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短編

僕の勤めるバーには、毎晩の如く酔っ払いや呑んだくれが集まってくる。それこそ樹液に群がる昆虫のようで、僕はあまり好きになれない。

しかし常連客の阿木(あぎ)さんだけは、僕の心を満たしてくれた。
 
今日も阿木さんはカウンターの端に座って、いつものようにウィスキーのロックをダブルで頼み飲んでいる。

周りはガヤガヤとうるさいのに、阿木さんの近くにいるだけでそんな喧騒が遠くに感じられた。
 
阿木さんは騒ぎながら飲むのは好きじゃないらしく、常に一人で飲んでいた。だからと言って話すのが嫌いというわけでもなく、僕が話しかけると快くそれに答えてくれる。

「阿木さん、どうですか? 今日はカクテルでも飲んでみませんか?」
「悪い、猪飼(いのかい)君。俺は今日もこれの気分なんだ」
 
阿木さんが飲んでいたグラスを傾けて見せると、半分ほどの量になった琥珀色の液体が波打ちながら光を反射していた。僕はつまらない提案をしたことで、阿木さんに申し訳なくなり肩をすくめた。

「すまない、また今度の機会に君のカクテルを頼むから」
 
阿木さんは僕に気を遣って、ニコッと笑って見せてくれた。

無精髭の生えた精悍な顔立ちにもかかわらず、その仕草は愛らしさがあって僕はついジッと魅入ってしまった。

「どうした、俺の顔に何かついてるのか?」
「あっ、い、いえ、なんでもありません!」
 
僕は阿木さんの顔をジロジロと見過ぎたらしい。阿木さんの気を悪くしたわけではなかったが、僕は気まずさと恥ずかしさからすぐにでもその場を立ち去りたくなった。

「まあまあ、今日は店もすいてるし、もうちょっと話し相手にでもなってくれないか?」
 
珍しく阿木さんは僕のことを引き留め、何やら期待したように僕のことを見つめている。

誰だってふとベラベラとしゃべりたくなることがあるもので――特にここの客はそうだ――きっと阿木さんもそうなのだろう。

阿木さんと話す口実ができたことで、僕の心は舞い上がり、浮足立っていた。

「猪飼君は毎日酔っ払いやらオッサンの相手をして、大変じゃないか? せめて若い女の子でも来たら、少しは楽しいだろうにな」
「そんなことないですよ。僕、阿木さんと話している方が楽しくて好きですから」
 
阿木さんは僕の言葉を聞いた途端、目を真ん丸に見開き僕の顔をまじまじと見つめた。
 
僕はしまったと思い、自分の顔が熱くなり赤く染まっていくのが、鏡がなくてもはっきり分かった。

「阿木さんと話している方が楽しくて好き」なんて、どう考えても口説いているようにしか聞こえない。

お世辞と思ってもらおうにも、僕の言い方はあまりにも本気すぎた。

「や、やだな! 冗談ですよ、冗談」
 
僕は慌てて取り繕い、漏れてしまった本音を冗談に仕立てあげようとする。どうやらそれは功を奏したようで、阿木さんはホッとしたように僕を見つめ、いつものように笑いかけた。

「君にそっちの気があるかと思ったじゃないか。ハハ、そうだよな、冗談に決まっている。俺なんて男同士で手をつなぐのだって絶対嫌だからな」
 
僕もそれに笑ってうなずき、阿木さんにウィスキーのおかわりを勧める。

しかし表面上は笑っていても、僕の心は阿木さんの何気ないあの一言でズタズタに切り裂かれたように痛んだ。
 
阿木さんはああ言っているんだから、きっと僕に振り向くことは未来永劫ないのだろう。僕は阿木さんに何も悟られないよう、笑顔を作って酒を注いだ。

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