なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ) 3 一人部屋に残った秀吉は、窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。 その脳裏には数日前の光景が甦っている。右大臣家康の提案で、妖と退治屋たちとの御前戦が開かれたのだ。 家康は有力な退治屋や陰陽師を多数抱えている。先日雇い入れた忍集団もその一つであるとかで、中でも風魔とかいう忍はどちらが妖だかわからぬと話題になっていた。古参の勇忠勝といい勝負だ。忠勝の戦いぶりも、鬼もかくやと評判である。 御前戦の前に妖を掃討する話が持ち上がったときも、戦のときも帝は何も言わなかった。だが、三日後に突然秀吉と家康に召集がかかったのだ。 人払いをした部屋で頭を垂れる二人に、御簾の向こうに姿を見せた信長はただ一言。 「絶やせ」 それだけ告げると、衣擦れの音と共に信長は去っていった。 その後、音もなく部屋に入ってきた側近の光秀が二人に書状を手渡した。この光秀、数十年間見た目が変わっていないとかで、蛇の化身だという噂がある。秀吉が軽い調子で尋ねたところ、肯定も否定もしなかったため最近では更に信憑性が増したりしたのだが、それはそれ。 積み上がっていた書状の中から、信長に下賜されたものを引き抜いて再び眺める。何度読んでも、勿論文面は変わらない。 都から妖たちを一掃せよ、と。できるできないはともかくとして、秀吉は迷っていた。 官兵衛に打ち明けた心の内。人々が安心して暮らすために妖を退治することが、本当に正しいのか。共存の道はないのか。 その答えを探していたのだが、家康方の動きが迅速だったため遅れを取るわけにはいかず、結局妖の討伐軍は完成しつつある。孫市に協力を要請したのもその一環で、苦渋の決断だった。 「ままならんのう……」 深々と嘆息して書状を見つめた。文書には続きがある。都にいて、騒ぎを起こした妖を退治するだけでは埒が明かない。それだけでは手ぬるい。大元を駆逐せよ、と。 ここにある大元というのは、昔からの言い伝えに名を記された三妖のことだ。彼らを倒すのは、並大抵の人間では不可能。だからこそ討伐軍などが編成され、普段は依頼があったときにだけ討伐を行う退治屋や祓い屋までもが招集されているのだ。陰陽寮は我らの力を見くびっておられるのかと最初は怒りで話も聞いてくれなかったのだが、官兵衛が上手く話をまとめて連携を為すことができた。 準備はもうすぐ万全。だが、万全となっても本当に彼らを討つに至るかはわからない。もし返り討ちにあえば、重要な戦力を一気に削がれることになってしまう。 軍を動かすことはもう決定事項だ。ならば何か、もっと強い味方を得る方法はないのか。確実に彼らに対抗できる切り札は。 苦々しげな表情のまま俯いた秀吉の脳裏に、僅かに明かりが灯ったような気がした。 「……、そうじゃ…!」 人間では彼らには敵わない。だが、妖を使役と為せば、あるいは。 それも並みの妖ではだめだ。発想を変えればいい。 ぱっと立ち上がった秀吉は書物の山から分厚い和綴じの書を引っ張り出す。様々な妖の絵姿が描かれている書を捲っていた秀吉の手が、ある頁で止まった。 三妖は鬼、天狗、狐であったはず。天狗と狐は魔怪。ならば。 秀吉が一つ頷くと同時に、終業を知らせる鐘鼓が鳴り響いた。 都の一角、歓楽街。 昼間は閑散としているこの場所は、宵の口を過ぎた辺りから急に騒がしくなり、人々の笑い声で溢れ返る。都中から人が集まり、各々の時間を楽しんでいるのだ。 その中に、一際賑やかな酒場がある。店内の隅の席には、やたらと目立つ三人組が陣取っていた。 「はぁ、狐退治」 馴染みの飲み屋に馴染みの顔が集っている。左近は正面に腰を下ろしている慶次の顔を見やって目を瞬かせた。 慶次の隣にいる孫市も盃から口を離し、興味深そうな視線を向けている。 「ただの狐じゃあない。佐和山の化け狐さ」 それを聞いた左近は口元に手をやって考え込んだ。帝が三大妖討伐を目論んでいるというのはかなり噂になっていたが、本当だったらしい。 「勅命が下った。あんたの力を借りれりゃ心強いんだがねえ」 「何でわざわざ俺を?」 慶次はこうしてしょっちゅうふらふらしてはいるものの、一応帝の直轄軍に所属する退治屋だ。最近では孫市も、左大臣秀吉に腕を買われて軍属になったと聞く。というわけで、この中で今現在自由の身なのは右大臣家康からの誘いを断った左近のみ。 精鋭が揃う直轄軍を差し置いて、わざわざ牢人の左近に誘いをかけるとはどういうことなのか。というか、家康の誘いを蹴った以上、もう二度と信長の軍に所属することはないだろうと思っていたのだが。 ちなみに左近が家康の誘いを断った理由はただ単に「気に入らないから」という一点である。あの男は妙にいけ好かない。 魚の串を頬張っていた慶次は、その串を左近についと向けた。 「あんたの腕は折り紙つきだ。表立って活躍する商売じゃねえってだけで、同業者じゃ島左近の名を知らねえ奴ぁいねえだろう。民の声に耳聡い左大臣殿が、右大臣につくのが嫌ならこっちにつけってよ」 「純粋にそうなら嬉しいんですがね」 探りを入れるような目で見据えると、慶次は口の端をつりあげた。 「まぁそれと、ただの人手不足さ。数打ちゃ当たるってね」 やっぱりか。 がっくりと項垂れた左近を見た慶次は大口を開けて笑い、裏返した紙を差し出す。受け取ってひっくり返した左近は軽く瞠目した。報酬の金額が書いてある。 斜め前から覗きこんだ孫市が軽い調子で口笛を吹いた。 「へぇ、大したもんじゃねえか。俺も負けてられねーな」 にやにやと笑いながら左近を小突くと、慶次が驚いた様子で孫市を見やった。 「なんだい、あんたも狐退治か?」 「いや?俺んとこは天狗退治らしい。最近陰陽寮に入ったばっかの騒がしいガキが気合入れてたな。気乗りはしねえが、ダチの依頼を断るわけにはいかねえよ」 孫市の言うダチとは秀吉のことである。身分こそ違うが、二人は古くから親交があるのだと聞いたことがあった。 左近は肩を竦めて盃を煽る。 「ま、報酬も悪くありませんしね。いいでしょう」 慶次と左近はがっちりと手を握り合った。それを見た孫市が、やおら盛大に溜息をつく。 何事かと目を瞬かせる二人をじとっと見やり、孫市は口を尖らせた。 「いいなあ……狐って絶世の美女に化けるんだろ?金貰って仕事してよぉ、美女と会えるんだぜ?俺もそっちに入れてもらえばよかった」 目の前に盃を差し出された左近は、面食らいながらも苦笑して酒を注いでやった。慶次はにやにやと笑って頬杖をつく。 「まぁそれも道理だがよう、精も根も吸い尽くされちまうかもしれねえぜ?」 「天女もかくやの美人を相手に腹上死なら、それも悪くないねぇ。まかり間違って怪我したとして、こっちは天狗だぜ天狗。どうせ男だろ?烏のパチモンみてーなもんだろ?死んでも死にきれねえよ、俺」 本気で絶望した様子で、孫市は腕に顔を埋めて突っ伏してしまった。大笑いした慶次がその背をばしばしと叩く。盃の中の酒はほとんど零れてしまったが、そんなことはどうでもいい。 一方左近も孫市が言ったことを脳内で反芻していた。絶世の美女。たしかに悪くない。見目麗しいものを見るのは好きだ。腹上死は御免だが。 期待感が顔に出たのか、顔を上げた孫市が剣呑に左近を睨む。 「あっ、てめえ嬉しそうな顔しやがって。どうせ俺を嘲笑ってんだろ。笑えよクソッ!羨ましくなんかねーぞ!手柄上げて報酬貰ったら遊郭行って両手に美女侍らせてやるよチクショー!」 「すんごい被害妄想ですねそれ」 一人で喚きたてている孫市を左近は呆れた様子で見やった。この男は酔うと絡むので扱いがめんどくさいのだ。 ひとしきり笑った慶次は突然立ち上がると、酒代を置いて店の出口の方へと歩いて行った。それを見た孫市が驚いた様子で慌てて声を上げる。 「おいおい慶次、もう帰んのかぁ?出陣に緊張するタマじゃねえだろ?もう少しいいじゃねえか」 「今日は備えたい気分なんだよ。またな、お二人さん」 そう言ってひらひらと手を振る。 帝の直轄軍が動くほどなのだから、相手が強力な妖であることは間違いないだろう。だが慶次の強さは誰もが知るところであり、このような言い方をするのは珍しかった。 ふと左近が思い出したように口を開く。 「そういや、慶次殿は何退治に行くんですかい?」 誘ってきたということは、同じく狐退治だろうか。 そんなことを考えた左近を振り返り、慶次はにやりと笑った。 「退治屋の華、鬼退治よ」 **** 昔から、夕暮れの薄暗く闇に支配される直前の時間は妖に出会うことが多い時間帯とされていて、逢魔が時と呼ばれる。 普段ならばこの時間帯に家の外に出ることは危険とされていて、人通りも少なくなる。だが、今日は妙に都中が浮足立つような雰囲気が漂っていた。 大通りを、武装した物々しい集団が闊歩している。無言で歩を進めるその集団に、周囲からは歓声と野次が飛んでいた。 帝の勅命により編成された妖の討伐軍が、ついに動くことになったのである。 これで妖共の被害から解消されると民たちは早くもお祭り騒ぎなのだ。馬上から横目でそれを見やった左近が、やれやれと溜息をつく。 「盛り上がっちまってまぁ…これで解決するとは限らないってのに、大丈夫かね」 「まったくだ」 隣の孫市も肩を竦める。葦毛の馬が二頭並んでいるその横に、周囲より一際大きく立派な黒毛の馬がいた。慶次の愛馬、松風である。 その松風に跨り、肩に乗せた二又矛に両手をかけながら器用に姿勢を保っている慶次は喉の奥で笑った。 「そこらの戦なんぞよりよっぽど立派な軍編成だからねえ。見てるだけで気分が高揚しちまうってのは、わからねえでもねえ」 慶次の言には孫市と左近も大いに納得する。傭兵、牢人として戦の手伝いに駆り出されることの多かった二人でも、ここまでの規模のものはお目にかかったことが無かった。 先頭から最後尾まで視線を移して、改めてことの重大さを思い知る。あの信長が民のためにこれだけの軍を動かすというのは、正直予想外だった。 一応これは、三つの討伐軍が合わさった行列である。羅生門を出たら、それぞれの標的とする妖が棲むという場所へ向かうために別れることになっていた。 「無駄口を叩いておる暇があったら進まぬか!前に遅れておるぞ!」 唐突に背後から鋭い声が響いて、左近と慶次は驚いた様子で振り返った。何故こんなところで子供の声が。 しかし振り返っても誰もいない。眉を顰めた左近は、視線を少し下へと移動させた。すると、腕組みをしてこちらを睨んでいる小柄な少年の姿が目に入る。 墨染めの狩衣に烏帽子。幼さの残る顔の右目には眼帯がされていて、表情に妙な鋭さを与えていた。 遅れて振り向いた孫市がけらけらと笑う。 「わりーわりー。そんな怒るなよ。今からそんなぴりぴりしてちゃ、気疲れしちまうぜ?」 「貴様は気が抜けすぎじゃ馬鹿め!」 威勢よく吠えた少年は、後ろから走ってきた壮年の陰陽師に口を塞がれて列の中へと消えていった。周囲にいた陰陽師がすみませんすみませんと馬上の三人に頭を下げる。 「誰です?今の威勢のいい子供」 慶次からの要請を受けてから数日は左近も内裏へ参内していたため、何人かの官吏とは挨拶を交わした。だが今の少年には全く見覚えがない。陰陽寮へも一応少しは足を運んだのだが。 肩を揺らして笑っていた孫市が前に向き直る。 「この前飲んだときちょっと話してただろ?最近陰陽寮に威勢のいいガキが入ったって。あいつのことだよ。政宗ってんだ。ちなみに直丁」 ほう、とか、はあ、とか。気のない返事を返す左近である。直丁と言えば下っ端の雑用係だ。それが随分と尊大な物言いをする。そして何故そんな役職の、しかも子供がこんな仰々しい討伐軍に入っているのやら。 口には出さなくても思ったことを察したのか、孫市は更に笑みを深める。 「なんでも左大臣が進言して、帝直々にお呼びがかかったらしいぜ?経験は足りねえが、実力はあるらしいしな」 目を瞬かせた左近は肩越しに後ろを振り返った。あんな子供が帝の覚えめでたいとは。世の中わからないものである。 そうこうしている間に、三人も羅生門を潜って都の外へと足を踏み出した。兵士達が手筈通りに三手に別れていくのを見て、顔を見合わせる。 「――それじゃ、生きてまた会えることを願ってますよ」 「は、言ってくれるぜ」 「戻ってきたら、一杯やろうじゃねえか!」 そうして三人は、それぞれが率いる小隊の兵たちと共に、目的地へと向かって別々に馬首を返した。 夕日を背にして、中空から討伐軍の行列の様子をじっと見つめている白い烏がいた。 行列が全て門の外へ出たのを見届けると、数度羽ばたきをして身を翻す。その際に二枚の羽が舞って、別々の方向へと風に流されて飛んで行った。 烏は最後にもう一度、陰陽寮の行列に視線を向けた。ある一点を見据えるその目が僅かに細められ、ふいと逸らされる。音もなく滑空したその姿は、夕焼け空に仄かな燐光を残して消えた。 [*前へ][次へ#] |