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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
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内裏の廊下で、数冊の書物を抱えた左近が秀吉の少し後ろについて歩を進めている。
湿気が多いこの時期、内裏では襖を閉ざしている部署はほとんどない。殿上人たちでさえ自室を開け放っている状態だ。体裁も勿論あるが、それを優先して体を壊しては何もならないというのは秀吉の持論である。
最初の頃は反発する者も多かったが、一度襖と蔀を開け放って健やかな風が吹き抜ける中で仕事をしてしまったら、じめじめして空気が澱んでいる中で気分まで澱ませながら仕事をするのが実にばかばかしく思われたらしい。今では秀吉傘下の者達はほとんどが清々しい夏の日差しを浴びながら仕事に精を出している。
これで働く者たちの士気までも上げてしまうのだから、そこまで計算尽くだったとすれば秀吉の手腕は恐ろしい、と左近は内心感心していた。多分半分は計算だが、残りの半分は庶民出身ゆえの彼の生活の知恵なのだろうが。

「悪いのう左近、武官のお前に雑用押し付けちまって」

「いえいえ、暇してましたからお気になさらず」

軽く笑って返す左近に、秀吉は人懐こい笑みを向けた。
梅雨時期の湿気が残るまま気温が上がったせいで、あちこちで黴が発生して大変厄介なことになっているのだ。左近が手にしている書物もその被害を受けたもので、完全に読めなくなる前にと書写を頼まれたのである。
地下人たちにやらせてはいるものの、何せ数が多いので全く終わりがみえない。このままでは積み上がっている間に更に黴が繁殖して読めなくなってしまうと危機を覚え、秀吉が慌てて暇している武官たちの中から読み書きができる者を掻き集めたという次第だ。
当初の用務内容にこんなことは勿論含まれていなかったが、臨時報酬も出るとあって左近は快諾した。炎天下の中一日中外で立ち尽くすよりも、涼しい日陰の室内で一日中正座していた方が幾分かましというもの。
秀吉と共に角を曲がった途端に、視界に飛び込んできたものがある。足元をすり抜けようとしたそれに思わず左近は手にしていた書物を取り落し、地に落ちるすれすれでなんとか掴んだ。

「ん?」

不思議そうに振り返る秀吉から何かを隠すような仕草をする左近の額に冷や汗が浮かぶ。

「ひ、秀吉様、案内はもう結構ですよ。そこら辺の部屋、一室お借りしていいんですよね?」

「ん?ああ、そうじゃな!……左近、なんか様子がおかしくにゃーか?まさかお前まで暑さにやられ……」

「いえいえまさか!全く問題ありませんのでお構いなく」

「そっかぁ?」

そんじゃあ頼むな!と左近の肩を叩き、秀吉は元来た道を引き返していく。
その姿が見えなくなったことを確認して、素早く周りに視線を走らせた左近は誰もいない隙を見計らい、近くにあった塗込に滑り込んだ。
扉を閉め、深々と溜息をつく。背に隠していた書物の裏で、何かがもぞもぞと動いた。どうやら逃げようと躍起になっている。
近くにあった唐櫃の上に書物を置き、もじゃもじゃになっている獣を両手で抱え直した。

「三成さん、俺ですよ!」

ぴょこり、と獣の耳が立ち上がる。ふさふさとした尻尾の中から顔を上げた子狐が、自分を捕えた人間の顔を見上げてぱちぱちと目を瞬いた。

『おお、左近ではないか。奇遇だな』

「どうしました?ひとりだなんてまた珍しい」

神経を集中して辺りの気配を探ってみるが、今内裏にあるのは弱小な雑鬼たちの妖気だけだ。いつも一緒にいるあの鬼や天狗の気配は全く感じない。
妖の姿に戻ろうとする三成を慌てて制止した。この狭い空間で大の男二人がすし詰めになるのは賢明ではない。暑苦しすぎる。
するりと左近の腕から抜け出した三成は、肩を伝って近くにあった棚へと飛び移った。同じくらいの目線になって満足したらしく、その場で腰を落ち着ける。

『人間共が山の方へ来ていたようだが、お前はこちらにいたのだな』

「はい?」

『いや、いいのだ』

機嫌がよさそうに三成の尻尾が左右に揺れた。

『左近、都で最近変わったことはないか』

「変わったこと?いや、特には……」

強いて言うなら湿気がひどくて黴が繁殖しているくらいだが。
ここのところは左近個人に妖退治の依頼が入ることもほとんどなく、都は実に静かで平和だった。
実は三大妖たちが頻繁に都に出入りするようになったため、彼らを怖れて雑鬼たちが悪戯を控えるようになったり、他の妖たちが都に手を出さなくなっていたのだが、それは本人たちの知り及ぶところではなかった。
裏を返せば大妖怪の侵入を許してしまっていることになるので、この事実が露見すれば喜ばれはしないだろう。陰陽寮に至っては面目丸つぶれもいいところだ。世の中、知らないほうが幸せなことも多々ある。
左近は眉を顰めて狐を見やった。

「ということは、そちらで何かあったんですか?」

『ふむ……あったというか、現在進行形というか』

神妙な口ぶりで言った三成は後ろ脚を使って器用に耳の後ろを掻き、一連の騒動を語り始めた。
ねぐらが倒壊した件に関しては事情説明というより完全に愚痴になってはいたが。何にせよ三成とてまだ状況が全くわかっていないので、教えられることはあまりない。

『で、あれだけの風だ。都に何かあればお前たちが事情を知っているかと思ったが……どうやら無駄足だったようだな』

嘆息して前足を組んでその上に頤を乗せる狐の頭を撫でてやりながら、左近は首を傾げた。

「三成さんのねぐらってあの堂でしょう?いくらボロいとはいえ、建物を壊すほどの風となれば……」

『ボロいって言うな』

すらりと言い返した三成は剣呑に目を眇めた。自分が一番よくわかっているが、他人に言われるとやはり若干腹が立つ。
しかし、じと目で睥睨されても左近は全く動じない。

「それじゃ、また別の棲家探さなきゃいけないわけですか」

『まぁ、何でもいいのだがな』

たとえば、稲荷神社に住む神使の狐だった場合。何かしらの要因で神社やその社や、住みついている祠が壊された場合は、文字通り根無しとなってしまう。彼らは仕えている神の力によってこの世に具現しているため、その力がなくなってしまえば姿を維持できなくなり、やがて消えていく。一刻も早く依り付かせてくれる別の神や、空家となっている社などを探さなければならない。
だが三成は天狐だ。誰がいなくとも自分さえ生きていればこの世に在ることができるし、別に家などなくても構わない。個人的に雨風が凌げる場所が欲しくて、たまたまあのオンボロ堂が近くにあったため利用していたというだけの話だ。
川のせせらぎも聞こえて静かだし、わりと気に入っていたので残念といえば残念だが。雨さえ凌げれば木の洞だって一向に構わない。
それを告げると、左近はわかったようなわからないような顔で眉を顰めた。

「なんか結構適当ですねえ」

『妖など大抵そんなものだ』

さて、都の様子を見てこいとは言われたものの特に収穫はなしだ。どうしたものか。それより兼続の方は何か掴んでいるだろうか。幸村の様子も気にかかる。
立ち上がりかけたところで突然体が浮き上がった。何事かと思ったら、左近に抱えられたらしい。
目の高さにまで持ち上げられて何事かと首を傾げていると、左近は人好きのする笑みを浮かべた。

「三成さん、棲家どこでもいいってんなら、俺の邸っていう手もありますよ」

予想の斜め上を行く言葉に、三成は軽く目を見開いて左近を見つめてしまう。目の前の男はいい提案だとばかりに笑っていた。
たしかにどこでもいいとは言ったが、そう来るとは思わなかった。人間にとって式でもない妖が身近にいれば、それこそ毎日穢れに触れているようなもの。しかもそこいらの雑鬼ならともかく、三成は大妖だ。内包する妖気も凄まじい。あまり人間に近寄ったことはなかったのでわからないが、下手をすれば妖気に当てられて体に不調でも来すのではあるまいか。

『いや、それはさすがに……』

「俺も一応術者ですし、三成さんなら得体のしれない輩ってわけでもない。別に問題ないと思うんですよね」

軍属として働くことになったときに、左近は秀吉から一軒邸を与えられていた。最初は一人で住むには広すぎる面積と家人まで与えると言われ、それを断って今の借家に落ち着いているのだが、それでも内裏から近い位置にあってかなり広い。
秀吉の管轄内ではこれより下はないと言われ、せめて家人はいりませんとなんとか断ったという逸話があったりする。秀吉は残念そうだったが。
よって、左近は現在寝に帰るだけにしては広すぎる邸を持て余している。たまに酔い潰れた孫市が夜中に転がり込んできたりするが、狐の一匹くらい住みついたところでどうということはないだろう。
暫く考え込んでいた三成だったが、神妙に頷いた。

『まぁ、最終手段として考えておこう』

帝の御膝元に長居するのは体裁上好ましくないが、万が一のためだ。実を言うと陰陽寮の結界や四神の加護のため、外部からの侵入者である三成にとって都はあまり居心地のいい場所ではない。
それでも納得した様子で左近は一つ頷いた。
不意に、ふたり同時に何かに気付いた様子で視線を巡らせる。左近の肩に飛び移った三成は剣呑に塗込の扉を睨み付けた。
何もしていないのに、扉がかたかたと音を立てて震えている。誰かが扉を開けようとしているのかと思ったが、外に人や妖の気配は無い。

「風……?」

少しして、扉はぴたりと静かになった。だが、人間のそれよりも遥かに鋭い三成の聴覚は嫌な耳鳴りを捕えていた。少しずつ近づいてきたそれが内裏の真上で制止する。
ぞわりと全身の毛を逆立てる狐の身体から仄白い狐火が迸った。

『左近、伏せろ!』

刹那、轟音と共に扉が弾け飛んだ。凄まじい暴風が塗込の中にまで吹き込んできて、周囲にあった書物や重そうな占具までもが巻き上げられる。
あちこちから聞こえる悲鳴は官人たちのものだ。大混乱の最中、三成は内裏の奥の方で、二つほど凄まじい妖気が一瞬だけ顕現したのを感じ取った。
四方から吹き荒れる風は三度目の遭遇だが、相も変わらず法則性は感じられない。咄嗟に三成を抱えてしゃがみ込んだ左近の腕から抜け出し、辺りの様子を窺う。
ばきばきと音を立てているのは今いる建物の屋根だ。風に煽られて捲り上がった屋根板は紙のようにあっさり吹き飛ばされ、瓦があちこちに飛来する。そのうちの一つが目の前に迫ってきたのを見てとり、三成は獣の姿を解いて妖の姿に立ち返った。まっすぐ顔面に飛んできた瓦をこともなげに叩き落とし、兼続から引っこ抜いてきた羽を懐から一枚取り出す。
不可視の壁が織り成され、少しだけ風の力が弱まったように感じる。あくまで一方向からのもののみだが、今は狭い塗込が背後にあるため前方からの風だけを防げれば良い。
吹き荒れる風が多少ましになったところで左近は漸く顔を上げることができた。三成の身体の隙間から、庭先を検非違使の一人が悲鳴を上げながら転がっていくのが見える。

「くっ……!何故俺ばかり三度もこんな目に遭わねばならんのだ……!」

忌々しげに舌打ちする三成の言葉が風に乗って後ろに流れてくる。なるほど、彼が言っていた凄まじい暴風というのはこれか。
建物の屋根を吹き飛ばすなど尋常ではない。三成のねぐらの堂が壊れたと言っていたが、そんなもので済む話ではなかった。ここは内裏である。人々が生活する中では日本一堅固に作ってある建物と言っていい。それが、こんなにあっさりと破壊し尽されるなど。

「左近!何か心当たりはあるか!」

「まったく思いつきません、ねっ…!」

風を防いでいた三成が怒号のように叫んだ瞬間、風は一層強さを増した。姿勢を維持するのがやっとの中、数珠を引き抜いた左近が印を組む。
三成が手にしている天狗の羽は、多少は防壁の役割を果たしてはいる。だが憑代となっているのは三成の狐火だ。本来防御に使うものではない。

「我が身は我にあらじ、神の御盾を翳すものなり!」

霊力の波動が広がり、辺り一帯の空間のみを覆った。途端に風は止むが、防壁の外では未だに吹き荒れている。
ほっと一息ついた三成は荒れ狂う風の彼方を見やる。印を組んだままその視線を追い、左近もやっとのことで立ち上がった。

「妖が起こす風じゃなさそうですな」

この風の中に妖気は感じられない。だが、自然のものではない。やっと落ち着いて気配を探れるようになって初めて気が付いたが、たしかに何かがいる。

「天狗のものとは違い、自然のものでもないとなれば……」

ふつりと、吹き始めた時と同じように唐突に風が止む。ここまでは今までと同じだ。役目を終え、手の中で黒い羽がさらさらと灰のように崩れていく。
天を凝視していた三成は、風の渦の中心にいる精悍な男の顔をたしかに見て取った。





『官兵衛殿!』

飾りものの壺の中からひょっこり顔を出した白い猫が、慌てた様子で室内を駆けまわる。襖は粗方吹き飛ばされ、僅かに残ったものも骨組みがひしゃげてどこからともなく飛んできた木の破片が突き刺さり、見るも無残な姿と化していた。
崩れた本の山から呻き声が聞こえる。すぐさま踵を返した猫の姿は妖のそれへと変わり、半兵衛はうず高く積み上がった書物を退かしはじめた。
十冊ほど放り投げたところで、体調が悪そうな肌色が見えた。

「っ、すまぬ、半兵衛」

「大丈夫?怪我は?」

「ない」

本の山の中から、部屋の主である官兵衛がのそりと起き上がる。目元に剣を滲ませるその表情がいつも以上に不快げな雰囲気を湛えているのを見た半兵衛は、周囲の人間に見られたら妖怪か何かと勘違いされそうだなぁと場違いなことを考えてしまった。
せっかく気分よく昼寝していたら、何かの気配を感じた。気が付いたら官兵衛によって壺の中に押し込まれていて、部屋の隅にあった書棚が倒れてくることには気づいたものの、あまりの暴風で外に出ることすらできず。
官兵衛が怪我でもしたらと戦々恐々だったが、とりあえず安心だ。

「何だったのだ、今の風は」

「わからない。けど、あんな急に……」

掘り起こされたはいいが、埋もれて動けない。どうしたものかと思案していたところで廊下が騒がしくなった。あれだけの風だ、あちこちで大変な被害になっているだろう。
どたどたと大量の沓音が近づいてくるのを感じ、半兵衛は猫の姿を取るとそのまま煙のように姿を消した。

「官兵衛様!突然凄まじい風が……!かっ、官兵衛様?!」

衛士の男は部屋の惨状と、書物に埋もれている官兵衛を見て仰天した。慌てて人手を呼び寄せ、書棚と本を退かす。
なんとか這い出した官兵衛はやっと息を吐いた。まさか内裏の執政室で死を覚悟する日が来ようとは。しかも風で本が崩れてくるというありえない状況で。
いつも以上に機嫌の悪そうな官兵衛の周りで、衛士たちは不安げにその顔色を窺った。

「大丈夫ですか?!御怪我は……」

「ない。それより、各地を回って情報を集めよ。被害状況もだ」

「はっ!」

命令を受け、その場にいた者たちは忙しなく部屋を出て行った。男があちこちに指令を出している声が聞こえてくる。
蔀戸から外を睨む官兵衛の横に半兵衛が再び顕現した。

「ねえ、ほんとに大丈夫?顔色悪いよ?」

「元々このような顔だ」

「知ってるけどさぁ」

小柄な体を利用して官兵衛の身体の隙間から外を見やった半兵衛は愕然とする。
内裏を囲む塀。その屋根瓦は、一枚残らず吹き飛ばされていた。





内裏の中央部を覆っていた防壁がふっと消える。力を収めた光秀はほっと息を吐くと室内へと駆け込んだ。

「信長様!」

部屋の中では控えていたはずの女房たちが震えており、その周辺にはどこからか飛来してきたのであろう色々なものが散らばっている。一見して彼女たちに怪我はなさそうだと判断した光秀は御簾の前に跪いた。
室内の調度品は粗方飛散してしまっていたが、信長の座する場所だけは何事もなかったかのようだ。咄嗟のことだったため、光秀も信長のごく周辺までしか強力な結界を張り巡らせることができなかったが、一応功を奏していたらしい。
御簾越しの信長の影は脇息に凭れかかり、くつろいだものだ。

「何事か」

「原因を調べております。御怪我はございませぬか」

「……ふむ」

光秀の問いには応えず、信長は手にしていた扇を静かに閉ざしてくつくつと笑った。

「精々馬に蹴られぬことだ」

「は……?」

信長の言葉の意図が全くわからず、光秀は怪訝そうな声を上げて首を傾げる。
馬に蹴られるとはどういうことだ。どこぞの恋人同士の逢瀬を邪魔したわけでもあるまいに、一体何のことだろう。
目を白黒させている光秀を後目に、信長は暫く愉快そうに笑い声を響かせていた。


 

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