短編
1
酷い痛みが指先から手の方へ広がっていく。爪のなくなった右手の人差し指と中指は真っ赤なマニキュアを塗ったみたいに血でコーティングされ、僕はそれを見るたび気が遠くなりかけていた。
だが、ここで気絶でもしたら待っているのは確実な破滅だ。起きた頃には、いやもう二度と目覚めることはないかもしれないし、仮に二度目があったとしても僕は五体満足でいられないだろう。
「意地ばっか張ってるからこんな目に遭うんだぜ。ほーら、痛いの嫌だろ? やめて欲しいよな?」
椅子に縛りつけられ身動きもできない僕の目の前で、ニヤニヤと悪趣味に笑う男は、僕に血のついたペンチを突きつける。
確か、東井(あずまい)という名前だったと思う。短気で、趣味が悪くて、僕のことを好き勝手拷問した上に、たまらず僕が泣き出すとさらに喜んで痛ぶってくる最低な男だ。
「これ以上酷いことされたくなかったら、分かってるよな? 万代(まんだい)の隠し資金の場所洗いざらい吐け」
これで同じようなことを聞かれるのは五度目だった。もちろん、僕はその度に同じような返事をする。
「ほ、本当に知りません! 万代さんがそんな大事なものの場所を他人に教えるはずないじゃないですか!」
チッと東井は舌打ちをする。次の瞬間人差し指をペンチで挟まれ、僕は絶叫をあげていた。
ギリギリと嫌な音がして指はあっという間に紫色に変色していく。骨が折れるのが早いか、肉が潰れるのが早いか、どちらにしろあまりの痛みに僕の意識はどこかへ飛んでいきそうだった。
「このまま指一本なくさねえと自分の立場分からねえみたいだな!」
「いだっ、嫌だ! 助けてっ、があっ!? いっ、痛いっ! 死んじゃう!」
「これくらいで死ぬわけないだろ! てめえ万代の右腕ならもっとマシな話のひとつやふたつしてみろこのカスが!」
激痛の中でも僕は苦し紛れの嘘をつくことすらできなかった。散々痛ぶられたせいで身も心もボロボロになり、まともな嘘をつく余裕を失っていたからだ。
それに、万代さんへ恩を仇で返すような真似はしたくなかった。それがたとえ苦しみから逃れるためやむを得ず虚偽の密告をする場合であったとしても。
万代さんは行き場のない僕を取り立ててくれた大事な人で、ただの上司ではなくもっと重要な、神様みたいな人だから──。
「東井、その辺にしておけ。そいつが死んだら元も子もない」
遠のいてきた意識の外で誰かが何かを言っている。ふと激痛が走っていた指が解放され、僕は涙を流しながら枯れた喉を震わせ嗚咽した。
指を切断されずに済んだ安堵から、僕は東井のことも忘れて深く息をついた。
「巳堂(みどう)さん……すみません、少々手間取ってはいますが、もうすぐこいつの口から万代の隠し資金の在処吐かせますんで」
「同じセリフをつい二時間前にも聞いた気がするがな」
東井の暴挙を止めたのは、巳堂という名の男だった。会話の様子から見て東井より上の立場らしいその男の、物静かそうなその雰囲気には僕も見覚えがある。
僕はこの男にさらわれた。厳密に言うと実行犯はもっと下っ端の奴らで、巳堂は直接手を下さず指示を出していただけだが、万代さんを出し抜き僕を誘拐した手はずのよさや頭のキレは侮れないものがある。
僕が警戒心剥き出しでそちらをうかがっているのに気づくと、巳堂は何も言わずこちらへ近づいて来た。僕はとっさに口を開く。
「ぼ、僕、本当に知らないんです……そもそも万代さんが大金をどこかに隠してるのだってただの噂話に過ぎないし……」
「隠し資金の話は本当のはずだよ。噂じゃ資金の大半は万代の前任者がたんまり貯め込んでいた金だって言われてるが、実際その前任者が大金を懐に入れていたのは周知の事実だったしね」
「じゃ、じゃあ万代さんがその金を掠め取ったって言うんですか?」
「ああ、例の前任者がうっかり殺された後、貯め込んでいた金は綺麗さっぱりなくなって、ほどなく万代が台頭し始めたことを考えると自然な話じゃないか?」
確かにそれは自然な話かもしれないけど、どっちにしたって僕が隠し資金の場所を知らないのに代わりはない。巳堂は東井よりも頭はキレそうだから、僕の訴えも理解してくれるはずだ。
とにかく無駄に刺激しないよう気をつけながら、早く僕のことを解放するよう説得しないと。
「隠し資金の話が本当だってことは分かりました。でも万代さんは、あの人は重要なことはたとえ僕相手だとしても言うはずありません」
「自分の右腕すら信じてないなんて万代も人間不信が過ぎるな」
「……僕を拷問したって、お互いの組をいたずらに刺激するだけです。今ならまだ問題を大きくせずに済みます。早く僕を万代さんのところに帰してください」
必死の訴えのつもりだったが巳堂は腹を抱えて笑い、東井は露骨に苛立つと僕を怒鳴りつけた。
「てめえまだ自分の立場分かってねえのか! てめえがここから出れるのは隠し資金の在処吐いた後か、死んだ後のどっちかなんだよ!」
「まあまあ東井、脅したって無駄骨だ。この様子じゃ本当に知らないようだからな」
「しかしねえ、巳堂さん。こいつをこのまま万代のとこに返すっていうのも……」
「万代に返す? いつ俺がそんなこと言った? 彼はそのまま俺がもらうことにしたんだ。彼……ええっと、名前はなんだっけ?」
話を飲み込めないまま呆然としている僕を東井が小突く。名前を言えということか。
少し戸惑いながらも僕は素直に名を告げた。
「朝桐京太(あさぎり けいた)、です」
「京太ね。それじゃあ今日から君のご主人様は万代じゃなくてこの俺だから、よろしく頼むよ」
ご主人様? 一体巳堂は僕に何をさせる気だろう。猛烈に嫌な予感がしてきたが、僕にできることは何一つなかった。
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