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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
3
凄まじい衝撃波を喰らい、前方に吹っ飛ばされる。背中に灼熱の痛苦が生じて、滑車に宿っていた鬼火がふっと掻き消えた。
浮力を無くし、ぐらりと均衡を崩してそのままくのいちもろとも地面に叩きつけられる。すぐさま起き上がろうとするも、指を動かしただけで背中に凄まじい激痛が走ってその場に倒れ込んでしまった。
一気に大量の血を失って視界が霞む。その隅で、身軽に着地する妖の姿を捉えた。

「全く、下手に逃げなければ苦しまずに済んだものを」

幸村と全く同じ声が、嘲りを含んで愉快そうに嗤う。甲斐は渾身の力を振り絞って顔を上げた。
彼の姿は、現在のそれとは違った。もう百五十年ほど前の、まだ幸村が黄泉で獄卒として信玄に仕えていた頃の姿だ。衣装も今よりかなり身軽で、鎧や装飾はあまり身に付けていない。ほぼ左右対称のこの格好ならば、鏡で映し取られても気が付かないのは頷けた。
痛みを堪え、地面に肘をついて状態を起こす。闘志を失わない瞳に射抜かれ、妖は感心したように甲斐をまじまじと見つめた。

「まだ動けるのか。頑丈なものだな」

「一体…なんなのよ、あんた……?!」

甲斐の問いかけに、妖が顔を歪めてにいと嗤う。幸村と同じ顔であるはずなのに、ここまで雰囲気が変わるものなのかと驚いた。

「知ったところで、何もできまい」

愉快そうに声を上げた妖は、甲斐の首に槍の刃を近づける。

「貴様の妖気もなかなかだ。この私が有効活用してやろう」

振り上げられた刃がぎらりと煌めく。思わず目を閉じ、衝撃に備えた。
直後、甲高い音が鳴り響く。そして衝撃も痛みも襲ってはこない。死ぬと何も感じないのだろうかと頭の片隅で思いながら、恐る恐る瞼を上げる。
まず目に入ったのは、驚きに瞠目した幸村の顔。
そして目の前には、槍の一撃を杖で受け止める氏康の姿があった。

「お、館…様……!」

途切れ途切れに口にすれば、氏康の瞳が苛烈に輝き、裂帛の気合と共に杖を振るって妖を軽々と弾き飛ばす。
勢いのまま吹っ飛んだ妖を睨みつけ、それから甲斐とくのいちを見下ろした。

「ったく、遅ぇと思ったら……あんな妖怪風情に仲良く殺されかかってんじゃねえよ」

苛立ったように言いながらも、口調には安心した響きが混じる。
僅かに呻いて起き上がる妖に気付き、氏康は舌打ちすると杖から隠し刀を引き抜いた。隙なく構える姿を見て、妖は顔を歪めて笑ってみせる。

「阿修羅王が相手では、少々不利か」

不審げに眉を顰める氏康の目の前で、妖の全身から瘴気が溢れだした。
咄嗟に顔を覆ったところで、妖の姿は大量の瘴気に紛れて掻き消える。

「逃がすか!」

投げつけた刀の刃は僅かに届かず、地面に虚しく突き刺さった。妖の気配が完全に無くなるのと同時に、瘴気も嘘のように消えていく。
周囲の様子を探り、追うのは無理と判断した氏康は忌々しいと言いたげに舌打ちした。
起き上がろうとした甲斐だったが、腹の底からせり上がってきたものがあり激しく咳込む。口の中に鉄の味が広がり、一つ咳をするたびに背中から新たな鮮血が溢れた。
それを見た氏康は懐から煙管を取り出すと口に銜え、数回ふかしてから深々と紫煙を吐き出す。ゆらゆらと漂う煙が辺りに充満すると、甲斐は背中の痛みが徐々に引いていくのを感じた。
驚いて首を巡らせれば、先ほどまで肉が見えるほど抉られていた傷に薄い皮膚が張り付いているのがわかった。出血はほとんどない。くのいちの傷も同様だ。
何でも無さそうな様子で氏康は肩を竦める。

「気休めだが、そのまま傷晒しとくよりマシだろ。……やれやれ、見事に戦力削がれちまった」

閻魔王にはじまり、精鋭であるはずのくのいちと甲斐までもが追いつめられるとは。
なんとか起きあがることができた甲斐は、呼吸を整えると跪いた姿勢のまま氏康を見上げる。

「お館様、敵は鏡です。あたしたちの姿を映し取って、力まで取り込んでる」

甲斐の言葉を受けて氏康は軽く目を見開いたが、納得した様子で視線を巡らせた。

「成程な。ゆっくり怪我治してる時間はなさそうだ」

幸村が鏡に姿を「映し取られた」のだとすれば、先ほどの妖の姿も亡者の証言も合点がいく。
目的はわからないが、厄介な相手だ。味方に扮されれば見分けるのは難しい。こちらにもまだ手勢は残ってはいるものの、信玄が負傷した今、彼らの士気が下がっても不思議ではない。早めに手を打たなければ。
ゆっくりと立ち上がって息を吐き出す甲斐を見やり、氏康は目を眇めた。

「お前はまだ動けるな?すぐ人界へ行け。幸村に事態を知らせろ。……この状況であれまでいなくなると、ちっとまずい」

「っ、はい!」

頷くが早いか、鬼火の渦の中に甲斐の姿は消えていく。
氏康とて手負いの状態の部下に無理をさせたくはないが、事は急を要する。自分は黄泉を離れるわけにはいかないし、今幸村に一番正確な情報を伝えられるのは彼女だ。
煙管の中の灰を地面に落とし、足で踏んで火を消す。未だ気を失っているくのいちを肩に担いで、黄泉路を戻り始めた。





****





天気の良い昼下がり。巨木の幹に寄りかかり、のんびりと足を組んだ慶次は一つ大きな欠伸を零した。足元の木の根辺りでは、松風が機嫌良さそうに草を食んでいる。
今日は妖退治の依頼ではなく、地方へ出張に出てきた陰陽師たちの護衛だ。何でも集落にあった祠が暴かれたとかで、早急に対処してほしいと陳情があったらしい。
退魔術の専門家であるはずの陰陽師に護衛が必要とはこれいかに、と思わないでもなかったが、出張となれば何もせずともその分報酬が返ってくるのだから慶次に断る理由はない。
実際今日も本当についてきただけで、出番など全くなかった。
陰陽師たちは破壊された祠の前で長々と祓言を上げているところだ。陰陽師様方にお願いしている間護衛の方はお茶でも、と勧めてくる里人の誘いを丁重に断り、今に至る。
人々が忙しない様子ながらも笑みを交わしながら集落を出入りする。田の畦道や草むらは子供たちの絶好の遊び場になっているようで、楽しそうな声は絶えない。彼らにとって住み良い里なのだろうと一目でわかる。
だが、そんな中にありながら一部の男衆が妙にぴりぴりとした様子で緊張しているのが気にかかった。守り神の祠が壊されて、陰の気が満ちてしまったのだろうか。

「慶次様ぁー」

威勢のいい声に呼びかけられ、思わず目を瞬かせる。何事かと顔を巡らせれば、集落の女衆がこちらに向かって笑顔で手を振っていた。彼女たちの手元にはこんな場所に不似合いなほど立派な重箱があり、良い匂いがここまで漂ってくる。
肩を竦めた慶次は女たちを見やって苦笑した。

「俺には気を使わなくていいって言ったはずだぜ?」

「まぁそう仰らず、どうぞ食べて行ってくださいな」

こいこい、と手招きされては断るのも忍びないと思い、木の幹に手を掛けて軽い動作で飛び降りる。
やっと慶次が食事を受け取る気になってくれたので、女衆もほっとしたようだった。

「ほんにようございましたわぁ。こんなに早く来ていただけて」

「祠が暴かれるなんて恐ろしい……」

慶次は重箱にこれでもかと詰め込まれた強飯をかき込みながら、不安げな様子で身を震わせる女たちを見やる。

「壊された祠ってのは何を祀ってたんだい?」

「ええ。なんでも昔、村を襲った鬼を討ち取ったらしくて。その時に鬼の正体を見破ったのが、あの祠に祀られていた鏡だったそうです」

話は伝承でしかなかったものの、里人たちは祠を大層大事に扱っていた。この地の守り神として崇め、仕事に出る際には必ず手を合わせたものだったのだが。
女は言葉を少し区切ると表情を曇らせる

「あの日の昼は祭があって、修祓を行ったばかりだったっていうのに……。殺された鬼の祟りだなんて言い出す者もいる始末で」

伝承がまことしやかにささやかれていることもあり、ありえないと一笑に付すこともできず。表に出す者と出さない者の違いはあれど、全員それなりに不安を抱えながら過ごしている。
女衆は疲れた様子で溜息をついた。色々なことが重なったせいで鬱々としやすくなってしまっていけない。
そんな話を聞いていたら、慶次は今やすっかり顔見知りとなった鬼の姿をふと思い出した。
鬼といえば人間を弄び、喰ってしまうという先入観が強く、実際に被害に遭ったと口にする者もいる。この里のように鬼退治の伝承が残っている場所も少なくない。
しかし、幸村に関して言えばそれはかなり縁遠いことのように思われた。少なくとも、娯楽で人間を殺すような真似はしないだろう。彼が人間に対して激昂するのは、人間側から彼自身や同胞たちに危機を及ぼした時くらいだ。
だからといって普通に人間たちに馴染んで内裏に入り込んだりできているのも、それはそれでどうかと思うが。
もしこれをそのまま伝えた場合に、困ったように笑って返答に窮する幸村の顔が容易に想像できて、慶次は喉の奥で低く笑った。良い意味で鬼らしくないというか、なんというか。
別に三大妖に対して妖怪は妖怪らしく人間と反目してろなどと言いたいわけではないのだ。彼らを見ていると退屈しないし、式に下すことなく妖と友誼を結ぶなんてやろうと思ってもなかなかできない。
ただ、退治屋として何か間違っているという自覚は、少しだけある。

「それにしても、陰陽師様だけじゃなく退治屋様まで来てくださるなんて頼もしいわぁ。何かあったら守ってくださるんでしょう?」

黄色い歓声を上げる女たちに意識を現実に引き戻され、目を瞬かせた慶次はにやりと悪戯っぽく笑った。

「もらった飯の分くらいは働こうかねえ。それ以上は保障できねえが」

「あらやだ、それじゃあ腹壊すくらいうんと食べてもらわなきゃ!」

きゃっきゃと笑い合いながら、女たちは家の方の支度もしなければならないと言い置いて名残惜しげに去っていく。
ああいう女たちの明るい様子を見ると、里全体が明るく見えてくるから不思議だ。日々こつこつと働く姿は実に微笑ましい。
ぱん、とどこからか甲高い拍手の音が聞こえてきた。祓言がやっと終了したようだ。
なんとなくだが里の澱んでいた空気が払拭され、清冽な空気が流れ込んできたような感覚がある。
修祓が終われば、あとは里の長に報告をして帰還するのみだ。これから都へ戻るまで、再び陰陽師たちを護衛するのが慶次の仕事である。
重箱に蓋をして背筋を伸ばしているとき、ふと感じ慣れた気配が近くにあるような気がした。

「……ん?」

首を左右に巡らせてみるが、辺りには里人以外は誰もいない。
ここは都から二日ほどかけてやっと辿り着く辺境だ。周囲には何もなく、顔見知りの者などいるわけがない。
しかし、今たしかに。

「前田殿」

いつの間にか戻ってきていた陰陽生に声をかけられ、慶次ははっとした。
丁寧に一礼して待たせたことに対する謝辞を述べると、里の中へと歩いていく。慶次は少し後ろ髪を引かれる思いがして肩越しに祠を振り返った。
たぶん、気のせいだ。――幸村がこんなところにいるはずがない。
そう考えたら何かの勘違いに思えて、一人で納得したように頷くと陰陽生の後に続いて歩き出した。



****



日輪が燦然と輝く昼日中、数少ない日陰でずるりと蠢く影があった。
首を擡げたそれは緩慢な動作で辺りを見回すと、とぷんと音を立て、水に潜るようにして影の中に消える。
微かに周囲の景色を歪ませながら移動したそれは、高い木の頂上に立つ長身の男の手の筒の中に納まった。
太陽にそぐわぬ姿をした男の白い面に、邪悪な笑みが浮かび上がる。

「クク、実に平穏よ……なんともつまらぬ」

きぃきぃと甲高い鳴き声を上げて管狐たちが男を取り巻く。
そのうちの一匹の喉を撫でてやりながら、風魔は祠から遠ざかっていく人間たちの姿を見やった。

「実に退屈だ……汚泥の如き安穏に混沌が交われば、さぞ面白いことになろう」

歪みが生じればそこから人の心は捻じ曲がる。影に囚われた人の心は災厄を芽吹かせ、争いと諍いを招くのだ。
例えば、人の世に黄泉の国が具現したならどうだろう。
ただの飯綱使いである己にはそんな力はない。だが、力を貸してやることはできる。
風魔の背後に凄まじい瘴気の塊が生じた。周囲に織り成された結界によって、その力が外へ漏れ出ることはない。

「さぁ、後は貴様次第よ。精々我を楽しませてくれ」

愉快そうに嗤う風魔に応えるように、瘴気の中に佇む鬼の面差しが凄惨に微笑んだ。




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あきゅろす。
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