短編
1
木々の葉が徐々に紅く色づき、秋の訪れを知らせている山中を、永岡康十(ながおか こうと)はとぼとぼと歩いていた。
永岡は周りの景色に目もくれず、うつむいては深刻そうな顔でため息をつくばかりだった。
永岡のため息の原因、それは現在自分が遭難者という立場に置かれそうになっている、というものだ。
というのも山登りと写真が趣味の永岡は、少し遠出してこの山を訪れていた。そこで何とも珍しい植物を見つけたのはいいが、それがあるのは山道を外れた先のところであった。
勝手知らぬ山で、登山用の山道から外れるのはご法度ではあったが、永岡はついその植物の写真を撮りたいという誘惑に駆られ思わず脇道へと足を踏み入れてしまった。
そして気づけば元来た道を見失い、すっかり迷子になってしまっていたという訳だ。
「まいったな、どうすれば元の道に戻れるんだ。猪だって出る山なのに、このまま日も暮れたら洒落にならないって…」
そう言いつつ時計を確認する、もう日の入りまでは1時間もない。焦りながら獣道を足早に進んで行くと、ふと目の前に小さな山小屋が飛び込んできた。
永岡は心底ほっとした表情を顔に浮かべ、その山小屋に駆け寄った。山小屋は小さいながらも手入れが行き届いており、どうやら人が住んでいるようであった。
永岡が扉をノックすると、中から一人の男が現れた。
男は背が高いが痩せ形のためかそれほど威圧感はなく、清潔感のある青のワイシャツに白のチノパンと、周りの様子と場違いなほど小奇麗な格好をしている。
男は永岡を見て少し驚いた顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべた。
「どうかしましたか? ひょっとして道に迷ったとか?」
永岡は男の言葉に大きくうなずき、これまでの経緯を身振り手振りを交え話した。それを聞いた男は、呆れもせずに永岡を気遣い山小屋の中へと招き入れた。
中はちょうどワンルームになっていて、ベッドや簡単な料理ならできそうなキッチンがあり、男はどうやらここで暮らしているようだった。
しかしなんといっても目を引くのは、窓際に置かれたイーゼルと、机の上に雑然と散らばる絵具のチューブや鉛筆、そして何冊ものスケッチブックであった。
「はは、恥ずかしいな。まさか人が来るとは思わなくて片づけしてなかったんです」
男はそう言って照れくさそうに頭をかいた。
「ひょっとして画家なんですか?」
永岡がそう尋ねると、男は顔を赤らめやや嬉しそうに答えた。
「ええ、でもそんな大層なものでもないですよ。今の時期は3週間くらいこの山小屋に籠って、色々描いてるんです。そういえばまだ名前言ってませんでしたね。僕は真登(まと)といいます」
「俺は永岡です。ホント助かりました、ここに来なかったらあのまま遭難してましたよ」
それを聞いて、真登はクスリと笑った。
「ここはそんなに大きな山じゃありませんから、遭難者はあなたが初めてでしょうね」
永岡は恥ずかしそうに首をすくめていると、真登から今日はもう遅いのでこのまま泊まるよう提案を受けた。
見れば窓の外の空は赤く染まり、日は落ちかけている。このまま山を下りれば麓に着く前にすっかり暗くなってしまうことだろう。
永岡は真登の厚意に甘え、この山小屋で一泊することにした。
夕食を済ませると、今日一日ですっかり歩き疲れた永岡はすぐに睡魔に襲われた。
椅子に座ったままうとうとしている永岡を見かね、真登は自分のベッドを使うよう勧めた。
「そんなのいくらなんでも厚かまし過ぎますって。いいですよ、俺はこのまま座って寝るんで」
永岡は気を使い真登の申し出を断ったが、真登の方もなかなか譲らなかった。
「それじゃ疲れが余計溜まります。明日はここから麓まで歩かなきゃいけないのに、疲れたままじゃ途中で倒れてしまいますよ」
こうしてどちらがベッドで寝る寝ないの押し問答が数分続いたが、結局真登に押され永岡がベッドで眠ることになった。
ベッドはフカフカしていてとても寝心地が良く、疲れ切っていた永岡はあっという間に深い眠りに落ちていった。
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