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シリーズ
1
小さな診療所に古座珠樹(こざ たまき)の押し殺したようなうめき声が響く。古座は痛みに顔を引きつらせ、額の傷を縫っていた糸が、抜糸されていく感触を生々しく肌で感じていた。
 
痛みには強い質だがこういう医療行為には何故か苦手意識がつきまとい、年甲斐もなく緊張してしまう。
 
情けなく顔を歪ませる古座は時折小さな悲鳴を上げかけるが、抜糸中の闇医者、久長(ひさなが)はまるで気にする様子もなく、淡々と作業を続けていた。

「傷口塞がったみたいでよかったね。それにしても君、よく怪我するなあ。早朝から押しかけてきていきなり怪我を治せと言ってきた時は、さすがにどうかと思ったよ」
「お、俺は別にこんな傷ほっといてもよかったんだけど、雪間(ゆきま)さんがうるさいから渋々治しに来たんだよ。別にこのくらい縫わなくたって大丈夫なのにさ」
「まあ君ならそれでも大丈夫かもしれないけどね。しかしこの傷、どう見ても殴られてできたもののようだが、また喧嘩でもしたのかい?」
「あ? うん、まあ、そんなとこだよ。別にどうだっていいだろそんな話」
 
古座は目を泳がせながら露骨に話を逸らしてくる。額の傷の原因が、友人である津島悠木(つしま ゆうき)の兄に襲われたからだと言うのはさすがにはばかられて、言葉を濁していた。
 
幸い久長は額の傷の原因にあまり興味はないのか、適当な返事をするとそれ以上この話は膨らまずに済んだ。

そうしているうちに抜糸も終わり、古座の額に絆創膏がペタリと貼られる。緊張の糸が切れた古座は大きくため息をつくと、額に浮かんだ汗を拭った。

「頑張ったね、チョコでも食べる?」
「子供扱いはやめろよな。まあ、せっかくだからもらっといてやるけど」

古座は差し出された小さなチョコを受け取り、早々に袋を破って口の中へ放り込む。

やわらかな甘さに顔をほころばせていると、不意に久長が尋ねてきた。

「そういえば今日はいつも一緒のお兄さんは来てないんだね」
「雪間さんなら今日は用事とかでどっか行ってんだよ。まさかまた雪間さんに変なことしようとか思ってるんじゃねえよな?」
「いやだなあ、少し気にかけただけじゃないか。勤務中にそんなことするほど私も落ちぶれてないよ」
「へー、じゃああれはどう説明するつもりだ?」

古座は横目でちらりと部屋の奥にあるベッドを見た。カーテンで四方を囲まれ中の様子はうかがえないようになっているそこからは、絶え間なく物音と人の気配がしている。

「あのベッド…絶対沖影(おきかげ)さんいるよな?」

久長と同じくこの診療所で医者をしている沖影が、ベッドにいるのは気配からして間違いない。

それだけなら問題はないのだが、ベッドの方からは沖影以外の人間の気配もする。

さらに、荒い息遣い、押し殺したような喘ぎ声、ベッドのきしむ音。どう聞いても情事の最中としか思えない物音がしている。

古座はあきれ顔で、久長に非難がましい目を向けた。

「あれ絶対誰かとヤってるだろ。しかも俺がここに来た時からずーっと!」
 
それまであえて触れることはなかったが、行為は古座がここへ来た時からすでに始まっていて、診療所へやってきた古座を早々に絶句させていた。

「勤務中に堂々と病院のベッドでヤるって一体どういう神経してんだよ」
「彼と私は違うから、そんなこと言われても困るな。お互い考え方に差異があるのは普通だろう」
「開き直んなよ。てか今、朝の九時だぜ? 一体こんな時間に誰としてんだ?」
「さあ? 私も相手の顔は見てないからねえ。私がここに来た時にはすでに始まっていたし、たぶん昨日から泊まりがけでしてるんじゃないかな」
「……マジでモラルないよな」
 
吐き捨てるようにそう言って、古座はおもむろに立ち上がった。早いところこの異常な空間から逃れようと、ポケットに手を突っ込んで財布を取り出し、治療代を久長へ渡した。
 
その時、例のベッドを覆っていたカーテンがカラカラと音を立て開いた。

「やあ、おはよう。なんだか声がするなあと思ってたらやっぱり古座君が来てたんだね。帰る前に一声かけてくれればいいのに」
「あーもう、見つかったし……!」
 
カーテンの向こうから現れたのは、乱れた着衣を気にもせず金髪をクシャクシャとかき上げる沖影だった。 

そしてその奥にもう一人男の姿が見える。ワインレッドのシャツを羽織り、ところどころほつれたオールバックが事後の生々しさを物語る。

その男を認識した途端、古座は驚愕のあまり声も出せず、息を飲み込んでいた。

「……あぁ? てめえはあん時のガキか」
「な、何でお前がここにいるんだよ!」
 
動揺のあまり古座の声はわずかに震え、裏返ってしまうほどに取り乱していた。まるで幽霊にでも出会ったかのような反応を向けられ、カーテンの合間から顔を覗かせていた木野井(このい)は心外そうに強面な顔をさらに険しくさせた。

「ひょっとして古座君、木野井ちゃんと知り合いだったの? へー、世間は狭いね」
「そんなのんきなこと言ってる場合かよ! だってそいつヤクザだろ?!」
 
古座はほとんど悲鳴に近い声をあげていた。以前、この木野井という男によって監禁され、雪間が餌食にった件は、まだ古座の中では生々しい記憶として残っていた。
 
こんな危険な男とは一刻でも早く離れたい。しかし、そんな古座の気持ちとは裏腹に、周囲の反応はなんとものんきなものだった。

「怖がらなくても大丈夫だって。木野井ちゃん仕事以外でなら優しいし、それにセックスも上手いんだよ」
「先生、このガキに妙なこと吹き込むのはやめてくれ」
 
木野井は少し困ったように沖影をたしなめる。

まるで惚気ているような二人の素振りに困惑する古座だが、いつでも逃げられるようわずかに右足を引いて、すぐ走り出せる態勢をそれとなくつくっていた。

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