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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
1
穏やかな昼下がり。梅雨もようやく過ぎて天候も安定し、これから本格的に夏だという平穏極まりないとある一日だったのだが、前田の邸は妙に慌ただしかった。
真剣な眼差しで自室の真ん中に腰を落ち着けた利家が、片方の手で目の前のものを押さえ、もう片方の手で取っ手を掴む。ふう、と一つ息をついてから、全力を以て取っ手を持った方の右腕に力を込めて引っ張った。

「ふんっ…!ぎぎぎぎ…っ!!」

歯を食いしばって歪む表情はどこまでも真剣そのものだが、目の前のものはびくともしない。細かく左右に揺らそうとしても動く気配すらも感じられなかった。
しばらく格闘した後、利家は本体の方を足で押さえる戦法に変更すると、取っ手を両手で持って全体重をかけて引く。だがそれでも全く動かない。
もうこうなったらやけだとばかりに腕まくりをし、一気に引っ張ろうとした瞬間、手が滑って勢いのまま後ろに倒れ込み、盛大な音とともに後頭部を床に強打した。

「いっっっってえええええ!!!!」

悶絶してごろごろと転がっていたら、部屋の外からはらはらしながら見守っていた家人たちが慌てはじめる。
これくらい何でもないといなそうとするも、目の前に火花が散っていてそれどころではない。揃ってわたわたしているところへ、どすどすと廊下を歩いてくる音がした。

「なんでえ叔父御、朝から騒がしいぜ」

欠伸混じりに顔を覗かせたのは慶次だ。こんな刻限になって姿を見せたわりには寝起きのようで、一枚適当に纏っただけの着流しは肌蹴ているし髪もぼさぼさである。
頭を振ってなんとか復活し、涙目ながらも勢いをつけて起き上がった利家は慶次を睨み付けた。

「なぁにが朝からだ!もうお天道様はとっくに天頂昇ってンだよ!……っと言いてえとこだが慶次、ちょうどいいとこに来た」

こっちへ来いと手招きされ、慶次は目を瞬かせながらも大人しく従って利家の横にしゃがみこむ。
床に置かれていたのは櫛笥だった。利家がずっと格闘していた物体である。落ち着いた色合いの木目に花柄の模様が散りばめられていて取っ手にも細やかな装飾があり、見るからに安物ではなさそうだし、男である利家の持ち物とは思えない。
はたと何かに気付いた様子で、慶次は利家の肩を叩くとにまにま笑いながらその顔を覗き込む。

「おいおい、叔父御も隅に置けないねえ。一体どこの姫からの贈り物……」

「違ぇっつの!こりゃまつのだ!」

まつというのは利家の正妻の名である。それを聞いた慶次は明らかに残念そうな表情を浮かべたものの、納得した様子で頷いて腰を下ろした。二人の仲の良さは前田家の人間ならば誰でも知っている。
櫛笥に手を添えた利家は嘆息しながら眉尻を下げた。

「急に開かなくなっちまったらしくてよぉ…俺もやってみたンだが、押しても引いてもちっとも動かねンだ」

「どれ?」

笥を受け取って取っ手を引いてみるが、なるほど動かない。壊してはいけないと最初は力を加減していた慶次だったが、最終的に本気で引っ張っても微動だにしなかった。
一応その辺にいた家人たちにもやらせてみたものの、結果は変わらず。
腕組みをした慶次は眉間に皺を寄せて唸る。

「形が歪んでんのかと思ったが……俺と叔父御が全力で引っ張って壊れねえとこ見るとそういうわけじゃねえらしいな」

「だろ?わけわかンねえぜ」

一応最後の足掻きでもう一度試してみるもやはり開かず、力を入れすぎて真っ赤になってしまった手のひらを見つめて利家は溜息をついた。
昨日の宿直を終え、朝方邸に戻ってきたら妻が深刻かつ物憂げな表情で佇んでいて仰天し、事情を聞いて今に至る。中身を聞くのは無粋なので聞かなかったが、相当大切なものをしまっているようだった。
悲しませるのは本意ではないので、何とかしてやりたいのだが。この様子ではただ壊れただけとは思えない。
隣で何か考え込んでいた風情の慶次が、胡坐をかいた足を叩いて顔を上げた。

「よし、いっちょ陰陽師に視てもらうことにしようぜ」

「はあ?」

いい提案だとばかりに晴れやかな声音だが、利家は思わず怪訝そうに慶次を見やった。何故そこで陰陽師が出てくるのか。
笥を持ち上げた慶次がにっと笑う。

「なんか悪いもんでも憑いちまったのかもしれねえ。俺達じゃ妖退治はできても実体のねえ妖を祓うことはできねえからな。まぁ、念のためだ」

祓魔術は陰陽師などの術者たちの領分で、退治屋たちの仕事とは根本からして異なる。対妖用の武器でこの笥を攻撃したところで壊してしまうだけだろう。それは困るので、慶次の言い分はおおむね正しい。
が。

「でもよ、こんな私事陰陽寮に持ち込ンだって相手にされねえぜ?視てもらおうにも知り合いに陰陽師なんざ……」

途中で言葉を切り、利家は怪訝そうに首を傾げる。見上げた慶次の表情は何かを企んだような笑みに彩られていた。





「ふむ、九十九神じゃな」

「九十九神?」

夕方。あれから幾度となく櫛笥と格闘していた利家だが、結果は惨敗である。昼過ぎに邸を出て行った慶次が先ほど戻ってきて、その傍らには小柄な陰陽師がいた。
陰陽寮の新米、伊達政宗と名乗った彼と慶次がいつの間にそんなに交流を深めていたのかは利家の知り及ぶところではなかったが、腕は確かだということと陰陽生に視てもらえるのならありがたいということで中へと通した。
そして、櫛笥を一目見て彼が放った言葉が先のそれである。
隻眼を細めて櫛笥を矯めつ眇めつしながら、政宗が口を開いた。

「長い年月を経て古くなったり、長生きした生き物には魂が宿る。そうした精霊や神を総じて九十九神と呼ぶんじゃ」

「わ、悪ぃもんなのか?」

利家は焦った様子で不安げに問いかける。もしこのままにしておいて危険なようなものなら早急に始末しなければならないが、これは大切なものなのだ。それは困る。
だが政宗は肩を竦めて首を横に振った。

「安心めされよ、悪しきものではない。九十九神が宿るのは、古きものや長生きした生物のみにあらず。人の強い心が籠もったものにも憑くことがある。これの場合は後者じゃな。よほど大切にされていたんじゃろう」

穏やかな口調に諭され、利家は安心した様子で漸く息を吐いた。
悪いものでないならば、それでいい。それがわかっただけでも十分だ。
だが腕組みをしている慶次は腑に落ちない様子である。

「状況はわかったが、それで何で笥が開かなくなっちまったんだい?」

「この九十九神は笥に込められた強い心に反応しておる。推測じゃが……おそらく、「笥の中身が大切」という想いにな。ゆえに、中身を意地でも守ろうとして頑なに蓋を閉ざしておるのじゃろう。つまりじゃな……」

櫛笥を片手に立ち上がった政宗が襖の所へ歩いていき、すぱんと開け放つ。
何をする気かと見守る二人の目の前で、徐に櫛笥を振りかぶると「ふんっ」という気合の声と共に階の下に思いっきり投下した。

「待て待て待て待てェェェェ!!」

度肝を抜かれた利家が思わず叫び、笥を追って階を駆け下りる。唖然としていた慶次も襖のところへやってきて階下を見下ろした。
があん、と乾いた音を立てて笥が落下し、反動で跳ね上がる。突然響いた大きな物音に家人たちは肩を跳ねさせ、転がって行ったそれを掴んだ利家は凄まじい眼光で政宗を睨み付けた。

「てめえ何してくれやがる!これは大事な…」

「笥をよく見られよ」

続くはずだった言葉を飲み込み、剣呑な表情のまま視線を落とした利家は瞠目した。
壊れるどころか、傷一つついていない。あれだけの音を立てて階から落下し、地面で跳ね返ったはずの木製の笥だというのに。
驚いて目を瞬かせている二人の耳に、政宗の声が届く。

「とまぁこのようにじゃな、今の状態ではその箱にはどうやっても傷一つ付かぬし絶対に開かん。中身も無事じゃ」

当然と言わんばかりの口調だが、証明するにしても他にやり方はないのか。何とも心臓に悪い。
二人の顔にはありありとそう書かれていたが、政宗は気にした様子はない。
慶次は自分よりも頭二つほど低い位置にある顔を見下ろした。

「何とかならねえかい?政宗。叔父御の奥方が大事にしてる物で、大層困ってるんだが」

瞑目した政宗は難しげな表情で腕を組み、首を捻る。

「妖と違って、こういうものは祓うよりは説得する方に近いのでな……」

頼んで出て行ってくれるのなら話は早いが、ここまで頑ななところを見ると一筋縄ではいかないだろう。
それに、神とは名がつくもののどちらかといえば精霊に近い存在である。声を聴くためには同調しなければならないが、こういった存在があやふやすぎるものに同調するのは危険なのだ。
それを聞いた慶次も顎に手をやって考え込む。

「しかしなあ……妖と対話ができて、しかもこんな私情に付き合ってくれる術者なんざ……」

そこで二人は同時にはたと気づき、ぽんと手を打つ。
いるではないか、適任が。人間では難しい。ならば人ならざる者に頼めばいいのだ。
顔を見合わせて頷く二人の眼下では、相変わらず利家が心配そうに櫛笥に傷がないか眺めまわしていた。





****





「で、結局貴様はこちらへ来るつもりなのか?」

『予定ではな』

川面を見つめた三成が神妙な顔で頷く。彼の周りには森の小動物たちが集まっていて、その視線の先を興味深そうに覗き込んでいた。
緩やかに流れている川の一角が鏡のように透き通り、その奥には先の一件で相対した水虎、清正の姿がある。
今は遠い大陸に戻っている彼は、水鏡を通して三成と連絡を取っていた。用件はというと、これから暫く日本に滞在しようかと思っているのだという。成り行きかつ清正のせいではないとはいえ、恩人である秀吉の心に深い傷をつけてしまったような気がしていた彼はなんとなく落ち着かず、できることがあるなら力になってやりたいのだそうだ。
ちなみに三成が左近から聞いた限りでは、秀吉はあの一件以来も普通に仕事には復帰していたし、元々女に関する浮いた話には事欠かない男らしいので、清正が思っているほどの重症ではなさそうである。だが、本人がそうしたいのならば止める道理もない。
水鏡に関しては以前、元親が同じような方法を使って連絡を取ってきたことがあったため大して驚きもせずに受け入れた三成は、八百万の神が存在し百鬼夜行が蠢く日本に一匹くらい外つ国の妖が増えたところで誰も驚かぬしそもそも気づかんだろうとあっさり言いきった。
一応術者には気をつけて、都には手を出すなと釘を刺すことは忘れずに。
それにしても、と、三成は物言いたげな目で水鏡を見やる。視線に気付いた清正は目を眇めた。

『……何だその目は』

「いや?お前がそんなに義理堅い性格だとは思わなかったのでな」

妖たちには妖たちなりの矜持があり、また仁義もある。恩があれば相手が人間であろうと何であろうと必ず借りは返すのが常だ。
それを含めたとしても、清正のようにたかが足の怪我一つでここまで入れ込むのは珍しい。第一、先の件で一応秀吉への義理立てはしたはずなのだ。結果はどうあれ、あれだけ尽力したのだから。
わざわざ海を渡ってきて、この国に居座ろうかと考えるほどのことはないように思える。
三成の言いたいことを察したのか、清正はふいと視線を逸らすと少し考えてからもごもごと口の中で言い訳めいたものを呟いた。

「おい、聞こえんぞ」

『その…三成、秀吉様の奥方様を知ってるか?』

「は?」

思わぬ言葉に胡乱げな声を上げる。何故この流れで左大臣秀吉の北の方が出てくるのだ。
というか、浮名を流しているわりにちゃんと正妻はいたのか、あの男。

「その秀吉様とやらもよく知らんのだから北なんぞ知るわけなかろう」

にべもない答えに、最初から期待していなかったらしい清正はだよなとだけ言ってがくりと肩を落とした。
以前よりは人間たちに興味を示すようになった三成だが、それはあくまで関わったことのある親しい者に関してだけだ。その周辺や内裏の身分関係などにはとんと疎いし、これから興味を持つこともないだろう。
何やら言い澱んでいる清正に焦れて、三成はじとっと水鏡を睨む。若干清正の頬に紅が差しているのは何故だろう。

『おねね様と仰るんだが……秀吉様とは仲睦まじく、その、お、お美しくてだな…出して下さった料理も美味くて……妖相手でも物怖じしない、お優しい方だ』

ここまで言われれば他人の機微に疎い三成でもさすがに気づく。
据わった目で清正を見やり、腕組みをした。

「つまり絆されたわけか。存外単純だなお前は」

『絆されたって言うな!あくまで俺は命を救われた礼がしたいだけで…おい、三成!聞いてんのか!』

がなり立てる清正の声は耳を伏せて遮断し、尻尾の毛繕いをする。なるほどなるほど、妙に執着していたのはこんな理由があったわけか。
人間に懸想する気持ちなど全く理解はできないが、まぁ本人がいいなら別に構わないだろう。間違いさえ起こさなければ。
暫く何か叫んでいた清正だったが、言い訳しても無駄だと判断したのか赤い顔を隠すようにごほんと一つ咳払いをして話題を逸らす。

『そういや……兼続、だっけ。あの鴉天狗。結構抉った感覚あったけどあれから大丈夫だったか?』

「……ああ」

主である政宗を庇って、兼続が清正の斬撃を受け九死に一生を得たことは記憶に新しい。彼ほど強大な力を持つ妖があそこまで追い詰められることは今までになかったため、さすがの三成も血の気が引いた。
あのときは三成の分まで幸村が激昂していたので冷静さを保ってはいたが、去り際に政宗に捨て台詞を残したのは多少大人げなかったというか、やはり冷静だったのは表面上だけで相当動揺していたのだろうなと今になって思う。
幸村も兼続も三成にとっては大切な友だ。それを失いかけたのだから、当然と言えば当然の反応である。兼続に言うと確実に調子に乗るので、絶対に言わないが。
毛繕いの手を止めて渋い顔をしている狐に何か勘違いした様子で、清正はばつの悪い表情を浮かべた。

『事情があったとはいえ、悪ぃことしたなとは思ってんだ。機会があったら謝っといてくれ』

「そんなもの、貴様がこちらへ来て直接謝ればいいだけの話であろう。俺に押し付けるな」

『……それもそうだな』

水面を突こうと手を出した鼬をひょいと抱き上げて撫でてやると、清正も水鏡の向こうで立ち上がった気配がした。

『まぁ、できるだけ早く出向こうと思ってる。着いたらまた……』

そのとき、続くはずだった清正の声を遮るようにして、突如として突風が吹き荒れた。
三成の獣の耳がぴんと立ち上がり、仰天した動物たちがその影に隠れようとする。川が荒く波立ち、水飛沫まで飛んできた。なんとかそれを防いだ三成だったが、立っていられないほどの突風に思わず膝をつく。
足元にいる動物たちに逃げろと目で合図すると、悟った彼らは早々に駆けだして方々に散っていった。足を縺れさせてころころと転がっていくものも一匹や二匹ではない。
吹き荒れる風の中でなんとか姿勢を保っていた三成だったが、瞬間的に凄まじい風が吹き抜けて着物を煽られ、そのまま背後に吹き飛ばされる。

「うわっ?!」

咄嗟に木の幹を掴んで着地することに成功したが、それと同時にばきばきと凄まじい轟音が響いた。
何事かと視線を走らせれば、三成がいつも寝床にしている堂の支柱が折れ、無残にも崩れゆく姿が目に入る。元々古かったのだが、そういう問題ではなかった。
この時期なので台風が来てもおかしくはないが、こんなに天気が良いのに風だけ吹き荒れるなど不自然だ。

「これはっ…!」

『三成…?おい、どうした!』

水鏡の向こうでもさすがに異変に気付いたようで、清正の声がここまで聞こえてくる。だがこの向かい風の中ではいくら叫んだところで彼のところまで声は届くまい。
なんとか意識を集中して防御の障壁を築いた途端、風は嘘のようにぴたりと止んだ。ぱらぱらと落ち葉が散る音が虚しく響き、見る影もなく潰れた堂からは何かが転がり落ちる音が聞こえてきている。荒れていた水面はすぐにいつも通りの静けさを取り戻していた。
障壁を消し去った三成は警戒心を露わにして辺りを見回す。
今のは明らかに自然の風ではない。だがおかしな気配は感じなかった。一体何事か。
そう思った途端、今度は上空に暗雲が渦巻き始め、晴れ渡っていた空を真っ黒に覆ってしまう。地鳴りのように響き始めた雷鳴が、突如として鳴神となって三成の目の前に落下した。

「っ!!」

ぎりぎりのところで再び障壁を築いてなんとか直撃は免れる。凄まじい閃光で視界が白く塗りつぶされ、轟音だけがやけに耳に響いた。
何度か周囲に雷を落とすと、雷雲も先ほどの風と同じように唐突に引いて行く。
びきっと三成の額に青筋が浮かんだ。人間の術者たちが行う雷神召喚ではなかった。となれば、あれほどの暴風を操り雷雲を呼べる妖など彼の知る中ではひとりしかいない。
水鏡の位置を変えた清正は、三成のすぐ横あたりの水面から顔を覗かせた。

『おい三成、大丈夫か?なんだ今の……』

心配しただけなのに、虫の居所が悪かったらしく凄まじい目で睨まれる。思わず怯んだ清正など意に介さず、三成は再び晴れ渡った空を見上げて怒号した。

「兼続貴様何のつもりだ!!」

怒声と共に跳躍した三成の姿はあっという間に消えていく。取り残された清正は唖然とした。一体何だと言うのだ。
避難していたはずの獣たちが三成の激昂に驚きつつも戻ってきて、清正のいる水面を覗き込んだ。一体何があったのかという顔をしているが、残念ながら清正にもわからない。

『……まぁ、あれだ。そっち着いたらまた知らせるとあいつに言っといてくれ』

ちょうど目の前にいた子狐が首を傾げているが、まぁ伝わらなくても大して問題はない。ひとの話を最後まで聞かない三成が悪いのだ。
そう結論付けると、清正の姿は水鏡と共に水面に溶けるようにして掻き消えた。

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あきゅろす。
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