[携帯モード] [URL送信]

シリーズ
2
ところが、ジリジリ後退する古座へ、間の悪いことに久長が話しかけてきた。

「君、木野井さんと何かあったの?」
「べ、別に俺は何も……」
「じゃあ雪間さんの方が何かあったんだ」
 
雪間という名前に反応したのか、それまで沖影と話していた木野井は鋭い眼光をこちらへ向けてくる。
 
古座は心の中で舌打ちしながら、一旦逃げようとする足を止めた。

「おい、お前。秋は元気でやってるか?」
「雪間さんのこと馴れ馴れしく下の名前で呼ぶなよな」
「てめえこそ俺に偉そうな口叩くんじゃねえよ。コソコソ逃げようとしてたくせに、口の利き方には気をつけろよクソガキ」
 
逃げようとしていたことを指摘された古座は、一瞬心臓が跳ね上がるが、動揺を押し殺し木野井をにらみつけた。露骨に殺気立ち、近づくなと無言で警告する。
 
だが木野井は意にも介さず、ズカズカと大股で古座の方へ距離を詰めてくると、逃げられないよう診療所の扉を足蹴にして塞ぎ、同時に古座を壁際へ追いやって退路を絶った。

「こんなところでお前に会うなんて気分が悪いが、ちょうど話したいことがあった。今から俺について来い」
「俺は別に話したいことなんかねえよ。これから行くとこあるし、話ならまた別の日にしてくれよ」
「舐めてんのか。いいから来い」
 
古座の手を握ると木野井は強引に引っ張り出した。力負けした古座はズルズルと引きずられていくなか、すがるような目で沖影や久長の方を見る。
 
助けてくれないものかという望みは脆くも崩れ去り、ニコニコ笑って手を振る沖影や、すでに興味を失い机に向かって他の作業をしている久長の姿がそこにはあった。

「古座君、今度来たときは一緒に気持ちいいことしようね」
「ま、待って! 沖影さん頼むから助けて……! ちょっ、本気で言ってんのに!」
 
診察所から引きずり出された古座の助けを求める声も次第に遠くなっていく。
 
騒がしい古座や木野井のいなくなった診療所はすっかり静かになった。

「連れていかれちゃったけど、あの子大丈夫なのかい?」
 
それまで我関せずだった久長が顔を上げる。尋ねられた沖影は、グッと背伸びをしながらあくび混じりに返答した。

「さすがに殺しはしないだろうし大丈夫じゃないですか? それよりコーヒー飲みます?」
「ああ、せっかくだしもらおうかな」
 
先ほどまでの喧騒もすでに過去の出来事と化し、静かな時間の流れ始めた診療所にはコーヒーの香りが漂い始めていた。



 
力任せに車内へ突き飛ばされ、古座は後部座席のドアに頭を強打し、小さくうめきながらシートにうずくまった。

「もっと詰めろ、乗れねえだろうが」
 
追い打ちをかけるように木野井が蹴りを入れてきて、古座を座席の更に奥の方へと追いやる。
 
力強くドアが閉まり、木野井が運転席の部下に行き先を告げると、車は静かに動き出した。

「こんなところまで迎えにこさせて悪いな」
「そんな、全然いいんすよ! ところでそのガキって……」
「気にすんな。こいつにはちょっと用があるだけだ」
 
木野井はジッと古座をねめつけ、無言の圧をかけてくる。何故こんな誘拐まがいの目に遭い、蹴られたり雑な扱いを受けたりしなければならないのかと、古座はムッとしてしまう。
 
何よりこんな男とバッタリ出会ってしまった自分の運の悪さに怒りを覚えた。

「もし逃げようとしたり助け呼ぼうとしたらタダじゃおかねえからな。分かったか?」
「……俺に何の話があるってんだよ」
「そうだな、単刀直入に言うが、お前兄貴のところに帰ったらどうだ?」
 
"兄"という言葉に古座は頭を殴られたような衝撃を覚えた。なんとか言い返そうとしても頭の中は真っ白で、言うべきことが見つからない。
 
動揺のあまり沈黙していると、木野井はさらに話を進めていく。

「お前の兄貴、最近こっちの方に店出したの知ってるか? なんでも、本拠地も近々こっちに移すらしい。ちょうどいい機会だ、兄弟仲良く一緒に暮らしたらいいんじゃねえか」
 
何故木野井は自分に兄がいるということを知っているのか。いや、それよりも先程の口ぶりからして木野井は兄となんらかの繋がりを持っている可能性もある。古座の中で様々な憶測が浮かんでは消える。
 
猜疑心と混乱のせいで頭の中ではまとまりのない不安や憶測が堂々巡りしていた。

「……なんで、兄貴のこと知ってんだよ……俺、あんたとはつい最近初めて会ったはずだけど」
 
ようやく絞り出した声は、今にも折れてしまいそうなほどか細かった。極度の緊張や不安にさらされ、さらに木野井相手に慎重になっていたせいもあるだろう。
 
すると眼前に木野井の顔が迫ってきた。至近距離で顔を覗き込まれ、古座は驚きのあまり身じろぎもできず、鋭い眼光をジッと見つめてしまう。

「お前、俺のこと覚えてねえのか? 昔とはいえほんの十何年前の話だぞ」
「な、なんの話だよ? 俺にヤクザの知り合いなんかいないっての!」
「ほお、覚えてないか」
 
なおも木野井はこちらを覗き込んできて、古座を困惑させる。

反応をつぶさに観察しているような眼差しを向けられていると、「この男と出会ったのはつい最近でそれよりも前に会っていたはずがない」という記憶に少し自信がなくなってきた。

「馬鹿が、冗談に決まってんだろ。俺もお前みたいなガキの知り合いはいねえよ」
 
いきなり話の前提をひっくり返されたかと思えば、無防備な額を指先で弾かれる。痛みよりも驚きで大きくのけぞり、古座は唖然としながら木野井の方を見ていた。

「お前の兄貴とは仕事の関係でほんの少しだけ顔見知りってだけだ」
「な、なんだよそれ……いちいちビビらせやがって」
 
古座は憤りを隠せず目の前の木野井をにらみつけるが、当の木野井は気にすることなく懐から取り出した煙草を咥えひと心地つき始めた。

[*前へ][次へ#]

3/14ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!