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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
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「…ほう、これはなかなか」

感心したように声を上げた左近は、狐に向けて振り下ろした斬馬刀をしげしげと眺める。
刀身に青白い狐火が絡みつくように顕現したかと思った途端、渾身の力をこめたはずの斬撃はぴたりと止められたのだ。今も、これ以上振り下ろすどころか手前に引くことも叶わない。
結界術が効いているのか、狐はその場から動こうとしない。瞼が固く閉ざされ、その周囲に広がる火傷のような引き攣れた痕を見やって口の端を歪めた。

「手負いとは、こっちにとっちゃ好都合ですな」

「何を……!」

数珠玉が擦れる音が三成の耳に届く。妖と対峙する折に左近が斬馬刀の柄に数珠を巻きつけていたことを思い出し、術が来ることを予想した三成は結界術を無理矢理打ち破って後退した。
術の反動を受けた左近が少しよろけたのが伝わってくる。
腕を翳して反撃に備えていた三成だったが、予想していたような衝撃は来ず、代わりに鋭い音が鼓膜を震わせた。
直後に鼻を衝く強烈な火薬の匂い。これは、煙玉か。
吸い込まぬようにと着物の袂で口元と鼻を覆う。注意深く耳を澄ませようとしたが、先ほどの爆発音が耳の奥で反響してうまく音を拾ってくれない。
煙玉は元々視界を奪うために使うのだが、弾けたときに少しだけ音が鳴るのだ。人間にとっては大した音ではないかもしれないが、妖の耳で捉えれば音の大きさは数十倍にもなる。
今更ながらに視覚を失ったことが痛手だったことに気が付いた三成だ。左近が煙玉を取り出したことに気付いていれば、耳を塞ぐなりいくらでも防ぐ手はあったものを。
刹那、背後から殺気を感じて咄嗟に三成は獣の姿へと変化した。空気を裂く音がごく近くで聞こえ、頭上を刃らしきものが一閃したようだと悟る。
奇襲を仕損じた左近は驚いた様子で目を瞬かせた。

「……へえ、狐の妖怪なだけありますね。変化の術は十八番ですかい」

三成はまだ煙が収まっていない方角を匂いで探り当てると、敢えてそちらへと飛び込む。目論見通り、小さな狐の姿は煙に巻かれて見えなくなった。
煙の奥から左近の舌打ちが聞こえてくる。目の前にいたはずの人間が背後に回ったことに気付かなかったとは、いくら五感の半分以上を失していたとはいえ大失態だ。何故足音がわからなかったのだろう。
すると、足音の代わりに水を掻き分けて歩くような音が聞こえてきた。そこで漸く気が付く。先ほど左近がよろけたように感じたのは体勢を崩したのではなく、小川に向かって跳躍したのだ。事前に数珠を鳴らしたのも、三成の注意を川から逸らすため。目の前に敵がいると思えば、背後で水の中に着地するときの大きな飛沫の音は煙玉の音と硝煙で掻き消されて耳には届かず。更に川の中をゆっくりと移動され、流水音と相まって足音がわからなかったのだ。
どこからが計算の上の行動なのか。最初に大振りな動作で斬りかかってきたのも陽動だったとしたら、だいぶ面倒な相手かもしれない。
ただでさえ状況がわからず混乱していて、戦うこと自体にも躊躇いがあるというのに。加えて今の三成は目が見えない。今のようにその状況を利用した戦い方をされれば不利なのは明白だ。さすがに敗北を喫することはないと思いたいが。
辺りに狐火が顕現し、子狐を包み込むと再び青年の姿が現れる。三成が飛び退って避けた場所を斬馬刀が一閃した。巨大な武器を扱っているわりに、左近の斬撃の速度は速い。
空気の動きだけを頼りに刃を避けているうちに、無意識に後退していた。たしかこのまま真っ直ぐ下がると、巨大な木の幹にぶつかってしまうはずだ。
三成は大きく跳躍し、巨木がある場所に当たりをつけて垂直に着地する。目測はほとんど正しかったが、片足が僅かに芯から逸れて足首を軽く捻った。

「つッ……!」

びり、と走る痛みでばねがつききらなかったが、構わず上空めがけて飛び出す。
左近と戦いたくはない。しかし、そんな三成の心境を嘲笑うかのように左近の霊力が張り詰めた。

「封禁!」

三成を行く手を遮って障壁が織り成され、辺り一帯を覆う巨大な結界となる。強引に術を破ってやろうとしたのを寸前で思いとどまった。
このくらいの術になると、術者への反動もかなりのものだ。それは困る。
仕方なく着地した三成は、左近が斬馬刀を肩に担いだ気配を察知して振り返ると苦々しげに唇を噛んだ。

「何故だ!どうして俺を……!」

「だから言ったでしょう?個人的な恨みはないんですがね、仕事なもんで」

何度も言わせるなとばかりの呆れた口調。冷え切った声音に大きな違和感を覚える。
左近の声は、こんな無機質な声ではなかったはずだ。
意識を集中して、その心の奥底を探る。悟りの力は相手の目を見て使わなければ確実ではないのだが、どうしても左近が本心で言っているとは思えない。否、思いたくなかった。
だが、ここにきて三成はぴたりと動きを止めて小さく息を呑んだ。この場にはいない兼続と幸村と同じ結論に至ったのである。
左近の中から、一部の記憶が消えている。ごく最近の、ほんの数年の記憶だけが。
理由はわからない。何かの間違いだと思いたかった。相手の目を見て、話を聞かなければ納得できるわけがない。
しかし、今の三成にはそれはできない相談だ。閉ざされていた瞼を無理矢理こじ開け、それでも開けない視界に苛立ち、感情に任せて瞼を掻き毟る。だがそんなことをしても鋭い爪が皮膚を裂いて血が滲んだだけで、瞳に光が戻ることはなかった。

「こんな、ことが…!」

愕然と呻く三成に、左近は怪訝そうに顔を顰めながらも再び斬馬刀を構える。目が開けられないというわけではなかったらしいが、瞼の奥から覗いた瞳は虚ろであちこちに泳いでいる。どうやら、開くだけで見えているわけではないようだ。
ならば、やはり今は好機。

「謹請し奉る……」

わざと数珠の音を大きめに響かせて呟くと、狐ははっとした様子で顔を上げて身構えた。辺りに浮かぶ狐火をすり抜け、一気に肉迫する。
三成はすぐに陽動だと気が付いたが、その僅かな時間で反応が遅れた。斬馬刀の刃はすぐそこまで迫っていて、今後退すれば胴が真っ二つになってしまう。
さすがに反撃したくないなどとは言っていられなかった。仕方なく、身を屈めて左近の懐へと飛び込む。予想外の行動に左近が怯んだところで鎧の頑丈そうな辺りを探り当て、手の平を静かに添えた。

「っすまぬ……!」

苦渋に満ちた声は至極小さく、目の前の相手にすら届かなかったようだ。
掌底から放たれた衝撃を受け、左近は息を詰まらせて盛大に背後に吹っ飛んだ。やってしまった後で三成は見えない目を僅かに見開くと慌てて手を引っ込める。
やはり、殺意を持って向かってくる相手に対して傷を負わせないようにするというのは至難の業だ。こちらも全力で迎え撃つ方が何倍も簡単だが、そんなことをしたら妖の力は人間などあっさり殺してしまう。
少しでも気を散らすものを無くそうと、妖気を注いで先ほど捻った足を治癒させた。ずきずきと苛むような痛みが消えて少しだけ余裕が戻ってくると、ふと思いついたことがある。
そういえば、左近から本気で戦いを挑まれたことは今までになかったのだ。
以前は、逆だった。三成の方が、半ば本気で左近を討ってやろうとして相対していたのだ。そのときに左近は、ぎりぎりまで三成に対して攻撃を加えようとはしなかった。
それどころか、三成の目の前で戦うこと自体を拒絶したのだ。

――……あんたと戦う気は、ない

圧倒的な力の差を前にして、いつ殺されてもおかしくない状況で武器を棄てることがどれほど危険で、どれほど覚悟が必要だったのか。今の三成には痛いほど理解できる。
あのときの左近の覚悟が、頑なだった三成の心すら動かすこととなった。それならば。
ぐ、と握りしめていた拳をゆっくりと解く。辺りに漂っていた狐火も、だんだんと小さくなって音もなく掻き消えた。
渦巻いていた妖気が凪いだことで、逆に左近は警戒を強めて身構えながら三成を見やる。

「何のつもりです?」

あくまで笑みを含んだ声音だ。しかし、問いかけは鋭く、三成の次の行動を探っているのが伝わってくる。
三成はゆっくり、大きく息を吸い込んだ。

「お前とは、戦わぬ」

予想外の言葉を受けて、左近は軽く目を見開いた。
狐の目は、驚くほど静まりかえっていた。戦意や闘気といったものは感じられない。試しに攻撃するようなそぶりをしてみたが、避けようとして微かに足を引いた以外は微動だにしなかった。油断させて反撃してやろうというつもりではないようだ。

「……ほう。そりゃまた、何故」

「何故も何もあるか。戦う理由がないからだ」

戦う理由、と左近が口の中で反芻する。狐はやはり動かない。

「じゃ、おとなしく討たれてくれるってことですかね?」

そうなれば左近の任務は完遂、晴れて都に帰れる。
狐の言葉を「反撃するつもりもない」と取るならば、討ち果たすことは容易に思えた。現に今、相手は全くの無防備でそこにいる。
しかし油断は禁物と、左近はあと一歩踏み出せずにいた。狐は人間を化かして楽しむ妖だ。その口から放たれた言葉を素直に受け取るほど間抜けではない。
だが三成は静かに首を横に振った。

「討たれてやることもできぬ。このまま何もせず、都に帰ってくれ。……俺はこの山で、静かに暮らしていただけだ」

無意識に零れた言葉に、三成は軽く瞠目すると淡く苦笑した。
以前、左近に全く同じ言葉を言い放った。正直あのときは半狂乱で、しかもその直後に死にかけたものだから結構記憶が曖昧なのだが、自分の口から出た言葉くらいはしっかり覚えている。
左近の記憶の一部が失われて、その中には三成の存在も含まれていて。しかし覚えていなくても、左近が千年に渡る封印から三成を自由にしてくれたことは事実だ。三成からすれば人間の短い一生の間くらいでは返しきれないほど大きな恩。もしこのまま一生左近が三成のことを忘れたままだとしても、三成は何百年経っても忘れないだろう。
そんな相手に傷を負わせることなどあってはならない。だから、どんな理由があろうと戦えない。

「――悪いが、そういうわけにはいかない。何度も言うがこっちも仕事でね」

非情な声に三成の肩がぴくりと跳ねた。再び霊力が研ぎ澄まされて集中していくのがわかる。
こうなったら左近が攻め疲れるまで逃げ回るか、などということまで考え始めた。あまり頭の良い方法とは言えないが、説得が不発で周囲を囲む結界も破れないとなればそれしかない。
まぁ斬撃だろうと術だろうと、数回なら当たっても死にはしないだろう。多分。
不意に、辺りに凄まじい反響音が響き渡った。金属が振動する音は木々の狭間に木霊して、あちこちに跳ね返って耳障りな不協和音となる。
左近が斬馬刀の刀身を力任せに岩に叩きつけたのだ。勿論、三成の聴覚を封じるために。
目論見通り突然の大音量に耐え切れず狐の耳が垂れ下がった瞬間を見逃さず、左近は一気に肉迫した。
遅れて意図に気付いたらしい狐が辺りを見回すが、これだけ隙があれば十分だ。

『もらった…!』

しかし斬馬刀を振り下ろそうとした刹那、ばしん、と音がして周囲の障壁が弾ける。跳ね返った術を喰らい、左近は衝撃を堪えきれずに後退した。

「な…っ!」

翳した腕の合間から、迸る炎が目に入る。
狐の傍にそれまでは無かった強大な妖気が顕現し、背後から痩身を抱え上げると一気に跳躍した。
赤い衣と、頭上に伸びる細長い角。

「鬼?!」

地に筋を刻みながら後退し、左近は呆気にとられて空を見上げた。
寸での所で三成を救い出した幸村は切羽詰まった様子で声を掛ける。

「三成殿、御無事ですか?!」

「幸…村……」

ぎこちない動作で振り返った三成は、未だ視力が戻らない瞳を不安げに彷徨わせていた。そんな様子と地上にいる左近を見比べ、幸村は顔を顰める。
よもやと思っていたが、左近までもが。

「一旦異界へ参りましょう、今は……!」

その先に続けるべき言葉を探しあぐねる。三成とてこのまま左近と交戦することなど望んではいないはずだ。
三成が首肯したのを確認してから、幸村が異界への道を開く。飛び込む直前、三成は左近を顧みた。
鋭くこちらを見上げる視線を感じる。
一体、どんな顔をしているのだろうか。

「左近……っ!」

絞り出した声は吐息のようで、おそらく本人には届いていない。
幸村と三成の妖気を完全に飲み込むと、昏い口を開いていた穴は音もなく閉じた。




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