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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
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からから、という軽い音と共に六壬式盤が回転する。静かに静止したそれを指でなぞり、難しげな表情をした政宗は手元の半紙に何事か書きつけた。
陰陽寮に入って日が経ち、対妖の実戦経験はそれなりに積むことができている。だが、陰陽師の仕事はそれだけではない。
星見に式占、修祓や暦作りその他諸々。それ専門の部署がある仕事も多いが、だからといって陰陽生はできなくていいというわけではない。
できることはなるべく多い方が色んな面で役に立つ。そんなわけで、最近の政宗はおろそかになりがちだった実戦以外の勉強を熱心に行っていた。
だが。悲しいかな、努力と実績というのは必ずしも比例しない。

「むむむむ……」

唸りながら射殺しそうな目で式盤を睨んでいた政宗は、目を逸らすことはせずに近くにあった書物を引き寄せると猛烈な勢いで捲り始める。ここ最近ではそれなりに見慣れた光景なので、周りの陰陽生はまたかと思うだけであった。
都を中心とした広範囲で、牛鬼が大量に発生している。発生場所は占で確認できたところから順に退治屋や祓い屋たちを向かわせているが、元凶を絶たねば意味がない。
占で出た場所には見覚えのあるところが何か所もあった。そのうちの一つには今朝左近が向かったはずだ。
ちなみに、元凶について兼続に聞いてみるという手段は今回は考えていない。何でもかんでも式に頼ってばかりでは陰陽師の名が廃る。自分で考え、できる限りやってみなければ。
よほど追い詰められたら、どうなるかはわからないが。そもそも聞いたところで応えてくれるかどうか。

「…………」

小ばかにした表情で高笑いする兼続の顔が鮮明に思い浮かび、政宗の眉間の皺が深くなった。

――なんだ?陰陽師たる者常に己の実力を見、足りないものを補うために日々修行をするのは基本であり常識だろう。それを占の結果がわからぬからと言ってよりによって配下である式に頼もうなどとは……成長が見えぬは何よりの恥。我が主ながら情けない……

恨み節などとは縁遠そうな爽やかさすら感じるあの張りのある声で滔々と嘆く幻聴まで聞こえてきて、政宗は怒りで歪む顔を隠そうと文机に突っ伏した。
その際額を思いっきりぶつけて数名の陰陽生が振り返ったが気にしない。
硯箱に筆を戻し、少し仰け反って後ろ手に手をつく。眉間を揉み込みながら横に置いてある六壬式盤を見やった。
なかなか状況は芳しくない。思い当たる原因はいくつか探ってみたがどれも外れらしく、めぼしい占の結果はいつまで経っても現れてくれないのだ。
天文部の星見の結果も似たようなものらしく、揃って頭を悩ませている。今のところ人間たちに被害が出ているわけではないから急ぎでというわけではないのだが、被害が出てからでは遅い。

「伊達殿」

抑揚の少ない声音に呼びかけられて顔を上げれば、書簡を抱えた先輩の陰陽生が佇んでいた。
今日はちゃんと朝のうちに墨も料紙も足しておいたし、頼まれていた本も塗込に戻したはずだ。怒られるようなことはない。たぶん。
何か雑用でもあるのだろうかと向き直った途端、強烈な耳鳴りがした。
それは周りにいる者達も同じだったようで、どよめきが上がると同時に一斉に耳を押さえる。数名はあまりに強い耳鳴りに耐え切れずその場にしゃがみこんだ。
うっすらと目を開けた政宗は辺りを探って原因を探ろうとした。しかし周囲の混乱もあってそれどころではない。
耳鳴りが収まりかけると、体全体をひどい寒気が襲う。何かが抜け出ていくような感覚の後で、耳鳴りも寒気も唐突に止んだ。
すぐに騒ぎになるかと思いきや、官人たちは冷静なものだった。否、皆一様に唖然としている様子で、胡乱げにきょろきょろと辺りを見回している。
政宗の目の前にいた陰陽生も同様で、暫く目を瞬かせていた後で政宗を見下ろすと首を傾げた。

「……失礼だが、貴殿はどなただろうか?」

咄嗟に政宗は答えられない。
今いる室は見慣れないものだったが、見覚えはある。過去に一度、父に伴われて訪れた陰陽寮だ。

――「元服前」の己が、成年用の狩衣を纏って何故こんなところにいるのか。

胸中の問いに答えは出ない。直前まで占を行っていた六壬式盤が回転する音だけが、虚しくその場に響いた。






「はぁ、びっくりした……」

伏せていた耳をぴんと立ち上がらせた猫又は周囲を確認して危険がないことを確かめると、近くにいた官兵衛の肩に飛び乗った。

「大丈夫?何だったんだろうね今の」

腰を落ち着けていた官兵衛はほとんど動きを見せなかったものの、さすがにあの耳鳴りは堪えたのかこめかみのあたりを擦っていた。
その顔を覗き込もうとした半兵衛は妙な違和感を覚えて動きを止める。
不意に官兵衛の手が動き、鬱陶しげに猫又を肩から払い落した。そこまではよくあることなので、普段ならば半兵衛も気にしない。
だが。

「官兵衛殿……?」

素早く身を翻して畳に着地した猫又を、官兵衛が無感動な瞳で見下ろす。その目はどこまでも冷え切っていて、半兵衛は思わず息を呑んだ。

「か……」

「内裏に入り込むとは、命知らずな妖もいたものだな」

官兵衛の口調は常に淡々としていて、見知りの相手でもそれが揺らぐことは滅多にない。しかし、秀吉や半兵衛などほんの一部の親しい者達に対しては、本当に幽かだが彼の口調が柔らかくなる。
それが、今発された声はどうだ。
政敵と相対しているかのような、感情の籠もらない声音。久しく自分に向けられることのなかったその声に、半兵衛は返す言葉が見つからない。
しばらく目の前の書簡を見つめていた官兵衛はそれを丁寧に畳むと徐に立ち上がった。そして、絶句している半兵衛を見下ろす。

「何もせずに出ていくというなら追わぬ。疾く去るがいい」

それだけ言うと、官兵衛は半兵衛に背を向けて執務室を後にしようとする。障子に手を掛ける姿を見てはっと我に返り、思わず半兵衛は声を上げた。

「っ、官兵衛殿、待って!!」

何故だ。どうして、こんな。
さまざまな思いが交錯してうまく言葉が出てこない。百戦錬磨の妖が、なんとも情けない話ではないか。
そんな半兵衛の心境も知らず、官兵衛は障子にかけていた手をぴたりと止めた。

「……ふむ、私の名がわかるのか。悟りの力くらいはあるらしい」

追い縋ろうとしていた半兵衛の目が軽く見開かれる。肩越しに振り返る官兵衛の目は、嫌疑の色を孕んではいるものの静まり返っていた。
まるで、知らないものを見るような目。
僅かに残った希望を信じて、半兵衛は表情筋を総動員させて笑みを浮かべて見せる。

「ねえ、冗談きついよ、官兵衛殿。普段そんなこと、絶対しないじゃない?急にどうし……」

「聞こえなかったのか」

半兵衛の言を途中で遮り、官兵衛は視線を前に戻した。

「疾く去れ、妖」

吐き捨てるように言い置いて、障子を開け放つとそのまま廊下へと歩き出す。
硬直していた半兵衛は咄嗟にその背を追いかけ、板張りの床を踏みしめた。
普段、内裏の廊下を歩くときはほとんど官兵衛の肩に乗っていたから、ここに自分の足で立つのは久しぶりだ。そんなことを、現実逃避気味に考える。
官兵衛の歩く速度はあんなに早かっただろうか。
あの肩は、あんなに遠かっただろうか。

「なんで……」

こんなのはきっと、昼寝の最中に見たたちの悪い夢だ。
だってそうだろう。官兵衛があんな冗談を言うわけがない。きっと目が覚めたら、官兵衛はまだ室にいて、一人で淡々と仕事をこなしているに違いない。
急ぎの仕事もないくせに、昨日からずっと働き詰めだ。少しは休んでくれないと心配になる。
だから、いつものようにちょっかいをかけてやろう。少しでも官兵衛の気を仕事から逸らして、気持ちばかりの休息を。今ならいつもより仕事が少ないから、多少しつこくしたって本気で怒られたりはしないはずだ。
そうと決めたら、早く現実の官兵衛の所に行かなければ。夢ならさっさと醒めてくれと、切に願った。
だが、覚醒したくても夢は終わる気配がない。重苦しく圧し掛かる胸の奥の痛みが、これは現実だと告げてくる。
ならせめて、官兵衛のあの態度が何かの間違いだという証拠が欲しい。
調子に乗っておちょくりすぎて怒ったのなら、謝る。これから少しは自重する、かもしれない。
悟りを使って、官兵衛の心の奥底を覗いてみた。
人間が吐く嘘など、悟りの力を持つ妖の前では役には立たない。どんな嘘でも、彼らの心の内には真実があるからだ。
しかし。

「どうして……!」

いくら探っても、官兵衛の心の中に「半兵衛」という妖の存在を見つけることはできなかった。





「秀吉様!」

おかしな気配を察知した清正は、秀吉からの頼みごとも放り出して内裏へととんぼ返りしたところだった。
陰陽寮から、牛鬼が大量発生しているという報告が上がってきている。退治屋たちの仕事は増えるものの、元凶を絶やさねばどうにもならないと秀吉は独自に調べを進めていたのだ。
その調査を任されたのが清正で、朝から報告に上がっていた場所に出向いて動向を探っていた。ちなみに昨晩は正則にあちこち連れ回されたせいで寝不足は進行している。
それが、唐突に降って湧いたようにして都に感じ慣れない妖気が現れたのだ。感じ慣れないが、どこかで出会ったことのあるような。
しかし記憶を辿るよりも秀吉の安否を確かめることが先決だった。都には秀吉だけでなく、ねねもいるのだ。
戻ってきてはみたものの、秀吉に外傷が無さそうなことを確認して安堵の息を零した。以前の突風騒ぎのように建物が壊れたりした様子もない。大きな妖気のわりに何もないというのは逆に不審な気もしたが、害がないならそれに越したことはない。
清正の声に反応を示した秀吉が顔を上げる。一瞬だけ目を見開いた後で、そそくさと逃げるようにして踵を返した。
首を傾げながらも清正はその後ろに従う。

「すみません、都にでかい妖気が湧いて出たようだったので、任を放り出し……あ、えっと、そのっ、すぐ戻りますから!お怪我はありませんでしたか?」

心配そうな声音にも秀吉は反応を示さない。
何かがおかしいと感じたものの、清正は何か見なかったかとか体に不調がないかとか、間を置かずに問いかけ続ける。
それら全てを、秀吉は右から左へ受け流していた。
いつもなら、どんな些細なことでも言葉を返してくる秀吉が。周りに人がいる状況でも、心配するなと言いたげな視線を向けてくるのが常なのに。
ぴたりと足を止めた秀吉は唐突に向きを変え、狭い塗込の中へと入っていった。清正がその後に続くと、静かに扉を閉める。

「……秀吉様?」

胡乱げな問いにはやはり答えはない。
振り向いた秀吉の目はどこまでも静かで、それでいてその表情には困惑が滲んでいた。

「お前さん、わしが妖視えるのをどうして知っとるんじゃ?」

「は……?」

予想していたどれとも違う発言に、間抜けな声が零れ出た。
一体何を言っているのだろう。初めて秀吉と会って介抱してくれたときに、教えてくれたではないか。
実は強い見鬼の力を持っている。知られると厄介だから、周囲の人間には黙って妖に対しても視えないふりをしているのだと。
口を半開きにして固まる清正を見やり、秀吉は申し訳なさそうな様子で軽く頭を下げた。

「すまんが、このこと周りには秘密にしといてくれんか。今更大事にしとうない。約束してもらえんなら、お前さんのことを近衛府に知らせに行かにゃーならん」

頭が混乱していてうまく話の内容が入って来ない。
一体この方は何を言っているのだ。近衛府に知らせる?俺のことを?そんな、まるで――…

まるで、初対面の敵対相手と話をしているようではないか。

いつまでも黙っている清正の態度を否定と取ったか、秀吉は僅かに眉を顰めると素早く口元に指を運び、鋭く指笛を吹き鳴らした。
短く二回。塗込の中だというのに嫌に響いたその音は、僅かに開いていた戸の隙間から内裏全体へと響き渡る。
その音に反応してか、にわかに廊下が騒がしくなった。やっと我に返った清正は瞠目して秀吉を見つめる。

「何を……?!」

「悪いのう。お前さんに恨みはないんじゃがな…許せ」

「秀吉!!」

扉を叩き壊さんばかりの勢いで駆けこんできたのは利家だ。
先ほどの指笛は緊急事態を知らせるもの。滅多に使われることのない合図だ、何事かと思うのも無理はない。
入口付近に立っていた秀吉は、ちょうど清正がいる辺りの足元の唐櫃を指差した。

「今しがた、蓋が勝手に開閉しとった。何かおるのかもしれん」

「何だと?!」

答えるが早いか、利家は確認もせずに武器を抜くと清正めがけて斬りかかってくる。
見鬼の力をあまり持たないというのに一直線に向かってくる辺りは、退治屋として詰んだ経験による勘が働いているのだろうか。
慌ててそれを避け、続々となだれ込んできた軍属の衛士たちを飛び越えた清正は中庭に転がり出た。

「くそっ…!」

顕現させた得物の柄で地面を軽く叩くと庭の池から水の虎が飛び出してきて、それに跨って素早くその場から離れる。
最後の最後に一瞬だけ見えた秀吉の瞳からは、何の感情も感じられなかった。





広い背中が遠ざかるのを睨むようにして見つめていた秀吉の元に、利家が戻ってくる。

「大丈夫か秀吉?!内裏のど真ン中に妖が出るなンて笑えねえぜ…!一応、この辺り一帯調べとくか?」

「……ああ、頼む」

力強く頷いて指示を飛ばす利家の声で、衛士たちは内裏中に散っていく。もはや危険がないことは秀吉にはわかりきっていたが、余計なことを言って怪しまれても面倒だ。
それにしても、なんだったのだろうさっきの妖は。随分親しげに話しかけてきたが。
何にせよあっさり退散してくれて助かった。内心安堵していた秀吉の元へ、雑色の男が書簡を持って駆けてくる。

「左大臣様、こちらを」

「ん、ああ!わざわざすまんのう」

労りの言葉をかけてやれば、雑色は軽く目を見開いて恐縮しながら下がって行った。まさか左大臣直々にそんな言葉をかけてくれるとは思わなかったらしい。
開いてみれば、そこへ書きつけられていたのは陰陽寮からの報告書だった。
都と、その周辺における牛鬼の大量発生。それから、何か今までになかった強大な妖気が都を徘徊しているらしい残滓があったこと。
読み進めるうちに、秀吉の表情はどんどん険しくなっていった。

「こりゃあまた……」

「秀吉ー」

庭先から声を掛けられ、秀吉は目を瞬かせながら顔を上げた。
ふらふらと歩いてくるのは孫市だ。一介の退治屋は内裏に自由に出入りすることなど許されてはいないため、どこからか忍び込んだのだろう。
こういうときだけ無駄に実力を発揮するのはいつものことなのでもはや追求するまい。苦笑を零した秀吉は軽く手を振り返す。

「今日は依頼なしか?孫市」

「ま、そんなとこだ。…随分騒がしいな」

あちこちから衛士たちの声が響いてくる。普段は落ち着いた雰囲気の内裏全体が騒々しく、浮足立っているような。
内裏に妖らしきものが紛れ込んだのだと聞かされ、孫市は目を丸くする。

「おいおい大丈夫かよ?陰陽寮は何してんだ?」

「幸い信長様にゃ近づいとらんようじゃからな。ま、これを怠慢と責めちゃ可哀想じゃ」

ふうん、とどこ吹く風で気のない返事をする孫市に苦笑する。
今上の帝とは反りが合わないのだ、この男は。自他ともに認めることなので、今更追求しようとも思わない。
ふと、孫市は秀吉が手にしている書簡を見やった。

「またなんか面倒事か?殿上人サマはお忙しいね」

揶揄を込めながら飄々と嘯くと、秀吉も悪戯っぽく片目を瞑る。

「なぁに、ちょいと牛鬼が大量発生しとるだけじゃ。まったく、退治屋共は何しとるんじゃか」

軽い応酬でさりげなく意趣返しをされたことに気付き、孫市は誤魔化すように軽く咳をする。
差し出された書簡を流し読みし、思慮深げに口元に手をやった。

「大量発生と今まで無かったでけー妖気の残滓、ね……それに加えて内裏で妖騒ぎか。こりゃもしかして、奴らが絡んでっかな?」

「ああ、わしもそう思う」

主語はなくとも、彼らの脳裏に浮かんだのは同じ思いだった。
この国の全ての妖は、三匹の大妖に従っている。彼らは神にも通ずる力を持ちながら人間との干渉を嫌い、均衡を望みながら妖たちの過度な台頭を抑えている。
その三匹の妖は鬼、天狗、狐であるとされ、都の遠く離れた場所でこの国の行く末を見守っているという。
全ての妖の頂点に立つ最強の妖とされている彼らを、都人は三大妖と呼んだ。

「いよいよ、白黒つけるときが来たのかもしれんのう……」

深刻そうな声音で秀吉が呟く。その隣で、孫市も大きく首肯した。




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