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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
1
奏上の儀を終えた官兵衛は、校書殿に戻って静かに書をしたためていた。
今日は宿直も無いため、この仕事が終われば自邸に戻る。書き終わる頃にちょうど終業の鐘が鳴る時刻になるだろう。
筆が滑るように動いて、少し細長い文字が並んでいく。官兵衛の書く文字はそれなりに癖があるのだが、官人たちからは読みやすいと評判だ。
とはいえそれが、読みやすい字で書けば伝達が早まって仕事の効率が上がるだろうというどこまでも仕事人間な官兵衛の計算の上に成り立っているのだと知っている人間は少ない。
急ぎの仕事もないため、時間が過ぎるのが妙にゆっくりと感じられる。回廊を行きかう官人たちの足取りも心なしか静かで軽い。元々衣擦れの音くらいしか聞こえないのだが、これが忙しい時期になるとざっざかざっざかと袴をさばきながら足早に歩くのでそれなりにやかましいのだ。
まぁ、そんな音はもう慣れたものではあるのだが。
そこへ、開け放たれていた蔀戸からちりん、と鈴の音が響いてきた。

『あ、官兵衛殿おっかえりぃ〜』

「ああ」

するりと体を滑り込ませてくる白猫を見向きもせずに答える。二又に分かれた尻尾を一つ振りながら、半兵衛は少し不満そうだ。
生真面目すぎるくらいに真っ直ぐに伸びた背を見やり、身軽に跳躍するとその肩に飛び乗る。猫又はその辺にいる野良猫とほぼ同じくらいの大きさだが、官兵衛は全く重さを感じていなかった。

『それだけ?他にもっとないの?「どこへ行っていた」とかさ』

「今のは私の真似か」

『えへ、似てる?』

上機嫌な猫とは正反対の表情で口をへの字に引き結んだまま、官兵衛は目だけを動かして半兵衛を見やった。その間も筆を動かす手は止まらない。

「別に卿の行動に興味はないのでな。どこへなりと行くがいい。静かで助かる」

『うわっ今のはヒドいよ?!俺傷ついちゃったなー!』

わざとらしく大仰に叫び、そのまま半兵衛は畳の上に伸びてじたばたしていたと思ったらやがて動かなくなった。
一連の動作は何とも滑稽だったが、この姿も耳に届く声も官兵衛以外の人間には映らないし聞こえない。官兵衛が執務をしているときは大抵一人なので喋っても問題はないのだが、障子の向こうに誰がいるとも限らないので極力口は動かさず無音声で話している。
いっそ誰かに見てもらってこの微妙な鬱陶しさを共有してもらいたいものだとちょっとだけ思う。
すると半兵衛は官兵衛の心の内を読んだかのようにして顔を上げ、据わった目で睨み付けてきた。

『今、俺の心の傷口に更に塩を塗るようなこと考えたでしょ』

「よくわかったな。そこまでわかっているなら私が今卿に静かにしていてほしいと望んでいることまでわかってほしいものだ」

『何言ってんの!官兵衛殿の望みだったら何だってわかってるよ、俺!』

胸を張って答える半兵衛である。彼の中で、知っているのと実行するのとは全く別次元の話なのだ。
小さく嘆息した官兵衛は一旦筆を置いて書き終えた紙を退かすと、真新しい白紙と取り換えて文鎮を乗せた。無言で再び筆を手に取れば、反応が無かったことに拗ねたらしい猫又がぷい、とそっぽを向いたのが視界に入る。
だが、明後日の方向を向いた視線の先でひらひらと蝶が舞っていたため、半兵衛は素早く駆け出してじゃれはじめた。
妖なのに普通の猫と変わらぬような習性は反射なのだろうかと頭の隅で思う。そういえば以前、秀吉が疲れている官兵衛にと木天蓼酒を差し入れてくれた時も必要以上に警戒していたような。
となれば木天蓼を投げつけてやったら大人しくなるのだろうか、などと物騒なことを考えていたら、鍾鼓の音が鳴り響いた。終業時刻のようだ。
筆と硯を丁寧に片づけて、取り出したままになっていた書物も一ヶ所にまとめる。塗込に戻しに行くのは明日にすることに決め、帰宅する官吏たちでにわかに騒がしくなった廊下へと踏み出した。半兵衛はいつのまにかちゃっかり肩に乗っている。
官兵衛が通ろうとすれば官人たちはこぞって道を空け、両端に寄って頭を下げる。見慣れた光景の中歩いていたら、背後からどたどたと足音が響いてきた。

「おーい官兵衛!」

この内裏の廊下を歩いているような人物のうち、官兵衛を呼び捨てにする者はごくごく僅かしかいない。
軽い足音と快活な声を聞けば、相手が誰なのかは確認するまでもなかった。
素早く振り返って顔も見ずに首を垂れる。

「何か御入用でしょうか、秀吉様」

「あーあーあー、そういう堅ぇのはええって」

完璧な角度で礼をする官兵衛を見やって苦笑した秀吉は、頭が下がったことにより近くに下りてきた肩をぽんぽんと叩いた。

「お前さん今日はこれで上がりか?」

「……御覧の通り」

仕事を終えて帰るところですが。という台詞は声にはならなかったものの、秀吉にはちゃんと伝わったようだ。うんうんと頷くと、にかっと笑って官兵衛の顔を覗き込む。

「んじゃあちょうどええ!これからわしの邸に来んか?ねねが相変わらず顔色悪いんだろうから久しぶりに顔見せに来いと朝から騒いどってのー」

秀吉の正妻であるねねは、左大臣の妻という立場でありながらも平気で人前に出てくる。料理が趣味で面倒見もよく、地方から出てきた女官たちの世話を焼いたりとなかなか忙しなく動き回っているのだ。
官兵衛も以前一度秀吉の邸に招かれ、顔色の悪さを心配されて腹がはち切れるかと思うほどの大量の夕餉でもてなされた。味は美味なので苦痛ではないのだが、あの量は如何ともしがたい。
それ以来、官兵衛の顔色が悪いのは仕事が忙しいので疲れているのだと認識されてしまったらしく、月に一度くらいはねねから夕餉の誘いが来るのだった。気持ちはありがたいが、気持ちだけ受け取っておくから勘弁してもらいたい。
渋面になりそうになるのをなんとか無表情で貫き、官兵衛は再び頭を下げた。

「申し訳ありませぬが、本日はこれで失礼させていただきたく。……できれば私の顔は元来このような色だということを北の方様にお伝えください」

「お、おお…そか、わかった。ま、無理強いはせんわ」

次こそ来てくれな、と気を害した風もなく頷いた秀吉は、官兵衛を追い抜いて建礼門へと向かって行った。それを見送って背中が見えなくなった頃、ようやく官兵衛も門の外に出る。
待たせてあった牛飼い童に出迎えられ、牛車に乗り込む。簾が下ろされたところで、半兵衛が肩から降りて官兵衛の目の前にやってくるとちょこんとお座りの姿勢を取った。
別に誰にも姿は見えていないのだから牛飼い童がいるときでも普通に乗って座ればいいと思うのだが、何故かそれは絶対にやらない。彼なりに何かこだわりでもあるのだろうか。
がたがたと牛車が揺れ始めると、器用に体勢を保っていた半兵衛が徐に顔を上げた。

『ね、官兵衛殿。気づいてる?秀吉様のすぐ近く』

「……ああ、何かいるようだな」

姿の視えない何かが。
それなりに力のあるもののようで、視えたとしてもぼんやりと靄がかかったようになって鮮明ではない。しかし、この様子では半兵衛は正体を知っているようだ。
静かに瞑目する官兵衛を見やって、半兵衛は小首を傾げた。

『ほっといていいの?内裏にまた妖が入り込んでるってことだよ?』

「卿にだけは言われたくないが」

当の半兵衛も立派な妖の括りである。
大体、ずっと前から内裏には強大な妖気が潜んでいるらしき気があるし、少し前など恐らく三大妖であろうと思しきものまで紛れ込んでいたのだ。今更感が拭えない。
しかし半兵衛はけろりとして得意げに片目を瞑った。

『俺はいーの!健気に官兵衛殿に尽くすだけの無害で無力な妖なんだからさ!』

何故か自慢げな猫又を見やって、官兵衛はあからさまに眉を顰めた。
無害の部分はそれなりに納得できるが、健気に尽くすだけというのと無力というのはだいぶ語弊があるだろう。
確かに、半兵衛がいてくれたおかげで助かったことも少なくはない。だが、常日頃彼がやっていることといえば、意味もなく官兵衛の周りをうろうろしてみたり部屋の隅で昼寝をしてみたり、かと思えば先ほどのようにふらりとどこかへ散歩に出てみたり。自由気儘極まりない。たまに雑用紛いなことをしてくれることもあるが、どの辺が健気に尽くしているというのか。
そして何より、無力な妖は精鋭の陰陽師が揃う陰陽寮の目と鼻の先で姿を巧妙に隠しながら平穏に生きるなんてことはできないだろう。
移動中の牛車はひっきりなしに揺れて軋んでいるので、内裏にいるときほど声が外に聞こえる心配はないが、それでも自然と声は低められた。半兵衛の聴覚をすればこれくらい簡単に聞き取れるので問題はない。逆に半兵衛の声は、官兵衛の脳裏に直接響いている。

「秀吉様に害を為すのでなければ、私が口を挟むことではなかろう。秀吉様は聡い。悪意あるものなら寄せ付けぬはずだ。何か起きそうになれば、卿があれを追い払えば済むだけの話」

『俺ぇ?うーん、まぁ官兵衛殿がやれって言うんなら頑張っちゃうけどね』

できないと言わないということは、いざとなれば実力行使でなんとかなるのだろう。
未だに不思議に思う。飄々として掴みどころがなく、何を考えているのか今一つ読めないこの猫又は、かなり強い力を持つ人外の化生だ。それがただ「官兵衛を気に入った」というだけで何故麾下に下ろうと思ったのか、官兵衛本人にはさっぱりわからない。
そもそもどこをどう気に入られたのかもよくわからないのだから、その先など理解できようはずもなかった。
最初はそれこそ人を誑かして悪さをしようと考えているのだろうと当たりをつけていたのだが、どうもそういう方面には動かない。麾下に下ったという文字通り、官兵衛が命令すれば半兵衛は必ずそれに従う。
彼の生き方を見るに、他者の命令を聞くことなど面倒以外の何物でもないと考えていそうなものだが。
普通の人間が見たらわからないであろう官兵衛の微妙な表情の変化を、半兵衛は敏感に察知したらしい。に、とその口元が弧を描いた。

『官兵衛殿がその顔するときは、俺が何考えてるのかを考えてるときだよね』

「…………」

図星なので黙っていると、半兵衛は機嫌良さそうに尻尾をぴんと立てた。
牛車が軋むたびに響く鈴の音も、官兵衛以外には聞こえない。

『何度でも言うけど、俺は官兵衛殿を気に入っちゃったわけ。だから官兵衛殿の傍に居たいし、そのためなら手伝いでもなんでもしてあげたいと思うし、官兵衛殿にも俺を見ててほしい』

官兵衛が術者などではなく見鬼の才を持つだけの殿上人である以上、半兵衛がもとのまま自由な猫又として生きていたなら、ただの都を徘徊する一妖としか見られない。下手に声を届けたりちょっかいを出したりすれば悪しき妖の悪戯だと判断され、傍にいられなくなってしまうかもしれない。
使役として麾下に下ってしまえば、そのあたりの心配は一気に払拭される。
くすくすと笑い、半兵衛は官兵衛の足に体を摺り寄せた。

『つまり俺は官兵衛殿の「特別」になりたかったんだよねえ』

「気色の悪い物言いはよせ」

『ひっどいなあ!でも一番しっくりくる言葉がこれなんだからしょうがないじゃない』

ぽん、と軽い音がしたかと思うと、白猫の姿は年若く見える青年の姿へと変化した。半兵衛は立てた片膝に顎を乗せ、斜め下から官兵衛の顔を見上げる。

「たとえば、そうだなあ……官兵衛殿は妖の俺が幽霊かと思っちゃうくらい顔色も人相も悪くて、その上ものすごーく頭がいいから誰よりも人間離れしてる。なのに、官兵衛殿の行動基準てびっくりするくらい人間らしい。こんな面白い人、なかなか出会えないよ」

どこまでも楽しそうな半兵衛に、官兵衛は怪訝そうな表情を向けた。
彼が何を言いたいのか今一つわからない。今のは褒められたのか、貶されたのかどちらだろう。
すると半兵衛は右手の人差し指を立てて自らの帽子を軽く弾いた。

「要するに、たまたま官兵衛殿が人間で、俺が猫又だったから今の関係があるだけってこと。もし官兵衛殿が妖だったとしたら、俺たちすっごい良い友達になれたと思うんだよね!」

人間と妖が共存しようと思ったら、一番手っ取り早いのは使役となることだ。それも、力の強いものが弱いものに完全に譲歩して屈服するという形が望ましい。
友誼を結ぶ、ということも考えなかったわけではない。だが、官兵衛の性格を鑑みたらそれはかなり難しいことだっただろう。だから半兵衛は無条件で官兵衛の麾下に下ったのだ。勿論、官兵衛がたとえ妖を使役したとしてもその力を乱用するような人間ではないと看破した上で。
妖には妖なりの矜持がある。それを捨てて人の配下になっても構わないと思うくらいには、半兵衛にとって官兵衛は興味深い存在だった。


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