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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
7

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目の前で己と全く同じ顔が勝ち誇ったように笑う。瞠目してそれを見つめていた幸村は、気力を振り絞って地に片手を着くと上体を支えた。少しでも気を抜けば肘が折れてしまいそうだ。襷が千切れて落ち、持ち上げていた袖が腕に下りてくる。
もう片方の手で宝玉を掴もうとするが、絶えず流れ出てくる血で指先がぬるりと滑って触れることしかできない。気道を傷つけられたのか、荒い呼吸を繰り返すたびに耐えがたい痛苦が全身を駆け巡った。
妖の腕はそれ自体が意思を持っているかのように動きだし、胸骨を砕き皮膚を引き裂いて出て来ようとする。臓腑を直接掻き回されるおぞましい感触と激痛に身体が痙攣した。

「あぐ…っ?!っあ゙ぁ…ッ!」

せり上がってきた血泡で喉が焼け、喘鳴が途切れる。宝玉にかかっていた妖の指に力が籠もると、びきりと音を立ててそのまま罅割れた。それを確認した照魔鏡は己の顔に飛んできた血飛沫を指で掬って舐め取り、既に力など入らなくなった幸村の身体の下から抜け出すと茫然としている横面を蹴り飛ばす。
勢いのまま倒れ込んだきり、幸村は動けなかった。妖の腕は役目を終え、さらさらと砂が零れるように消えていく。塞ぐものが無くなって、胸元に開いた風穴からどす黒い血が多量に溢れ出した。
同時に宝玉の制御をなくした妖気が迸り、辺りで渦を巻く。普段なら力の源となるそれも、満身創痍の状態では身を焼く苦痛にしかならない。
遠のきかける意識を無理矢理繋ぎ止め、落ちそうになる瞼を必死で上げる。ぼやけた視界が瞳に像を結ぶまで、いやに時間がかかった。
離れた場所に転がる朱塗りの槍に気付いて腕を上げようとしたが、鉛のように重い体は全く言うことを聞いてくれない。
かたかたと四肢の末端が小刻みに震える。全身を襲う猛烈な寒さは、外気温によるものではないだろう。流れ出た血で赤黒く染まり湿った土を、鋭い爪を備えた指が力なく掻いた。
朦朧として定まらぬ思考の中、相対する敵を斃さなければならないという意思だけがはっきりとしている。
立ち上がるべく腕に力を込めた途端、手首を異形の足が踏み拉く。のろのろと顔を上げると、妖は呆れ半分感心半分といった表情でこちらを見下ろしていた。

「まだ戦うつもりか?見上げたものだがな、死にぞこないにできることなどたかが知れているぞ」

嘲笑混じりの声に殺意が芽生えるが、やはり体は思うようには動かない。妖が腕組みをしていることに疑問を抱いた幸村は、切り落としたはずの腕が元通りになっていることに今更気が付いた。
驚きに目を見開くことすらできず、それでも妖から目は逸らさない。照魔鏡は暫く面白そうに幸村を見下ろしていたが、徐に足を退けてその体を仰向けに蹴り転がした。
血に塗れた宝玉を装飾ごと引き千切り、片手で弄ぶ。無残に罅割れてはいたが、未だ凄まじい妖気を内包しているようだ。
それから未だ周囲で渦巻いている妖気を眺めやって嘆息する。

「さすがに一息に全ては無謀か……」

この鬼の力を我が物にできればと思っていたが、ここまで強大だとは思わなかった。下手に吸収すればこちらが呑まれてしまう。
あの忌々しい封印から解放されて、まだあまり日が経っていない。とりあえず記憶にある中で一番新しかったこの姿を取ってみたものの、鬼の身体はなかなかに馴染み具合がよかった。もう少しすればこの体にも慣れるだろうから、そのときにまた改めればいいのだ。
そこまで考えて、照魔鏡はふと瞬きをして幸村を見下ろした。
体に慣れるまでとは思ったが、それまでこの鬼をどうするか考えていなかった。今はまだ生きているが、このまま放っておけばそう時間はかからず息絶えるだろう。殺してしまっては元も子もないが、回復されても面倒だ。このままにしておければいいがそんなに都合良くはいかない。
そういえば鬼は黄泉の国の住人だったと思うが、こいつらが死んだらどうなるのだろう。消滅して別の命として生まれ変わるのだろうか。
埒もない思考に囚われ、うーんと唸る。手持無沙汰になって力なく投げ出された幸村の腕を軽く足先で突いてみるが、抵抗は全くない。一応目は開いているが、どこを見ているのかわからない瞳は虚ろだ。
思わず妖は瞠目した。まさか死んだのではあるまいか。それは困る。
未だ鮮血を溢れさせている腹の傷と己の指先の鋭い爪を見比べ、徐にその爪を鬼の胸に開いた風穴に突き立てた。
その瞬間、幸村の全身が引き攣れたように跳ね上がって、見開かれた瞳に一瞬だけ正気が戻ってくる。咄嗟に妖の腕を掴み返してきた手には傷のせいか力が全く入っておらず、喉の奥で泡立った血塊がごぼりと嫌な音を立てた。

「い゙…ッぐあ……っ!」

「ああ、生きてたか」

仰け反った喉から途切れ途切れに零れた声にほっと息を吐く。そのついでに一つ閃いた。
ここは照魔鏡が自身で作り出した人界から隔絶された異界の地である。このまま時を止め、そのまま封じておけばいい。人界からの道は塞いであるから、おいそれと見つかることはないだろう。自分が封印されていた意趣返しもできるし、一石二鳥ではないか。
我ながら良い思い付きだとぽんと手を打ち、右手にこびりついた血を適当に払う。ちらりと見下ろした鬼は盛大に血を吐いてから動かなくなり、今は微かな呼吸を繰り返すのみだ。その度に喉がひゅうひゅうと音を立てている。手を下したのは自分だが、この状態でよく生きているものだと感嘆した。
ちなみに何度も言うが、死なれては困る。今のところは。
土汚れを払って立ち上がった照魔鏡は背筋を伸ばした。さっさと人界に戻って、ここは封じ込めてしまおう。
そうして人界への道を繋いだ瞬間だった。
びきびきと音を立てて、曇天の空が罅割れる。驚いて瞠目する間もなく、裂け目は一気に広がって空が粉々に砕けた。

「何…?!」

周囲の景色が歪み、視界が開けたかと思うと太陽が照らす畦道に放り出される。目の前にあるのはあの忌々しい祠だ。
ということは、ここは人界か。何故突然戻ってきてしまったのだ。
辺りを見渡した途端、うなじを怖気が駆け上がる。咄嗟に妖が退いたまさにその場所に、青白い炎の矢と凄まじい威力を伴った竜巻が叩き込まれた。
顕現させた得物を構え、照魔鏡は空を仰いだ。そこにいたのは、これまた見覚えのある二匹の妖。
怒り心頭に発した様子の鴉天狗と九尾の狐が、憤怒に煌めく瞳でこちらを見下ろしていた。凄まじい眼光に射抜かれて、思わず照魔鏡も息を呑む。
百年以上も昔、己をこの地に封じ込めたのがこの妖たちだ。鬼だけならなんとかなったものを、厄介な邪魔が入ったとあってはっきり覚えている。
ものも言わずに天狗が徐に錫杖を掲げる。一瞬で形を為した竜巻が照魔鏡に襲いかかった。慌てて目の前に円を描くと、その中に巨大な鏡が顕現する。
竜巻はそのまま鏡に吸い込まれていった。が、鏡面から強烈な光が放たれ、そのままの威力で天狗と狐へと返っていく。
二匹の妖の姿がふっと掻き消えたかと思うと、上空へと素早く飛び上がった天狗が羽扇を一閃させた。
風刃を避けて後退する照魔鏡の背後に狐が姿を現し、具現した狐火が大弓の形を為す。雨のように降り注ぐ狐火の矢を避け、間合いを詰めてきた天狗の錫杖に槍で拮抗した。背後から襲ってきた狐の突きを片手で受け止めると、びりびりと腕が痺れる。照魔鏡は二匹の妖を見比べて唇を噛んだ。
またしても、邪魔が入った。ここは退いた方が賢明なようだ。
瘴気を爆発させ、妖たちが怯んだ隙に左手を横薙ぎに払うと、三日月形に空間が裂ける。照魔鏡がその中に飛び込むのと同時に狐と天狗が怒号した。

「待て!!」

青白い炎と竜巻が空間の裂け目を包み込む寸前に、人界と異界を繋ぐ道はぴたりと閉ざされた。






「くそっ…!」

ぎりぎりのところで敵を取り逃がし、兼続は苛立ちを隠しもせず舌打ちする。神経を研ぎ澄ませて探っても、あの妖の気配はどこにも感じられない。
否、そんなことは今はどうでもいい。

「幸村っ!」

切羽詰まった叫びは三成のものだ。錫杖を打ち消して地上へ戻り、声の方へと駆けていく。
非常事態すぎて存在を忘れ去られていた慶次は自力で竜巻から脱出すると、自分の足で地面を踏みしめられる喜びを噛み締めた。本日二度目の移動により頭の芯ががんがんと揺れて大変に吐き気を催しているが、三成も兼続もこちらに気を配る余裕などないらしい。
倒れ伏したまま微動だにしない幸村の傍らに片膝をついた三成が、必死にその頭を掻き抱いて悲痛な声で叫んだ。

「俺の声がわかるか…!起きてくれ幸村、返事をしろ!」

呼吸があれば上下するはずの胸元がぴくりとも動かないのを見て、思わず慶次は息を呑んだ。
未だ残る激しい戦闘の残滓と、消えかかって弱々しいながらも溢れ続ける幸村の妖気。この双方を浴び続ければ、普通の人間は無事では済まないだろう。何が起こったのかまではわからないが、少なくとも幸村が満身創痍で生死の境を彷徨っていることだけは確かだ。胸元に穿たれた傷からは未だに鮮血が溢れ続けていて、それだけがまだ彼の命が尽きていないことの証である。そういえば、いつも彼の胸元を飾っていたはずの宝玉もない。
妖の身体は人間などよりよほど頑丈にできている。簡単に死に至るようなことはないが、不死の存在でもない。今、幸村を取り巻く死の気配がこの上なく濃厚なのは火を見るよりも明らかだった。
あの幸村がここまで追い詰められるというのは、にわかには信じがたいことだが。敵は一体どれほどの力を持っているのだろう。
唇を噛みしめた兼続は、徐に立ち上がると錫杖を顕現させて遊環を打ち鳴らす。清冽な霊力が広がって、辺り一帯を覆う障壁が織り成された。
突然体が軽くなり、呼吸も楽になったことに気付いた慶次は目を瞬かせる。気分の悪さはどうやら兼続の風で酔ったことだけが原因ではなかったようだ。
幸村たちが異界で戦いを繰り広げていたらしいことが不幸中の幸いだった。三成と兼続が無理矢理その世界と人界を繋いだのだが、もし人界で戦っていたらどれほどの穢れが広がってしまったか考えるだけでも恐ろしい。
無我夢中で呼びかける三成の声にも全く反応を示さなかった幸村だったが、不意にその指先がぴくりと動いた。その微かな動作を見逃さなかった兼続が、片手でもって三成を制する。
息を呑むふたりの前で、幸村の瞼がふるりと震えた。緩慢に開いた瞼の奥から、真紅の双眸が覗く。暫く焦点が合わずに彷徨っていた瞳が、はっきりと三成と兼続を捉えた。

「…、……」

発されたのは掠れきってほとんど吐息のような声だったが、口の動きは確かに目の前にいるふたりの名を紡いだ。
安堵のあまり力が抜け、兼続は腰が抜けたようにふらふらとその場に座り込むと片手で顔を覆った。三成は秀麗な面差しをくしゃくしゃに歪めて唇を噛みしめ、震える手で幸村の顔にかかる髪を払ってやる。

「っ、大丈夫だ、幸村。死なせはせぬぞ…!」

その言葉に応じるかのように、甚大な神気が顕現する。瘴気の渦の中から姿を現した氏康は、幸村を一目見るなり絶句した。

「遅かったか……」

悔しさが滲む声音に、兼続が驚いて顔を上げる。

「氏康公!黄泉へ戻られたはずでは……!信玄公は?!」

「ああ、謙信が戻ってきたんでな。押し付けてきた」

半年ほど前にふらりと姿を消していた迦楼羅天謙信だったが、どこからともなく信玄の危機を察知してつい先ほど戻ってきたのだ。あまりに凄まじい形相で帰ってきたので、氏康はまた別件の事件でも起きたのかとぎょっとしたが、あれは彼なりの心配の現れだったらしい。
何にせよちょうど良いところへ戻ってきたということで、信玄たちを謙信に任せて人界へとやって来たのだが。

「……これでましな戦力がほぼ壊滅しちまったな」

がしがしと頭を掻いた氏康は、再び気を失った幸村を三成から引き剥がして傷の具合を確かめ、深々と溜息をついて完全に力の抜けた体を軽々と肩に担いだ。
人界は冥界と比べて遥かに陽の気が強い。長居すればするだけ幸村の死期を早めることになる。傷の方は塞げばどうにかなりそうだが、妖気が消えかかっているのは深刻だ。
ぱたぱたと散る鮮血を見てもうちょっと丁寧に運んでやってくれと言いたげな兼続を杖でずいっと差し示す。

「あの妖がこのまま引き下がるとは思えねえ。てめえはこっちに残って、何かあったら俺か謙信に伝えろ。……それと、そっちの小動物」

一瞬誰のことだと目を瞬かせたが、状況的にどうやら指名されたのは自分らしいと気づいた三成の耳がぴくりと反応した。
不穏な妖気を気にも留めず、氏康は黄泉への道を開きながら肩越しに振り返る。

「こいつを死なせねえっつっただろう。二言はねえな?助けたけりゃ、ついて来い」

そう言い残した氏康と幸村の姿は異空間の闇の中へと消えて行った。
恐らくこの道の先は黄泉の国だ。いくら妖といえど、あの場所はおいそれと行って戻ってこれるようなところではない。
だが、幸村を助けたければついて来いと言われて、三成が迷うはずもなかった。

「兼続、こちらのことは任せた」

「心配には及ばん。……幸村を頼むぞ、三成」

一つ頷いた三成の身体が凄まじい妖気に包まれる。着物と髪が妖気の奔流に煽られ、一瞬姿が見えなくなった直後に現れたのは、九つの尾を持つ白銀の毛並の巨大な狐だった。
体高だけでも兼続の背をゆうに超える。鮮やかな金の瞳に狐火が反射して輝き、それが唯一今までの三成の面影を残していた。身に纏うのは禍々しいまでの妖気だというのに、神々しさすら感じさせる雰囲気がある。
九尾の狐は兼続が差し伸べた手のひらに額を摺り寄せると、そのまま氏康の後を追って身を翻す。三成の姿が完全に見えなくなると同時に、黄泉への道は音も無く閉ざされた。


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