短編
3
「一春さん、俺です。瑛人です……心配しないでください、俺はあなたを助けに来たんです」
優しくなだめるように語りかけてきたのは瑛人だった。
一春は聞き覚えのあるその声にひとまず警戒を解き、毛布から頭を出して顔を上げた。
一春の見た瑛人の顔は、悲しみや罪悪感に満ちあふれていた。
もちろん一春にそのわけが分かるはずもなく、何故そんな悲しい顔をしているのだろうという疑問を抱かせた。
「俺のこと覚えてますか?」
「……伊槻の、部下のひと」
「ええ、そうです。ねえ一春さん、俺と一緒に神坂さんから逃げましょう。ここにいたら駄目になります」
しかし一春はその言葉に激しく首を横に振って、絶対に駄目だと訴えた。
「そんなことしたら、一春またひどいことされる! 伊槻にいっぱいひどいことを……」
余程それが恐ろしいのか、一春は冷や汗を流して体をガクガクと震わせ始めた。
すると瑛人はそんな一春をそっと抱き寄せ、子供に言い聞かせるように話しかけた。
「でもこのままここにいても、もっと酷いことになるだけですよ。神坂さんはあなたを自分の玩具にしたいんです」
「おもちゃでもいい……伊槻にひどいことされないなら」
「だから、ここにいたらこの先ずっと酷いことをされ続けるんです!」
思わず怒鳴ってしまった瑛人は、ハッとして腕の中の一春を見た。
一春は今にも泣きそうな顔をして、瑛人から離れようと腕の中で必死にもがいていた。
「すみません、俺……一春さんを助けたいんです。だから……ここから一緒に逃げてください、お願いします」
瑛人の必死の思いが伝わったのか、一春は逃げようとするのをやめジッと瑛人の顔を覗き込んだ。
もう体は震えておらず、心を許したように瑛人の体をギュッとつかんでいる。
「おにいちゃん……ホントに助けてくれるの? 絶対だいじょうぶ?」
「はい、一緒に逃げ切りましょう。それと、俺のことは瑛人って呼んでください」
瑛人はそう微笑んで、薄着の一春に自分の来ていた上着を着せると、陰鬱な部屋を急いで出ていった。
幸い警備の手は薄く、なんのトラブルもないまま瑛人は自分の車に一春を乗せ、脱出するのに成功した。
「ねえ瑛人、これからどこ行くの? 瑛人の家?」
後部座席には今までと違って明るい表情をした一春が、身を乗り出し気味にして瑛人に話しかけてくる。
「いや、家は駄目です。俺たちが逃げたことが神坂さんに知られたら、家にいればすぐ捕まります」
「んー、じゃあどうするの?」
「ホテルに部屋をとっておきました。そこに今後必要な物も金も置いてます。それを取りに行って、今日はできるだけ遠くへ車を走らせましょう」
一春は瑛人の言っていることがあまり理解できていないようだったが、それでも嬉しそうにうなずくと、座席にどっかり座ってウトウトし始めた。
「瑛人、なんで一春を助けてくれたの?」
「俺は……前にあなたを見殺しにしました。だからこれは、せめてもの罪滅ぼしです」
しかしそれに対する一春の返事は聞こえてこなかった。
瑛人はバックミラーで後ろの方をチラリと見てみると、睡魔に負けた一春がスヤスヤと寝息を立てていた。
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