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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
2
苛烈な瞳で睨み上げてくる小鬼の頭を軽く押さえる。

「冷静になれっつってんだろうが。こいつが今嘘を吐く理由があるか?なんで一介の亡者があの小僧の容姿を知ってると思う」

元が人間である亡者たちにとって鬼は鬼でしかなく、「恐ろしい妖」でひとくくりにされる。いくら一度死んだとは言っても、刻まれた恐怖心というものは簡単に消えるものではないのだ。視界に入るだけでも恐ろしいと感じる者も少なくない。見てしまったら忘れようとさえするため、容姿などが記憶に残ることは滅多にない。
それがここまではっきりと特徴を口にしたということは、実際に目にしたからに他ならない。それも、極々最近。
だが、と頭のどこかで否定する声がする。十字の槍を持った赤い衣の鬼。思いつくのはただひとりだ。しかし、彼が信玄を傷つけることなどそれこそ天地がひっくり返ってもあり得ない。
だからこそ、氏康にはくのいちの動揺の理由も理解できるのだ。何かの間違いだろうと思いたい気持ちもわかる。しかしそこで亡者に八つ当たりをしたところで事態の好転はない。
氏康は手を離したら飛び掛かりそうな様子のくのいちから亡者を庇いつつ、己のものよりだいぶ低い位置にある頭を見下ろした。

「……あの小僧にこのことを伝えてこい。ついでに何か知らねえか聞いてきな」

その言葉を受けて一瞬愕然とした表情を浮かべたくのいちだったが、その顔が一転して怒気に彩られる。

「幸村様を疑うんですか?!」

「そうじゃねえ。警告だ」

今は人界に留まっている幸村には、黄泉で起こった出来事を知る術はない。それを伝えるという意味もあるが、何にせよ亡者の口から彼の特徴に合致する点が出てきた以上、話は聞いてみなければならないだろう。
氏康とて彼を疑うのは馬鹿げていると思うが、念のためだ。
行け、と一言念を押すと、くのいちは何か言いたげな様子ながらも渋々頷き、鬼火の渦の中に姿を消した。
改めて氏康は信玄の様子を調べる。出血のわりに怪我は大したことはなさそうだが、意識が戻らないところを見ると油断は禁物だ。
素早く周囲に視線を滑らせた氏康の目が一点で止まり、軽く見開かれた後で忌々しげな舌打ちが響く。

「浄波璃鏡が割られてやがる……」

亡者たちが人道に在った時に犯した罪を映し出す真実の鏡。それが粉々に砕けている。並みの力では傷一つつけられないはずなのだが。
浄波璃鏡が映す真実は、何も人道に限ったことではない。信玄を襲撃した何者かが、証拠を隠滅すべく割ったとしても何ら不思議ではなかった。
むしろ、鏡の存在を知り、わざわざ割って行ったことに周到さを感じる。
嫌な予感を覚えた氏康は一つ指を鳴らした。
すると、先ほどくのいちが消えたときと同じように鬼火が出現し、その中から小鬼が姿を現す。

「お呼びですか」

降り立った甲斐はいつになく険しい氏康の顔を見て首を傾げた後、その傍に広がる血溜まりと、動かない信玄を順に見やって目を見開いた。

「閻魔王様?!お館様、一体……」

「見ての通り緊急事態だ」

氏康が甲斐の目の前に手を翳すと、彼女の脳裏にはたった今ここで起きた出来事が走馬灯のように再現された。くのいちと交わされた会話も全て。
亡者が襲撃者の特徴を口にした途端、信じられないといった表情で氏康を見上げる。

「ありえない!幸村様がそんなことするわけないですよ!」

「んなこたぁわかってんだよ。……お前はあの小娘を追え。あの様子じゃ冷静さなんてどっかに吹っ飛んじまってるだろうからな」

くのいちは本来幸村に仕える鬼だ。彼女の主である幸村が信玄に仕えているから、信玄にも従っている。表面上はどうあれ、その優先順位は信玄より幸村だろう。
誰よりも敬愛する主が地獄の王に反逆を起こすなど考えたくもないはずだ。何かの間違いに決まっているという思いは氏康も甲斐も同じだが、最も衝撃を受けているのは恐らく彼女である。
甲斐は唇を噛みしめて頷くと、くのいちの妖気を追って姿を消した。
さて、と氏康は亡者たちを振り返る。

「牛頭!馬頭!」

重装備に身を包んだ獣頭の鬼が二匹姿を見せる。三途の川から地獄六道のそれぞれの道まで亡者たちを運ぶ獄卒だ。

「聞いての通りだ。しばらく裁定はできねえ。亡者共の混乱を最低限に抑えろ」

「御意」

法廷の中にいた亡者たちが外に追い立てられ、重い扉が静かに閉ざされた。
疲れた様子で溜息をつき、信玄を見やる。

「ったく……何してんだかてめえは」

黄泉の王ともあろう者が、情けない。目を覚ましたら存分に恨み言を聞かせてやることにしよう。






腸が煮えくり返りそうな思いを抱えながら、くのいちは異界の道を疾駆していた。
幸村が信玄を襲撃するなど絶対にありえない。一体誰だというのだ。わざわざ幸村の特徴に合致するような姿で亡者の前に姿を晒し、鬼たちの目を欺いて閻魔王に傷を負わせるなどという真似をしたのは。
並の妖では不可能だ。信玄は気さくな好々爺のように振る舞ってはいても、地獄の全ての鬼を統べるほどの力を持つ者なのだから。
一度足を止め、呼吸を整える。滑車が無くなってしまったため、今は空を翔けることができない。神速を使うのは実に久しぶりなのだが、こんなに疲れるものだっただろうか。

「最ッ悪……!」

非常事態のこんなときに限って、実についてない。悪いことは重なるというのは本当だった。
空を翔ける自分たちとほぼ同じ速度を神速のみで維持する幸村を改めて尊敬する。こんなことならダサいとか言わずに正則の髑髏滑車を受け取っておくべきだっただろうか。しかし、あれを付けるのも相当嫌だ。
今更ながら風神雷神夫婦に殺意めいたものが芽生えた。過ぎたことにどうこう言ったところでどうにもならないが、腹が立つものは仕方がないだろう。元はと言えば彼らのせいで大事な滑車が壊れてしまったのだ。巻き込み事故の原因が夫婦喧嘩というのもまた腹立たしい。
内心で宗茂とギン千代に八つ当たりをしていたところで、肩を上下させていたくのいちの視界がふっと翳った。
不思議に思って目を瞬かせる。人界と違って異界や地獄には日の光は届かない。ゆえに、突然影ができるなどということはないのだが。

「え……」

俯かせたままの視界に映ったのは見覚えのある滑車と、異形の足。
見間違えるわけがない。だが、何かがおかしい。
違和感を覚えながらも顔を上げれば、思ったとおりのひとがそこにいる。

「幸村様……?」

いつもならば穏やかに微笑むその顔が、昏い笑みを湛えてうっそりと嗤った。






「もう、あの子どこまで行ったのよ……」

くのいちの妖気を辿っていた甲斐は苛立って独り言を呟く。
空を翔ける術がない今ならそう遠くへは行っていないだろうと思っていたのだが、考えが甘かった。途中で妖気が消えてしまったことを考えると、もしやもう人界に出てしまったのだろうか。
幸村を探しに行ったならば、十分ありえることだ。普段は飄々とした態度で隠しているが、彼女が内包する力は相当に強い。大切な主が絡んでいるとなれば、珍しく本気を出して駆けて行ったとしてもおかしくなかった。
そうなると、このまま彼女の軌跡を勘で辿っていくよりは黄泉比良坂の方へ回った方が早いかもしれない。
仕方なしに踵を返そうとした甲斐の視界の前方に、ぼんやりと鬼火が浮かび上がった。少しずつ近づいてくるそれが、小柄な鬼の顔を映し出す。
一間ほど離れたところで立ち止まり、くのいちは不思議そうに小首を傾げた。

「あれ?甲斐ちん何してんの?」

「何って……」

あんたを追ってきたのよ、と続けようとした甲斐だったが、直感の琴線を引っ掻く何かを感じて言葉を止める。
目を瞬かせていたくのいちはぱっと顔を輝かせた。

「なになに、心配してきてくれた感じ〜?幸村様にはもう知らせたから大丈夫だよん。さ、戻ろっ」

無邪気に笑う彼女はいつも通りに見えるが、どこかおかしい。無理をしている風ではないし、自分を押し殺している様子もない。
そう、いつも通りだからこそ、おかしい。こんな時に何故平常でいられるのか。
ふと視線を落とし、甲斐は軽く目を見開いた。
ぽんぽん、とその肩を叩いたくのいちは軽い足取りで黄泉路を戻ろうとする。振り返らないまま、甲斐は口を開いた。

「幸村様にはなんて伝えたの?」

できるだけ軽い口調になるように意識したが、声音に微かに緊張が混じる。
足を止めたくのいちは不思議そうな顔をして肩越しに振り向いた。

「え?お館様が襲われて、黄泉が大変なことになってますって伝えたけど?」

「…そう」

どくり、と一つ心臓が跳ねる。努めて冷静さを保ち、静かに続けた。

「幸村様は、何て?あのひとなら閻魔様のところにすっ飛んできそうな気がするんだけど」

主の一大事に、大人しくしているとは思えない。
信玄を案じる幸村の姿が目に浮かぶようで、甲斐は少しだけ笑った。彼はいつだって、同胞のことを何よりも重んじてきた。ましてやその相手が閻魔王ならば、何を放ってもここへ来るはずだ。
怪訝そうな目をしていたくのいちだったが、改めて甲斐に向き直る。

「下手に動かない方がいいだろうって。幸村様は幸村様で、色々探ってみるって言ってたけど」

「ふうん」

少しずつ、心臓の鼓動が早くなっていく。
さっさと戻ろうよ、と焦れたように言う小鬼を、甲斐は肩越しに睨み付けた。

「それともう一つ。……あんた、なんでさっきからあたしに殺気向けてきてるわけ?」

くのいちの顔から、無邪気な笑みが消えた。
ぽかんとしていた表情が一転し、口の両端が吊り上がって鋭い犬歯が覗く。突如膨れ上がった妖気に、咄嗟に飛び退いた甲斐は得物を召喚して振り抜いた。
蛇腹剣が伸びきるよりも少し早く、左足に鋭い痛みが走る。顔を歪めて見下ろせば、いつもくのいちが扱っている巨大なくないが脹脛を大きく抉って地面に突き刺さっていた。
噴き出す鮮血を見て、がくりと膝が折れる。

「ざんねーん。その滑車を狙ったんだけど」

甲斐はくすくすと笑う声の主を鋭く睨みつけた。昏い笑みを宿したくのいちが――否、くのいちの姿をした別の妖が面白そうにこちらを見下ろしている。
妖気を注いで足の傷を塞ぎ、改めて武器を構えた。妖は興味深そうな様子で甲斐をじろじろと眺めまわし、不思議そうに首を傾げて見せる。

「いつ気づいたの?」

「……あの子の足の刺青、左足よ」

妖はぱちぱちと目を瞬かせた。そして、己の右足を見下ろして納得した様子で頷く。

「なるほど、結構よく見てるんだね。感心感心」

眼前の敵を最大限に警戒しながら、甲斐は鬼火を立ち昇らせた。相手への威嚇と、己を守る防壁の意味もある。

「あんた、何者?」

「さぁ、何でしょう?」

小馬鹿にしたように笑いながら、武器を構えた妖が突進してくる。
身を翻して躱した甲斐は素早く蛇腹剣を振るった。意思を持っているかのように蠢く刃を遊ぶように避けられ、忌々しげに舌打ちする。
刃を収めようとした瞬間、妖が一気に肉迫した。得物を戻すのが間に合わず、肩に巨大なくないが食い込む。

「つ…っ!」

にたりと笑う小鬼の腹を、思い切り蹴り飛ばした。血を滴らせる肩口を押さえて後退すると、足に何かがぶつかる。
何事かと視線を落とせば、そこには気を失ったくのいちの姿があった。
さっと血の気が引く音がする。

「ちょ、ちょっと!」

慌てて抱き起こすと、くのいちは微かに呻いて身じろぎした。死んではいないことに安心したものの、今はそれどころではない。
怪我人を庇いながら戦って勝てる相手ではないだろうと判断し、甲斐は得物を収めるとくのいちの腕を肩に回した。滑車から鬼火を迸らせて一気に空へと駆け上がる。
地上でそれを見ていた妖が額に手を翳し、楽しそうに笑った。

「競争する?鬼ごっこなら負けないけど」

妖の足元に仄かに光が灯り、その両足に甲斐の足に備わった滑車と同じものが出現した。力強く地を蹴り、一気に跳躍する。
凄まじい速度で追いかけてくる妖を振り向き、甲斐はぎょっとした。なんとか速度を上げたものの、このままではすぐに追いつかれてしまう。
その時、力なく凭れていただけのくのいちの腕が僅かに動いた。

「う……」

「!大丈夫?!起きてんなら何があったのか話してくれると助かるんだけど!」

ぼんやりと瞼を開けたくのいちは焦点の合わない瞳を彷徨わせ、少しだけ横を見やったところでやっと甲斐の存在に気付いたようだった。
そして大きく息を吐き出し、泣きそうに顔を歪める。

「幸、村様……なんで……!」

甲斐は思わぬ名に瞠目した。
まさか、くのいちまで幸村にやられたとでも言い出すのか。
驚きのあまり一瞬硬直してしまったが、すぐさま我に返って怒鳴り返す。

「馬鹿言わないで!幸村様があんたをこんな目に逢わせるわけないでしょ!」

そこまで言ってはっとした。
信玄が襲われたとき、その場に居合わせた亡者が襲撃者に関して幸村に類似する特徴を口にした。あの時は皆揃って何かの間違いに決まっていると思ったものだが、あれは間違いなどではなかったのではないか。
何より、くのいちが幸村の名を呼んだ。彼女が幸村の立場を悪くするような嘘を吐く理由がない。元来人である亡者は簡単に虚言を口にするが、妖たちは違う。
浄玻璃鏡が割られ、真実は闇の中だ。そして幸村を探しに行ったはずのくのいちは亡者と同じようなことを言い、今、甲斐を追ってきている妖はくのいちの姿をしている。
だが、先ほど見たときに自ら悟ったではないか。くのいちの刺青は左足。妖は右足に刺青があったことを。
肩越しに振り向けば、気づくものはいくつかある。彼女が結い上げている髪はいつもは右だが、妖のそれは左だ。角はその逆。全てが左右反転している。
頭の中に一つ、明かりが灯ったような気がした。

「逆、ってことは……鏡…?!」

甲斐の声が届いたのか、妖は一つ瞬きをすると愉しそうに笑った。
その顔が突如ぐにゃりとひしゃげ、全身の形が歪む。くのいちの華奢な体格が、無駄なく筋肉のついた男のそれに変わった。手にする得物も、二本のくないではなく真紅の十文字槍に。
妖が再び顔を上げた時に見えたのは、よく見知った鬼の面差し。

「な…っ?!」

あまりのことに言葉を失う甲斐に、幸村の姿を取った妖は滑車を疾駆させて肉迫すると、手にした槍を一閃した。


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