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短編
9
僕の中で何かが崩れてしまった。これだけ待っても万代さんは助けに来てくれないのなら、もう期待するのも無駄に思えてきて、僕はひたすら無気力になっていた。
 
意外にもそれに対して激しい悲しみはなく、代わりに絶望と虚無感がじわじわと僕の心を満たしていく。案外恐れていたことも受け入れてしまえばこんなものなのだろう。
 
今はただひたすらだるくて、このまま消えてしまいたいとぼんやり思うばかりだった。
 
僕はベッドの上で自分の体を抱き締めるように丸まり、毛布にくるまっていた。巳堂に犯されていた体は気だるく、奴のつけていた香水の香りがいまだに僕の鼻をついてくる。
 
巳堂がいない間は本当に退屈でどうにかなってしまいそうだ。本でも新聞でもいい、何か差し入れしてくれないか交渉してみるべきだろうか。
 
巳堂も僕が従順になってきていることにかなり喜んでいるようだったし、体を開いて甘えてみせればなんとかなるかもしれない。
 
そんなことを考えていると、ドアの向こうから足音がした。巳堂の足音だろう。ここへ来る人間なんて、巳堂意外にいるはずがない。
 
それにしても、仕事だからと出て行った割に、すぐ戻ってきたのは一体どういうことだろう。いくら僕の時間感覚が鈍っているとはいえ、二時間と十時間の差くらいは分かる。巳堂がここを出てからまだ二、三時間くらいしか経っていないはずだ。
 
こんなことは初めてなので戸惑っていると、ドアを開けて巳堂が入ってきた。しかし、その様子は明らかに尋常ではなかった。
 
蒼白な顔面に荒い息遣い。ところどころ殴られた痕なのか腫れていて、右手をハンカチでぐるぐる巻にして左手でギュッと押さえつけていた。
 
黒いハンカチは何かが滲んでいて、じっとりと濡れている。赤い雫が滴って、巳堂が歩いてきた後を点々と汚し……。
 
僕は思わず息を飲み、体をすくませた。恐ろしさのあまり巳堂がすぐ目の前に来ても、金縛りのように動けず、毛布をギュッと握り締めることしかできない。

「京太、これに着替えろ」
 
息も絶え絶えな巳堂は、左腕にさげていた紙袋を僕に投げて渡した。

「あ、あの、一体何が──」
「いいから着替えろ!」
 
巳堂は見たことのない剣幕で僕を怒鳴りつける。僕はそれ以上何も聞けず、言われるまま紙袋に入っていたワイシャツとスラックスに着替えた。
 
フラフラとゾンビのように歩く巳堂について行き、監禁部屋を出て一階に続く階段を上がる。いつぶりかの地上に感動する間もなく、巳堂は僕をリビングまでつれてきた。
 
リビングはまるで嵐にでも遭ったかのような荒れ具合で、家具や家電が破壊され、散らばっていた。しかし、僕の意識はまるで違うところに釘づけだった。

「京太、久しぶりだな。腕の一本くらいはなくなってると思ったが、無事なようで安心した」
 
周囲に数人の部下を控えさせ、混沌としたリビングの中でも唯一無事なソファにゆったりと腰かけ、僕を見つめるその鋭い目つきに思わず叫び出しそうになる。
 
胸の奥から言葉にできない感情が込み上げてきて、僕は自制心を失ってしまいそうだった。

「万代さん……! どうしてここに!?」
「なに、人の物に手を出したそいつへ少しばかり落とし前をつけさせに来たんだ」
 
万代さんはそう言って巳堂に視線を向ける。ブルっと身を震わせる巳堂に、僕はほんの少しだけこれまでの鬱憤が晴れていくのを感じた。

「ほれ、お前の指返してやるよ。冷やして病院に持って行きゃまたくっつくかもな」
 
万代さんが血の滲んだタオルの包みを投げて渡すと、巳堂はギリギリと歯を食いしばってそれを握り締めた。
 
その姿を鼻で笑いながら、万代さんはソファから立ち上がる。

「てめえんとこの親父にもよろしく言っといてくれ。これで手打ちってことにしといてやるからよ」
 
その瞬間、巳堂の反抗的だった表情がフッと真顔に戻った。かと思えば、憎しみや恨みつらみを煮詰めたような、ドス黒い感情を滲ませ万代さんをにらみつける。

「いい気になるなよ」
 
低い声でボソリとつぶやき、巳堂は笑った。

「ここまでしてお前が助けに来た京太は、お前のことが信じられなくて俺のものになってたんだからな! お前のことなんか忘れて毎日ヤリまくって、最高に幸せそうだったぜ!」
「な、何言ってるんですか!?」
「だってそうだろ、京太? ここ最近は万代のことなんか忘れて、俺と気持ちいいことしてたもんなあ! 自分から腰振って可愛い声でアンアン喘いでなあ!」
「ち、違います! そんなこと……」
 
巳堂の言葉を否定しなければ。むしろ巳堂の方がおかしいと言わなければ。なのに僕は、誰にも知られたくなかったことを顔見知りの人間どころか万代さんにまで知られてしまい、動揺のあまりしどろもどろになっていた。
 
これじゃあ巳堂の発言を肯定しているのと一緒だ。ああ、どうしよう。軽蔑されてしまう。どうしようもないクズだと見捨てられてしまう。

周りからの視線が痛くて、僕は今すぐにでも消えてしまいたかった。

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