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短編

男の声が聞こえてきた瞬間、小野井の頭の中は真っ白になった。手足はワナワナと震え、恐怖と緊張のために視界は霞んで見える。

「雌犬! そこにいるのか? 逃げたって無駄だ、大人しく出てきやがれ!」

男は怒気をはらんだ言葉を、てんでデタラメな方向に向かって叫び続ける。

あまりことに怯えていた小野井だが、男はまだ自分の居場所に気づいていないのだと感づくと、幾分か冷静さを取り戻した。

場所がバレていないのならまだ逃げおおせるチャンスはある、小野井はそう自分に言い聞かせ、気を奮い立たせた。

男はどうやら道を挟んだ向かい側の雑木林の中にいるようだ。

苛立たしげに木の葉を踏みしめる足音が、小野井の耳にも入ってくる。

しかし小野井のことには微塵も気づいていないのか、その足音と怒号は徐々に遠ざかって行った。

「怖がるこたぁない。大事にしてやる、首輪だってもっといいヤツを買ってやるぞ。千太もお前のことを優しく抱いてやるとさ。聞いてんだろ、出て来いよ」

男はさっきとは打って変わって、猫撫で声で小野井に訴えかけた。

しかし言っていることはあまりに異常で、到底出ていこうと思うはずもない。

小野井は木の陰からほんの少し頭を出して、そんな男の様子をうかがった。

男は百メートル程離れたところにいて、こちらに背を向け反対方向に小野井のことを探しに行っている。

狩りで捕ったものなのか、肩に死んだ兎を二羽吊るし、手には黒々とした猟銃が握られていた。

「出て来いつってんだろうが! てめえいい加減にしねえと撃ち殺すぞ!」

しびれを切らした男の声は、あたりに反響しながら次第に遠のいていった。

小野井は再び頭を覗かせ、そちらの方を見た。

ここから見える男の姿はすでに豆粒ほどの大きさで、あと一息耐えることが出来れば逃げ切れそうだ。

だが間の悪いことに、小野井は地面に手をつけた拍子に落ちていた木の枝を踏んでしまった。

パキッという乾いた音が、これまた間の悪いことに男が黙った瞬間、静まり返った山中に響く。

しばしの間があり、男がこちらに向かって走ってくるのと同時に、小野井も脱兎の如く木陰から駆け出した。

とても後ろを振り返る余裕はないが、確実に男は小野井を見つけ追いかけてきている。

その証拠に背後からは、けたたましい怒号が飛び交い、ザッザッという木の葉を踏み、舞い上げる音が聞こえてきた。

狂ったように叫び続ける男は、最早人間ではなく鬼か化け物のようだ。

こんな男に捕まれば、自分の身がどうなるかは明白だった。小野井は先程の疲れも忘れ、死ぬ気で走った。

しかし突然男は追いかけてくるのをやめ、その場に立ちすくんだ。

小野井は背後の物音でそれに気づいたが、立ち止まって確認する暇はない。

今のうちに距離をつけようと、ひたすら走り続ける。

そんな小野井の右腕のすぐそばを、何かがかすめると同時に発砲音があたりに響き渡った。

気づけば右腕が熱を持ったように熱くなり、血を滴らせながら地面に点々とした跡を残していく。

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あきゅろす。
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