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記念リクエスト
1
明かりもついてない一室で連戸甲三郎(れんと こうざぶろう)は何をするでもなく座っていた。

張り替えたばかりの真新しい緑色をした畳に、紫の座布団を敷いて正座をする連戸は、ジッと目をつむったまま微動だにしない。 
 
まだ夏も過ぎたばかりの夜は蒸したような暑さが残っているものだが、連戸はワイシャツの首元のボタンを開けただけで涼しげな顔をしている。ちっとも動かないことも相まって、まるで蝋人形のようだ。

しかし人形などではない証拠に、連戸は時折目を開き、廊下に面する障子を横目でチラリと見ていた。
 
その日はとても静かな夜で、障子の向こうからはコオロギやスズムシの鳴き声がよく聞こえてくる。ふと、その虫たちの合唱に混じり、遠くから騒がしげな物音もしてきた。
 
ドタドタと慌ただしげに踏み鳴らされる足音、荒々しい息遣い。それはどうやら誰かが走っている物音のようだった。
 
連戸は音が聞こえてくると同時に立ち上がり、足音も立てずに廊下へと出た。

「師匠ー! そっちに行きました!」
 
廊下の向こうの曲がり角から聞こえてきたのは、弾んだ子供の声だった。例の騒がしい足音も、どうやらこの子供が原因のようだ。
 
足音はさらに近づいてくる。連戸は無言のまま廊下の真ん中に立ち、廊下の角をまっすぐ見据えていた。

「し、師匠!」
 
廊下の角から姿を現したのは、半袖のカッターシャツに黒のスラックスを穿いた、見るからに学生といった出で立ちをした少年だった。だが、姿を現したのは少年だけではなかった。少年の目の前にも何かがいたのだ。
 
黒く半透明な人型のそれは、少年から逃れるように数メートル先を走っている。走っていると言ってもその影のようなものには足がなく、さながら滑走しているようだった。
 
影は廊下を走りながらまっすぐに連戸の元へ近づいてきた。連戸とぶつかることなどまるで考慮していないかのような速度で迫ってきている。
 
連戸はそんな影に臆する様子を見せず、滑らかな手つきで右腕を突き出し、影の方へ何かを掲げた。風に吹かれヒラヒラと揺れるそれは、真っ白な半紙だった。
 
影が目前まで迫って来た時、連戸は低い声で呪文のような言葉を短くつぶやいた。すると影は霧状になりながら、半紙に吸い込まれるように消えてしまう。後に残ったのは、何かの術式のようなものが記された半紙だけだった。

「ハァハァ……よかった、上手くいきましたね」
 
ふらつく足取りで連戸の元まで追いついた少年は、走り続けたために紅潮した顔を上げ、額に浮かぶ汗を拭った。

「ああ、清司(せいじ)のおかげだ。おかげでこれも回収できた」
 
連戸は先ほどの半紙を清司と呼んだ少年に見せ、ニヤリと口元に笑みをつくった。

「さっきの影がこんな術式に……ということは、あれはやっぱり誰かがかけた呪いだったんですね」
「その可能性は高い。まあ、おおよそこの家の者の仕業だろう」
 
連戸は半紙を綺麗に折りたたむと、小さくなったそれを懐にしまった。
 
いわゆる払い屋をしている連戸は、この夜屋敷の主人に頼まれ、毎晩現れる謎の人影の正体を調べていたのだ。

「でも、どうして自分の家にそんな怪しげな術をかけるんですか?」
「こういう大きな旧家は色々あるんだ。早いところ報告を済ませて今夜はもう帰ろう」
 
明日も予定があるからと、連戸は急ぎ足で屋敷の主人がいる離れへと向かう。その後を追う清司は、親について行くカルガモの雛のように、ひょこひょことした足取りをしていた。




屋敷の主人に報告を済ませた二人は、家に帰るため暗い夜道をとぼとぼと歩いていた。幸い月明りや街灯の明かりで足元は十分照らされているが、それでも心もとなさは残る。
 
そんな中、清司は蒸し暑いのも気にせず、連戸にピタリとくっつきながら歩いていた。

「今日はずっと走り回って、とっても疲れました」
「お疲れ、ゆっくり休まないと明日にも響くからな」
「はい……あの、師匠、今日みたいに走り回っているだけで修業になるんでしょうか?」
「出し抜けにどうした?」
「僕、早く一人前になりたいんです! だからもっと実力をつけたくって……」
 
シュンとする清司とは対照的に、その言葉を聞いた連戸は微笑ましそうに表情を緩めた。
 
もともと清司は連戸の元に修行という形でやって来ていた。代々多くの霊能者を輩出している清司の家は、十代に差し掛かると外部の霊能力者の元で修業をしなければならない習わしがあり、清司も例に漏れずその習わしで連戸と行動を共にしていたのだ。

一人息子ということもあってか、家の期待を一身に背負う清司の修行に対する思いは並々ならぬものがあり、こうやって気がはやることもたびたびあった。
 
そんな熱心な清司を見ていると、連戸はいつも心の奥が温かくなるのを感じた。惹かれていると言っても過言ではないだろう。

「君なら焦らなくてもいい払い屋になれる。それに急いては事を仕損じるとも言うだろう?」
「そうかもしれないですけど、でも、僕は……」
「気持ちは分からなくもないがな。それじゃあ、清司に質問だ」
 
連戸は影を吸い込み、術式の描かれた半紙を取り出すと、それを広げて清司に見せた。

「これを見て何か気になることはないか?」
「え? うーん、僕、こんな術式はまだ習っていないから何と言えばいいのか。でも、無駄がなくてすっきりしてますね」
 
清司の顔は自信がないのか困り顔だ。しかし、清司の答えを聞いた連戸は穏やかだった眼差しを鋭くさせ、射貫くような目つきで手元の半紙を見ていた。

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