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短編

朝彦が座ったのを見届けると、葉月はようやく口を開いて、旅先で起きた奇怪な出来事について話し始めた。



――三日くらい前だったかな、トランシルバニアに滞在して十一日が経過しようとしていた頃だった。

正直もう見たいものは見たし、長旅で疲れていたから、その日はホテルの近くでぶらぶらしてたんだ。

そして誰もいない湖畔を見つけて、しばらく湖を眺めて過ごしてたんだ。

一時間たってそろそろ帰ろうかと思ったとき、いきなり後ろの林からガサガサっていう音がして、俺は驚いて音のした方を見ようとした。

するといきなり何かが俺に向かって飛びかかってきたんだ。

その時は本当驚いたよ、なんたって襲ってきたのは狼だったんだから。俺は狼に食い殺されそうになったんだ。

だが近くにあった石を掴むと、その狼に一撃食らわせてなんとか追い払うことに成功した。

それで俺は急いでホテルに戻ると、事情を話して病院に検査をしに行ったんだ。怪我はちょっと奴の爪が掠ったのと、膝を擦りむいたくらいだ。

でも妙な話なんだが、この辺に狼なんか出ないらしいんだ。それで結局俺が見たのはただの野犬、狼は見間違いってことにされちまったんだよ。



葉月はここまで話すと少し疲れたのか間を置いた。するとすかさず朝彦は葉月に言って聞かせた。

「そういう話なら向こうの野生動物保護団体にでも話したらどうだ。それとも病気が心配なのか? でも向こうで狂犬病の検査だって受けてきてるんだろ? 心配することないよ」

だが葉月は大きく首を横に振って溜息をつくと、朝彦の方を見据えながら話の続きをした。



――話はここからだ。いいか、俺はその後狼のことはほんの少し気に掛けていたが、それもすぐに忘れて楽しい東欧旅行を満喫していたんだ。

だが帰国する前日になって町を歩いていると、いきなり占い師の婆さんに声を掛けられたんだよ。

取りあえず話を聞いてみることにしたんだが、意外にその婆さん英語もしゃべれるから話もスムーズに進んだよ。

で、その婆さんが言うには、俺から尋常じゃない程獣の臭いがする、きっと満月の日には獣そのものになるだろう、ということらしいんだ。

俺は真っ先にあの狼のことを思い浮かべたね。

それでどうすればいいのか聞こうとしたんだが、生憎解決方法は知らないらしい。

それでビクビクしながら日本に帰国して今に至るという訳さ。



話を終えると葉月はまた大きな溜息を一つついた。

朝彦はというと、話が中々飲みこめないのかしばらく押し黙っていたが、ようやく整理がついたらしく口を開いた。

「つまりあれか、ルーマニアに行ったのに吸血鬼じゃなくて、狼男になって帰ってきたってことか? うーん、東欧に狼男ってイメージはないけどな」
「イメージの問題じゃないだろ! なあ真剣に考えてくれよ、今日は満月でおまけに快晴なんだぜ」 

必死に訴えかける葉月を制し、朝彦は落ち着かせようと話を始めた。

「そもそもお前の思ってる狼男像なんて、ほとんど映画とかの影響だろ。実際は精神を病んだ奴や狂犬病にかかった奴が、狼男と勘違いされただけの話さ」    

だがその言葉は葉月を励ますほどのものではなかった。

頭を抱えて怯える彼を見て、朝彦は困り果て、どうしようもないと窓の方に目を向けた。

話し込んでいる間に時間がたったのか、外はもうすっかり暗くなってきている。

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