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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
1
丑の刻を回り、その狭い集落は静寂に包まれていた。
今日は昼に祭事が執り行われ、修祓も滞りなく終了し、里人たちは祝いも兼ねて無礼講の宴を開いた。
少々どころではなく深酒をした者が多かったこともあり、少し前までは夫を叱りつける妻の声があちこちから響いていたのだが、それも収まって今は皆すっかり寝静まっている。
とはいえ、時折立ち並ぶ家から鼾は聞こえてきていたが。
男もまた、良い気分で酒を酌み交わして普段の仕事も忘れて騒ぎ、妻に怒鳴られながらも夜半に自分の家へと戻って布団に潜りこんだのだった。
休む間もない百姓の身分だ。たまにはこういうこともなければやっていられない。
妻もそれはわかっているため、ぶちぶちと文句を言いながらも夜中に起きて体を拭く麻布などを用意してくれた。
そして男は体を清め、健やかに就寝し、酒の力も借りて朝まで目覚めないはずだったというのに。
静寂の暗闇の中で突如として大地を揺るがすような轟音が鳴り響き、男は布団を跳ね上げて飛び起きた。
隣の布団で寝息を立てていた妻も気づいたようで、肘をついて上体を起こしながら不安げに暗闇を見渡している。

「おめえはここにいろ!」

素早く立ち上がった男は立てかけてあった鍬を手にして家を出た。
音源はわからなかったものの、集落の中であることは間違いない。万が一食糧を熊などに襲われたのだとしたら一大事だ。
周りの家からも武器を手にした人々が飛び出してくる。夕方からの宴ですっかり酔い潰れていたはずの顔もたくさん見えるが、火急の事態で全員酔いも眠気もどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。

「今の音は何だ?!」

「わからん。俺んちじゃねえ」

うちも違うぞ、近所も大丈夫だった、とあちこちで声が上がる。闇の中で顔の判別はできないが、とにかく民家が襲われたわけではないらしい。
少ししてから松明を手にした手勢が現れ、男衆を引き連れて里中の家を捜索した。
が、どこの家にも襲われたらしき形跡はなく、怪我をした里人も一人もいない。だがたしかに音はした。

「……まさか」

一人の男がぼそりと呟く。何も言わずとも、男たちの脳裏を席巻した嫌な予感は一様に同じであった。さっと全員の顔が青ざめる。
そして、誰からともなく里の外れへと走り出した。
家が途切れてから少し進んだ畦道の脇に、小さな祠がある。昼間、修祓を行った祠だ。
だが。

「な…っ?!」

松明の明かりにに照らし出されるはずの祠は、そこにはない。
元あった場所を中心として、円形に深く抉れた地面の底で木端微塵になった祠の残骸らしきものが無残に散らばっている。
その時点で数名が短く息を呑んで腰を抜かし、その場にへたり込んだ。なんとか堪えた男は、ごくりと生唾を飲み込んでそろりと穴の中へと降りていく。顔を見合わせていた男衆の何人かが後ろに続いた。
一旦鍬を置き、静かに手を合わせてから砕けた木を退かしはじめる。付いてきた五名ほどの手勢で協力して除け終えると、祠の中に置いてあった榊や神具などが姿を見せた。
一つ一つ丁寧に拾って、目当てのものを探す。しかし。

「ない……」

男が茫然自失の体で呟く。
御神体である鏡だけが、その場から忽然と消え失せていた。




****




重々しい音を立てて、地獄の門がゆっくりと閉ざされる。絶えず聞こえてくる亡者たちの悲鳴など意に介さず、餓鬼たちは完全に扉が閉じたのを確認して閂をかけた。
更にその上から、神気の籠もった重い鎖を巻きつける。これで内側からはどんなに力を込めようと絶対に開かない。
完全に内部の音が遮断されると、別方向から何やら騒がしい声が響いてきた。ちらりと餓鬼たちの視線が動いたが、彼らは彼らでやることがあるためそのまま黄泉の瘴気に紛れて消える。
声の主は苛立ちに任せて頭を掻き回し、再び声を上げた。

「だーかーらー、んな真っ二つになっちまったんじゃ新調した方がいいっつってんだろ!騙されたと思ってこれ付けてみろって、ここんとこの装飾もやべーけど、マジはんぱねーくらいはえーから、ガチで!」

「見た目とか速度とかどうでもいいんだってば。いいからこれ直してよ」

「直せったってよぉ……」

不機嫌そうなくのいちの声に応える男の声は困惑気味だ。
彼の名は正則といい、朧車という妖である。一応鬼の眷属であるのだが、獄吏ではなく、黄泉に在って誰かに仕えているというわけではない。
元々は尾張の辺りで自由気儘に放浪し、自在に空を翔ける滑車を使ってたむろしている雑鬼を蹴散らすという特に意味のない遊びに興じたりしていたのだが、信玄が彼の持つ滑車に目を付けた。
そして自分の配下の鬼たちに使い方を教えてやってくれと請われ、天下の閻魔王からの直々の願いを一介の妖である正則が断る理由などなく、以来懇意にしている。
彼らのおかげで正則はそこらの術者に間違って祓われるようなことはないだけの妖気を得て、それまで以上の自由を手に入れたのだ。最近では散策範囲が武蔵にまで広がっている。
最初に閻魔王から声がかかったときには色んな意味で死を覚悟したものだったが、現状には大変満足している。何せ報酬が破格だ。
なのだが、今回ばかりは少々難題である。唸っている正則を横目に、くのいちは差し出された滑車を手にして胡散臭そうに眉間に皺を寄せた。

「ていうか、ほんと何これ……なんで真ん中に髑髏ついてんの?」

「おっ?興味出てきたか?」

ぱっと顔を輝かせた正則は途端に笑顔になり、滑車の装飾の髑髏の眼窩を指差した。

「鬼火がよ、こっからぶわーって出てグワーってなんだぜ?!超しびーだろ!そんでー、回転軸も太くできっから急加速急停止もすんげーヤバ」

「興味ない。擬音多い。そしてダサい」

「せめて最後まで聞けよ!!」

ばっさりと切り捨てられて青筋を浮かべて怒鳴るが、くのいちは煩そうに片方の耳に指で栓をしてしまった。
抗議を諦めた正則はぶちぶちと小声で文句を言いながら再び視線を下に落とす。
彼の両手には二つに割れた滑車があった。雷神ギン千代の雷で貫かれたくのいちの滑車だ。今日はこれを直してほしいと呼び出されたのである。
だが、直せと言われても鬼火を宿すための中心軸まできれいに割れている。たとえ直したとしても元通りの力を発揮するかわからないため新しいものに換えろとずっと説得しているのだが、彼女は聞く耳を持たないのだ。
正則は滑車を元通りにくっつけたり離したり断面を眺めたりしながら小さく舌打ちした。

「ったくよぉ……百五十年も前のボロ滑車にそんなこだわる必要なくね?しかも片方だけだしよ」

「次ボロとか言ったらあんたのその自慢の前髪削ぎ落して大焦熱地獄の釜にぶち込むから」

「こえーよ!鬼か!」

悲鳴を上げて慌てて前髪を押さえる正則に対する「鬼だよ」という返答は内心に留めておく。

「で?直るの?直んないの?」

ここで直せないとか言われたら問答無用でぼこぼこにしそうだが、一応尋ねておく。それに関して理不尽だという思いは全く浮かばない。
正則は肩を竦めてひらひらと手を振った。

「この俺様が直すんだかんな、直るに決まってる。けど、時間かかるし前と同じように動けるかわかんねーぜ?」

「!いい、待つから!お願い」

風神雷神の夫婦喧嘩に巻き込まれた騒動が一段落したとき、くのいちは滑車が壊れてしまったことを幸村に改めて打ち明けて謝った。勿論幸村は怒るようなことはせず、むしろそんな古いものをまだ使っていたのかと苦笑していたが。
壊れたならいい機会だから新しいものに換えたらどうかと当の幸村からも勧められたものの、そういう問題ではないのである。女心は色々と複雑なのだ。
正則は割れた滑車を懐に滑り込ませて立ち上がった。両足に備わった滑車から鬼火が迸り、そのまま滞空する。

「出来るだけやってみっけどー、あんま期待すんなよ。あ、直るまでその特別版髑髏滑車使っててもいいぜ?」

「いらない」

即座に言い返して投げつけると、正則は危なげなく受け取って唇を尖らせながら黄泉比良坂の方へと消えて行った。
悪い奴ではないのだが、正則と話をすると何故かどっと疲れる。
彼の腕は確かだが、漠然と不安になるのは気のせいではないはずだ。
何となしに溜息をついていると、背後から地面を踏みしめる足音が聞こえてきた。

「おう小娘、さぼりか?」

「阿修羅王様」

片目を眇める氏康に、くのいちはにへらと笑って見せた。別にさぼっているわけではないので、後ろ暗いことは何もない。
笑みを深めて立ち上がり、高い位置にある顔を下から覗き込む。

「旦那〜、たまには力抜かないと眉間の皺が消えなくなっちゃいますぜい?」

「ド阿呆、こりゃ元々だ」

指弾しようと伸ばされた手をひらりと避けると、先を読まれた氏康は少しむっとしたようだった。
彼が君臨する修羅道は地獄六道のうちの一つであり、常に闘争を繰り返す世界だ。長らくそんなところにいてずっと難しい顔をしているから亡者たちに怖がられるんですよと、以前甲斐と共に進言したことがある。無言で拳骨を一発ずつ喰らって終わったが。
よくよく考えてみれば、ずっと微笑みを浮かべている阿修羅王というのも恰好がつかないだろう。やはり彼は不機嫌そうな顔をしながら時々杖で床を打ち据えるくらいの方が似合っている。
氏康はくのいちが不敬なことを考えていることには気づいたが、それについては特に何も言わなかった。

「おい、野郎は何してる?亡者共が列作ってんぜ」

「え?」

氏康の言葉が示すことをすぐに察して一つ目を瞬かせたくのいちは、信玄がいるはずの法廷を見やった。
そういえばいつの間にか列が長く伸びているし、よく見れば先ほどから亡者の顔ぶれが変わっていない。
どうしたのだろう。よく散歩をしに出かける信玄だが、裁定の途中で突然いなくなることはない。誰も来なくて暇なときを見計らっているためだ。
氏康の目に険が宿り、足早に歩を進めると巨大な扉を片手で軽々と押し開ける。法廷内を見回し、息を呑んだ。

「信玄!!」

駆け出す氏康を見たくのいちは驚いてその後を追った。彼のあんなに取り乱した声音は初めて聞く。
後を追って法廷に飛び込んだ彼女の目に飛び込んできたのは、ぐったりと椅子に凭れ掛かったまま動かない信玄と、その肩を揺さぶる氏康の姿だった。衣が所々赤黒く染まっていて、椅子の下には彼の体を伝ったであろう血が広がっていた。
驚きのあまり両手で口を覆う。一瞬息ができなかった。

「…っ、お館様っ!」

悲鳴混じりの声を上げて駆け寄るが、信玄が目を覚ます気配はない。いつもならば面の下で優しく目を細めて、どうかしたのかと聞き返してくれるはずなのに。
素早く辺りの様子を探っても下手人らしき者は見当たらなかった。
突然乱入してきて声を荒げる阿修羅王の剣幕に驚いたのか、裁定を待つ亡者たちは小さくなって震えている。くのいちは先頭にいた亡者に目をつけて詰め寄った。

「ねぇ、何があったの?閻魔王様はずっと裁定をしてたはずでしょ?」

怒気と共に立ち昇る鬼火に、亡者がひっと息を呑む。素早く視線を走らせるが、他の亡者たちも皆似たような反応だ。
まさかとは思うが、信玄に怪我を負わせたのは亡者ではないのか。そんな不穏な考えまで過る。
強めに肩を掴まれ、くのいちは剣呑な表情のまま振り向いた。いつの間にか傍に来ていた氏康が渋面を作っている。

「落ち着け、亡者に当たるな」

「でも…っ!」

鬼たちの目と鼻の先で閻魔王が襲撃されるなど、前代未聞の事態だ。下手人が何であれ、目の前にいた亡者ならば何か目にしているかもしれないではないか。
そういえば、信玄に気を取られて気が付かなかったが、閻魔王を補佐する司録と司命の姿もない。慌てて探せば、左右の壁に叩きつけられるようにして寄りかかったまま意識を失っている。彼らの体の下にも血溜まりができていた。
再び亡者に詰め寄ろうとしたくのいちを制し、氏康はできるだけ静かに亡者に語りかけた。

「何か見たのか?」

「じゅ…十字の槍を持った……赤い衣の、鬼が……」

震えながら発された言葉に、ふたりが同時に瞠目した。
その脳裏に過ったのは全く同じ姿だった。だが、そんなことは絶対にありえない。
くのいちは手を伸ばして亡者の着物の袷を掴むと、乱暴に引き寄せた。

「あたし、そういう冗談は嫌いなんだけど。下らない嘘はやめた方がいいよ?死んでからの嘘も罪に数えるんだから」

「う、嘘など…っ!」

今にも泣きそうな声で訴える亡者から、氏康はくのいちを引き剥がした。

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あきゅろす。
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