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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
8



都の上空を白い烏が大きく旋回する。神々しくも見えるそれは、只人の目には映らない姿だ。
少し高度を下げた兼続は、都の様子が少しおかしいことに気が付いた。
あちこちで小さな諍いが起こっている。そのほとんどは幼子とその母親らしき女性との間のものだった。
けたたましく泣き叫ぶ子供を、女が何か汚らわしいものでも見るかのような顔で突き放す。子供は子供で、もう5つにもなろうかという背丈に見えるのに、嬰児のように泣くばかり。
一軒の邸だけなら悪戯で何かやらかした子供が母親から折檻されているのだろうと予想がつくが、こうもあちこちで同時にというのは妙だ。
暫く飛び回って様子を探ってみれば、異常なほどその数は多かった。中には父親らしき男が混じっているところもあったが、だからといって何か違うわけでもなく、母親と同じく喚いているか、何もできずにおろおろしているかだ。
そして、喧嘩をしているのは母子だけではない。
凄まじい剣幕で言い合いをする男女。おそらく夫婦だろう。服装を見る限り貴族だろうに、お前は誰だ、とか、ここはどこだ、とか、何故こんなところに知らぬ女がいるのか、とか口汚く叫んでいるものがほとんどだ。
はて、一夫多妻の人間たちの間でのことだからこんな争いも珍しくはないのかもしれないが、それにしても知らぬふりとはずいぶん卑怯な真似をする。それに皆一様に同じような文言で喧嘩をしているというのはおかしい。
状況が理解できぬまま、気が付けば見知った邸の上空へ来ていた。門前から少し横へ進んだ築地塀に寄りかかっている人影がある。
兼続の主は今日はまだ出仕をしていないらしい。

『おい、政宗!』

声をかけても返事はない。が、政宗は僅かに首を動かしてきょろきょろと辺りを見渡した。
いつもならばこちらから声を上げれば真っ先に見つけて文句の一つも言ってくるのだが。
少し苛立って更に声を張り上げる。

『どこを見ている、私はこっちだ。おい、聞こえているのだろう政宗!……梵天丸!!』

幼名で呼びかけた途端、政宗は顔を上げて真っ直ぐに兼続を見つめてきた。
これもまた妙だ。普段なら「その名で呼ぶなと何度言えばわかる!」と青筋を浮かべて怒鳴っているところである。
眉を顰めた兼続はその場で青年の姿へと成り代わり、政宗の目の前へと降り立った。

「こんなところで何を呆けている。物忌みならば自室で精進潔斎をするのが常識だ」

腕組みをしながら斜に見下ろしてくる長身を、政宗は驚いた様子で見上げてしきりに瞬きを繰り返していた。
敢えて挑発的な物言いをしたというのに、本当にどうしたのだろう。
さすがに心配になってきて更に声を掛けようとした途端、漸く政宗が口を開く。

「八咫烏……いや、天狗か?都に何用じゃ」

それは、普段の政宗からは考えられないような静かな声音だった。兼続は瞠目してその顔をまじまじと見つめる。
一体何を言っているのだ。今まで無視していた分の意趣返しをしようとでもいうのだろうか。
だが、向けられているのは声音と同じように冷静な瞳。嘘を吐いたり、虚勢を張っている様子はない。悟りの力を持つ妖の前ではそんなものは無意味だ。
その心の奥底を覗いて、はたと気づいた。
政宗の中に、兼続の存在そのものが「無い」。
あるのは、彼が幼いころの古い記憶。孤独な幼子に寄り添った優しい白い烏と、妖に襲われかけていた彼を救った謎の術者の思い出。
それは、兼続であって兼続ではない。当時の政宗は、まさか妖に助けられたなどとは露程も思ってはいなかったのだから。
驚きのあまり言葉を失う天狗に、政宗は軽く首を傾けて見せる。

「何故わしの名を知っておる」

「は……?」

何故、とはなんだ。真名という言霊を得て、従えたのはお前の方だろう。
そう言いたかったのに、衝撃で凍り付いた喉はまともな音を紡いでくれなかった。
その瞬間、兼続の耳が空気を裂く鋭い音をとらえる。咄嗟に政宗を抱えて跳躍すると、今しがたまで二人がいた地面に無数の矢が突き刺さっていた。

「馬鹿野郎!ガキがいんだろーが、見えねーのか!」

鋭く響いた怒声には聞き覚えがあった。こちらにはいくつもの弓が向けられていて、いつでも発射できるように矢も番えられている。
衛士らしき集団を従えている男の口の両端が吊り上った。

「お前、三大妖の天狗だな?出向く手間が省けた」

「雑賀孫市……!」

顔見知りとなって久しい男の顔を見つめて愕然と呟く。名を呼んだだけなのに、孫市はひどく驚いた様子だった。
地上に戻って、政宗を背後に庇うように身構える。孫市は石弓を肩に担ぐと、軽く口笛を吹いた。

「へぇ、今のが悟りってやつか?」

「……何のつもりだ」

「そりゃこっちの台詞だぜ。そのガキは関係ねーだろ、離れな!」

彼の声を合図にして、一斉に矢が放たれる。飛翔して避けようとした兼続は寸前で思いとどまった。
自分の背後には政宗がいる。今避ければ、あの矢は全て政宗に当たることになるのだ。
羽扇を顕現させ、一振りすると旋風が巻き起こる。飛来した矢は勢いを失って力なく地面に落下した。
通力を目の当たりにした衛士たちがひっと息を呑む。舌打ちした孫市は石弓を放り、小太刀を抜いて兼続に肉迫した。
ぎりぎりのところで錫杖を取り出すと、刃を受け止める。何合か打ち合って後退すると、何故か優勢だったはずの孫市があっさりと退いた。
兼続の間合いから外れ、茫然と塀に寄りかかっていた政宗の腕を掴んで立ち上がらせる。

「おいお前、大丈夫か?あぶねーから、邸近いならさっさと帰りなよ」

逡巡していた政宗は兼続と孫市の顔を交互に見比べ、小さく頷いて駆け出すとすぐ近くの門の中へと消えて行った。
ふう、と嘆息した孫市が肩を竦める。

「伊達家の坊ちゃんか……こんなとこで何してたんだかな」

石弓を拾い上げる孫市の背を、兼続は思わず凝視した。
自分を敵視する人間たち。政宗の麾下に下ってからは久しく向けられることのなかった明確な隔意が感じられる。
彼らの物言いにも、引っかかる箇所がいくつもあった。今の孫市の、政宗のことを知らないかのような口ぶりもそうだ。そういえば都のあちこちで喧嘩をしていた夫婦も、互いが現状を理解できない様子で言い合いをしていた。
そして、母子間での諍いの中で、ある母親が叫んだ言葉が唐突に兼続の脳裏に甦る。

――私に……この家に子供なんていない!!

「記憶が……失われているのか…?!」

それも全てではなく、ここ数年間のものだけが。そう考えれば納得がいく。
子供を産んだことを忘れてしまった母親。嬰児の時分に戻ってしまったかのような幼子。自分が結婚したことを忘れた夫婦。兼続や政宗のことを知らぬ様子で話す孫市。
そして数年前ならば、政宗はまだ元服していない。その頃の彼の名は、梵天丸だ。
どうしてこんなことになっている。何が起こったのだ。
思考を巡らせることで精一杯だった兼続は、そこでやっと孫市が石弓を構え直してこちらに矢を向けていることに気付いた。

「ダチからの依頼でな。退治させてもらうぜ」

再び一斉に矢が放たれた。それらを風の防壁で防ぎ、ついでに突風を起こして土煙を巻き上げて、人間たちの視界を奪う。
とにかく、一旦ここを離れた方がいい。今の状況で、わけもわからぬまま彼らと交戦したくはなかった。
兼続は白い烏の姿へと転じ、土煙に紛れて空に舞い上がる。その姿が遠ざかっていくのを孫市は見逃さなかった。

「っの野郎…!」

もうもうと立ち上がる砂埃に咳込みそうになるのを堪えて狙いを定め、なんとか一矢放つ。
真っ直ぐ向かって行った矢は今度は風の防壁に阻まれることもなく、しかし胴体からは僅かに逸れた。
代わりに、大きく広がった左の翼の真ん中を貫く。

『ぐっ…!』

一瞬兼続の表情が歪み、ぐらりと体が傾く。一度羽ばたいてなんとか体勢を立て直すと、そのまま異界の道へと飛び込んだ。
地上の土埃が完全に収まるまで、それからしばらくかかった。視界が少しだけ戻ってきた頃になって、漸く衛士たちが騒ぎ出す。
しかし、その時には既に天狗の姿はどこにもない。孫市は白い烏が消えて行った空を見上げて忌々しげに舌打ちした。

「くそ、逃がしたか…!」

風を操るとは厄介な。おかげで弓矢が何の役にも立たなかった。
だが、最後に放った矢は絶対に当たっていたはずだ。

「まだ近くにいるかもしれねえ。都の隅々まで探せ!」

翼を射抜かれたのだから、もしかしたらそう遠くへ行ってはいないかもしれない。
孫市の声に応じ、衛士たちは素早く四方八方へと散った。





****





一体、何がどうしてこんなことになっているのか。
絶え間なく繰り出される攻撃を全ていなしながら、幸村は慶次の様子を探る。
たとえばこれが手合せだったなら、いくらでも受けて立っただろう。しかし、今向けられている殺意は本物だ。攻撃は全て一撃で勝負が付く急所を狙ってきている。
連続の斬撃を全て躱され、慶次は不敵な笑みを浮かべた。

「中々やるねえ!」

愉しそうな声音に、思わず幸村は表情を歪めた。
慶次の声は、共に盃を交わしたときのそれと何ら変わらない。だからこそ、こうして明確な敵対心を剥き出しにして刃を交えている現状が理解できなかった。

「慶次殿…ッ!」

人の心は変わるもの。真っ直ぐに向けられていた心さえも、驚くほどあっさりと逸れていく。十年前の己ならばそう考えただろうし、すぐに気持ちを切り替えて相対していたかもしれない。幸村が本気を出せば、いくら慶次が歴戦の退治屋だろうと返り討ちにすることは容易いのだ。
しかし、今の幸村の心には迷いがある。己だけでなく、頑なだった三成の見解さえ変えてしまった人間たち。その一人である慶次が、ただの心変わりで刃を向けてきたとは到底思えない。
大振りの一撃を受け止めると、槍と鉾が拮抗する。至近距離で組み合い、幸村は慶次の瞳の奥を見据えた。
その心には、一点の迷いもないように思える。どうやら本気で、幸村を討ち果たすつもりらしい。
できればあまりやりたくはなかったが、悟りの力を使って相手の胸の内を探る。そうして愕然とした。
幸村の存在そのものが、心から消えてしまっているのだ。慶次の目的は、都に現れた妖たちを統べているとされる三大妖を討伐し、都の平穏を取り戻すこと。
あまりの衝撃に動けずにいたところ、探られていたことに気付いたのか慶次はふんと鼻を鳴らす。

「何でか知らねえが、俺を知ってるらしいな。……一方的に知られたんじゃ不公平だ。あんた、名は?」

――じゃあついでだから、名前くらい聞いとこうかねえ

初めて刃を交えたときも、慶次は幸村に同じことを尋ねた。
三大妖討伐の軍が向かってくるのを待ち構えていた幸村に、何故来るのがわかったのかと聞いた後で。気まぐれで名乗ってみたら、随分驚かれたことを覚えている。
あの邂逅が、もう何十年も昔のことのようだ。妖の感覚で言うならば前日のことと言ってもいいほど最近なのに。
出会ってからの時間は短くとも、この人間たちとは、三成や兼続と同じくらいの知己であるようにさえ感じていたのに。

「私、は……」

一瞬、脳裏をよぎる考えがあった。
もしここで慶次の問いに応えたら。理由はわからないが、三大妖のことを忘れてしまった慶次の心に何らかの変化が生じるかもしれない。
だが、幸村の喉は答えを音にすることを拒絶した。答えてはいけない。直感が選んだのはそちらだった。
ぐ、と二又鉾に重さがかかり、直後ふっと軽くなる。そう思った瞬間、槍を絡め取られてそのまま手から弾かれてしまった。放られた真紅の槍が空中を舞う。

「っ!」

一閃する鉾を屈んで避け、低い姿勢から足払いをかける。得物を振るった直後だった慶次は体勢を保てず、巨躯が大きく傾いだ。
その隙に腕の力だけで飛び起きた幸村は、弾かれた槍を拾って間合いを十分に取って身構える。先ほど慶次の攻撃をいなしていた時に所々に負った小さな切り傷が、今更ながらに痛みを訴えてきた。
それでも息を乱すことはしない幸村に、慶次は感嘆した様子で息を吐く。

「さすがは三大妖ってとこか。一筋縄じゃあいかないねえ」

槍を握る手に無意識に力が籠もり、幸村はぐっと唇を噛んだ。
このまま慶次と刃を交え続けるわけにはいかない。相手の殺気に晒され続ければ、自制が効かなくなっていずれ反撃してしまいそうだった。当たり所が悪くてうっかり重傷を負わせてしまったなどという展開は寝覚めが悪すぎる。
じりじりと後退る幸村に気付いた慶次はその分距離を詰めてくる。気づけば、最初に妖気で脅してやったはずの他の人間たちも離れた場所から辺り一帯を囲い、こちらの様子を窺っているようだった。
何人いるかはわからないが、これだけの人数を相手に全員に傷を負わせずに撃退するというのは至難の業だろう。何にせよ、ここは一度退いた方がよさそうだ。
そう思った瞬間、幸村の足元に五芒星が出現する。立ち昇る霊力に足を絡め取られ、そのまま動けなくなった。いつの間にか術者たちが用意していた結界の中に追い詰められていたらしい。念入りに施された術は簡単には解けそうにない。
それを待っていたかのように、あちこちで矢を射掛けるべく弓を構える気配が伝わってきた。得物を構え直した慶次が突進してくるのもほぼ同時だ。

「くっ…!」

仕方なく、幸村は手にしていた槍を逆手に持ち替えると刃を地面に突き立てる。地中から迸った炎が渦を巻き、接近していた慶次の足を止めさせた。遠方まで届く凄まじい熱気に、黙って隠れていたはずの人間たちも悲鳴を上げる。
力尽くで術を破るのは術者への反動が大きいのでやりたくなかったのだが、さすがにそこまでは気を使ってやれない。自業自得、と三回くらい内心で自分に言い聞かせるように呟きながら、それでも申し訳なさが拭えず術者の姿を探す。
跳ね返った術により陰陽生らしき狩衣を纏った男が吹っ飛ぶ姿が目に入った。その瞬間、鉛のように重かった足がふっと軽くなり、素早く身を翻すといくつか放たれていた矢を槍で叩き折る。
その切っ先から鬼火が放たれ、幸村の姿を包んだかと思うと一瞬でその場から掻き消えた。同時に辺りを覆っていた妖気や先ほどの炎の熱気も嘘のようになくなり、奇妙な静寂だけが残される。
頭部を庇うように翳していた腕を下ろし、辺りの気配を探った慶次は鬼の気配がどこにもないことを確認すると指笛を鳴らして松風を呼び寄せた。
摺り寄せられた鼻面を軽く撫でてやりながら颯爽とその背に跨ると、同行していた衛士の一人が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「前田殿!どちらへ?!」

「どちらへも何も決まってんだろう。あの鬼を追うんだよ」

気配を探って捜索、などという器用な真似はできないが、もしかしたら巧妙に妖気を隠して近くに潜んでいるかもしれない。
こともなげに言う慶次だが、それを聞いた衛士は青ざめた。

「し、しかし、三大妖の力は予想を超えています!まずは人員の安否を確認してから…っ」

「じゃあそれはあんたらでやっといてくれ。俺は一人で行くぜ」

「そんな殺生な!」

「身を守るくらいできるだろう?」

卒倒しそうな様子を見やって呆れたように言い返すと、男は反論の言葉を探して暫くもごもごと何事か恨みがましく呟いていた。
帝に仕える近衛府の役人ともあろう者がこんな調子で大丈夫だろうかと心配になる。とはいえ検非違使や衛士が役立たずだろうと退治屋である慶次には関係のない話だ。
彼の敵は妖怪。今回は多額の報酬も約束されている以上、成果も無しに戻るのは退治屋としての流儀に反する。
跨った馬の腹を蹴れば、松風は大きく嘶いて足場の悪い山道を駆け出す。背後から引き止める声がいくつも聞こえてきたが、気にすることもなく慶次の姿は木々の狭間へと消えて行った。




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