、死ねねえ。オレに嘘つくなんざ、いい度胸してやがる」

言葉は強い。態度も毅然としている。とても悲嘆にくれているようなものではない。だが僅かに見えた口元は緩く弧を描いて、泣いていた。どこかで見た状況だと、何を思うでもなくただ見入ってしまう。ああ私は、こいつの絆を絶ったのだと、今さらながらに気が付いた。関係ない。こいつの悲嘆など。関係ないのに、笑みを浮かべながら泣く様が、記憶の中の三成との相違を強調した。

「よう……石田」

目をくれることもなく、息絶えた家康を見守るようにしながら、男は穏かな声で言った。向こうは自分と何処かで面識があるらしい。そういえば此処へ赴く前、刑部が『徳川と伊達が手を結んだ』と言っていた。こいつが伊達というのかもしれない。穏かさの中に秘められた澱みが、三成の胸を刺激した。

「…………アンタ、これで満足だったか?」

ああ、と答えれば「そうかい」と男は返して終わらせただろう。だが、三成は答えなかった。答えれば嘘になる。嘘は言えなかった。その瞬間、ぎゅるりと、男は独眼を剥いた。

「――ッだったら、何の為にこいつは死んだ!?」

がづッ! 咆哮の如き激昂と共に、手甲が地を穿つ。煌々と燃えるような光を放つ目から、一筋、線が落ちた。それを見た三成の眼からも何かが落ちた。男のそれは透明で、三成のそれは真っ赤だった。

怒りに震えながら、鮮烈なまでの殺気を帯びながら、男は一心に三成を睨みつけていた。その態度にあまりにも覚えがあったので、三成は自然にこう尋ねた。「お前は私を殺すのか」と。ただの繰り返しになるのか。それならば悔しいが、家康の言った通りになってしまう。怨嗟は終わらない。途切れた絆の代わりに繋がっていく。だが男の答えは、三成の思惑とは外れていた。

「HA!……いいや」

ぎらぎらと殺気を漲らせながら、男は抑えた声でそう返す。三成はその態度に、戸惑いを覚えた。

「貴様……私が憎くないのか」
「憎いさ。殺してやりてェくらい憎い」

涙の跡は光っているのに、口角を吊り上げていくその男は、さきほどの悲嘆にくれていた姿とは似ても似つかなかった。そして三成の記憶からは完全に外れた、未知のものになった。男は笑っている。憎いといいながら、瞳に殺気と憎悪を滲ませながら男は笑う。

「なら何故、殺さない……!?」
「HA!……オレがアンタを殺さなきゃなんねェ理由が、何処にある」

至極当たり前だというように、男は笑う。それが理解できなくて、三成は立ち上がりかけた男の腕を掴んだ。男は一度家康を見て、それから三成を見て、何事も無かったかのような無表情に戻った。

「刀も持てねェアンタなんざ、オレの敵じゃねェんだよ」

言われて気付く。三成の刀は十間先ほどに転がったままである。それでようやく、自分が誰かに殺されたいのだと、気付いた。その相手としてこの男を選んだことも。自分と同じように憎しみに塗れた目をした、この男だからこそ、己に引導を渡して欲しいと思った。だが男は、家康よりもずっと、ずっと非道で不条理な造りをしているらしかった。

三成の腕を忌々しげに振り払った男が、全てに背を向けて、死刑宣告のように言葉を置いた。



「殺してなんかやらねえ。アンタは、生きるんだ」



それがアンタの罪だとばかりに、男はその場から遠ざかっていく。三成は、腰を上げた。足元に転がる遺体を見遣る。政宗がそっと触れた家康の顔は、こころなしか満足げだった。死刑宣告のような、生き地獄を申し付けられた直後だというのに、三成の心中は最早空ろではなかった。何かが、芽吹いている。いや、転がり込んできている。それが何かはわからない。何かはわからないけれど、決して三成を良い状況へ持っていけるものだとは思えなかった。そんな予感を抱えながら、三成はその場を後にする。家康に別れを告げる。そしてその、蒼い背中を追った。





に滲む




101019 天草 小野様へ
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