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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
10

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「慶次様!」

都に足を踏み入れた途端、検非違使の青年が焦った様子で駆け寄ってくる。息を切らせている様子を見ると、どうやら都にいなかった慶次をずっと探していたようだ。
膝に手を置いてぜいぜいと喘鳴を零しながらも、青年は気丈に顔を上げた。

「桂川が、氾濫しかかっていて…!土嚢を積まなければ危険です!都にいる軍属の者にはほぼ声はかけましたが、まだ人手が足りなくて」

半ば叫ぶように言った青年は再び息を整えるべく頭を垂れた。胸の辺りを押さえながら、片目を眇めて隣にいた左近を見上げる。

「左近殿も、応援をお願いします!孫市殿が采配を取ってくださっていますが、このままでは…!」

おねがいしますと何度も繰り返す青年の背を労わるようにしてやり、左近は慶次に目配せして頷いた。
慶次は背負っていた政宗をその場に下ろすと、目の前で一つ拍手を打つ。
心ここに非ずといった様子だった政宗はそこで我に返ったように肩を跳ねさせ、軽く目を見開いた。

「政宗、あんたは帰りな。ちっと休んだほうがいい」

「え…」

話を聞くどころではなかったようで、政宗は意味がわからないとでも言いたげに怪訝そうな声を漏らした。
だがことは一刻を争う。言い訳ならば後でいくらでもできるだろうと、茫然としている政宗を置いて三人は駆けだした。
角を曲がるとあっという間に姿が見えなくなる。ざあざあと降り続く雨の音だけが耳に響き続けていた。
政宗は近くにあった邸の塀に凭れ掛かり、そのままずるずると腰を下ろす。衣も被いていないし、何よりさきほどの水虎との戦闘で大量の水をかぶってしまったので、もはや濡れ鼠では済まないような状態だ。雨に晒されていようがいまいが関係ないだろう。
かくりと頭を垂れれば、紺の狩衣の肩の辺りにどす黒い染みができていることに気付く。雨でだいぶ滲んでいるが、それは間違いなく天狗が己を庇った際に飛んできた返り血だった。
そんなことを思い出した途端、全身を凄まじい悪寒が襲う。色々なことが重なって麻痺していた感覚が戻ってきて、今になって体が悲鳴を上げ始めた。二の腕を抱き込むようにして擦っても全く効果はなく、奥歯もかみ合わなくなってがちがちと音を立てる。
冬の入りに冷水を浴び続けていれば体温が下がるのは当たり前なのだが、この震えはそれだけが原因ではない。
あの水虎は、本気だった。あのとき兼続が庇ってくれなければ政宗にあの刃を避ける術などなく、あの場で命を奪われていただろう。死をあそこまで近くに感じたのは、これまでの人生で初めてだった。初めて、妖を相手に恐怖し、存在を畏れた。陰陽師としてはあるまじきことだ。
妖と対峙するとき、術を行使するとき、陰陽師は常に己の命を賭している。帝のため、または依頼をしてきた者のために呪詛を行い、ひとを殺すこともある。術が失敗して己に撥ね返れば、待つのは死だ。そうならないために、日々修行と勉学を欠かさないのである。
だが、今日は圧倒的な力に完全に呑まれていた。水虎が飛び掛かってくるのが一拍早かったらと思うとぞっとする。これでは今までの修行がなんだったのかわかったものではない。急に遭遇したからとか、不意打ちだったからとかそんなものは言い訳に過ぎないし、そのための心構えをしていなかった己が悪いとしか言えない。自業自得というものだ。
他人事のようにそう考えて、政宗は徐に顔を上げると曇天の空を見上げた。
否、そうではない。本当は、一番恐ろしいのはそんなことではない。こんなどうでもいい思考が頭を埋め尽くして離れないのは、本当に恐ろしい現実から目を逸らしたいがゆえの逃げだ。
泣きそうに顔を歪め、両手で頭を抱え込んだ。

「兼続…!」

血の気を無くした面差しと、溢れ続ける鮮血が瞼の裏から離れない。
鬼と狐に連れて行かれたあとのことは、政宗にはわからなかった。命が繋ぎとめられたのかどうかさえ。式が死ぬと、主にも何かしらの兆候があるのだろうか。それとも、何事もなかったかのように存在だけが消えてしまうのだろうか。
政宗に槍を向けた鬼の目は、かつてないほど怒りに満ちていた。彼が内裏再建を手伝っていたことは知っているし、何度か内裏で会ったこともある。三大妖の中で、一番穏やかな性情を持っているのは幸村のはずだった。そっけない態度を取り続ける狐と天狗を差し置いて、話しかけてくれたことを覚えている。温和な笑みと柔らかい物腰はそれまでの想像の中にいた鬼とはあまりにかけ離れていて、ついでに現実で出会ったどの鬼とも合致せず、毒気を抜かれてしまったことも記憶に新しい。
しかし、先ほど見た怒りと焦燥に彩られた形相はまさしく鬼のそれであった。まさか、あの狐が仲裁に入ってくれるとは思わなかったが。
言葉は選んでいたようだったが、瞳がありありと語っていた。仲間を傷つけた人間を許さない、と。それは三成も同じだ。あのふたりはきっと、政宗と兼続の主従としての均衡がとても危うく脆いものだと知っていたのだろう。それをずっと心配していたのに、一番起こってほしくなかったであろう事態に陥ってしまった。否、陥らせてしまった、というのが正しい。
かたかたと震える両手を見つめた政宗は、ぎりっと奥歯を噛み締めて握り拳を作り、力任せに地面を叩いた。泥の飛沫が顔に飛んでくるが意にも介さず、震えを止めようと何度も叩く。
兼続を式にと望んだのは、力の誇示のためではない。その強大な力で己が身を守ってもらうためでもない。
幼い頃にひとりぼっちだった己に寄り添ってくれた、優しい妖。約束をしたから、強い術者になろうと決めた。そのために奮戦する今の自分の、成長した姿を見てほしかった。――願わくば友として、隣にいてほしかった。昔のように。
あのとき庭に蹲り、不安だらけな心の拠り所を求め、唯一と言っていい友であった烏に縋るしかできなかった幼子はもういないのだと、そう伝えたかったのに。

「わしは…!」

何度も地を叩いた拳は血が滲み、しかも泥だらけでひどい状態になっている。
惨めだった。妖たちに弾劾されて、内容はどれも事実だったから言い返すこともできず。力が足りない己をいくら責めてももう遅い。今政宗にできるのは、式の命が助かるのを願うことくらいだ。
加持祈祷や平癒祈願の術も、存在する。妖相手にそんなものが効くのかはわからないが、やらずに後悔するよりはやって後悔した方がましだ。
懐から符を取り出そうとした瞬間、脳裏に響く声があった。

――……様…

女性の声、のような気がする。か細くて何を言っているのかはわからないし、聞こえたように思ったのは本当に一瞬で、すぐに遠ざかってしまった。意識を集中して耳を澄ましても、それ以上は何も聞こえない。
だが、間違いなく聞こえた。何だろう。
辺りを見回してみるが、こんな土砂降りの雨の中外出する物好きなどいるわけもない。しかも女など。そしてうるさいほどの雨音の中、あんなか細い声がいやにはっきり聞こえるというのは不自然だ。
随分と、悲しそうな声だった。行き場を無くした迷い子の不安げな表情を髣髴とさせるような。
深く溜息をつき、政宗はのろのろと腰を上げた。こんな精神状態では術など行使しても逆効果になってしまいそうだ。
慶次が言ってくれたように、一度休もう。それくらいで気が楽になるわけではないが、参ってしまっては元も子もない。
とぼとぼと力ない足取りで、政宗は朱雀大路を歩き出す。その際、少しだけ雨足が弱まったことには気づかなかった。




****




『官兵衛殿』

声と共に軽い音が響いて、隣に猫又が姿を見せる。官兵衛は衛士たちに指示を出し終えて部屋に戻ってきたところだった。

「様子はどうだ」

『微妙って感じ。人手増えたからすぐに決壊はしやしないだろうけど、この調子で降り続いたらあんまり持たないかも』

二人が交わす会話は、桂川のことだ。官兵衛が仕事を終えて退出しようとした間際、桂川氾濫の危険ありという報告が上がってきてそのまま内裏に詰めることになってしまっている。
官兵衛は内裏で上への報告と現場への指示を行っていたために離れることができず、代わりに半兵衛が様子を探っては逐一報告しに来ていた。人間の足よりだいぶ早いので、現状把握に大変役立っている。
険しい表情のまま、官兵衛は猫又の頭を一つ撫でた。

「ご苦労。状況が変わったらすぐに報告しろ」

『了解したよ』

ごろごろと喉を鳴らしていた半兵衛はそのまま霧のように掻き消えた。再び川へ向かったようだ。
状況は芳しくない。実によろしくない。昼間の陰陽寮の祈祷は残念ながら功を奏さなかったようで、今のところ雨足は弱まるどころか少しずつ強くなっているような気さえする。
上がってくる報告も人手が足りないだとか土嚢も足りないだとかとにかく切羽詰まっている様子で、この調子では今日中に自邸に帰るのは諦めたほうがよさそうだ。
ともあれ、まずは秀吉に報告をしなければならない。
回廊に出てみれば、この騒ぎで慌ただしいのは官兵衛だけではなかったようで、忙しない足取りで行き来する官人たちと擦れ違った。蔵人頭である官兵衛に気付くと、皆が一様に頭を下げていく。それに軽い会釈で返しながら進んでいたとき、ふと違和感を覚えた。
怪訝そうに目を眇めた官兵衛がある一点を見やる。その方向にあるのは、目指す秀吉の執務室だ。
かなり強い見鬼である官兵衛でも、相当集中して探らないとわからないくらいの幽かな気配がある。違和感を覚えたことにも驚くくらいだ。悪しきものの気配というわけではないが、少なくとも人間ではない。今までに感じたことのないものだった。
険しい表情のまま歩を進めると、秀吉の部屋に到着する直前でその気配が消えてしまう。思わず足を止めて辺りを見渡したが、何もなさそうだ。
何もないならいいではないかと思わないでもないが、妙に気になる。半兵衛を川の方へ行かせてしまったのは失敗だったと内心で舌打ちした。人間にはわからなくても、妖である彼ならば何かわかったかもしれない。
溜息を押し殺して秀吉の部屋の前に立ち、静かに頭を下げる。

「失礼致します、秀吉様」

事務的に声を掛ければ、中から少しだけ慌ただしい物音がして、静まった頃に入るようにと声がかかる。襖を開けて秀吉の前まで進み出ると、深く頭を下げた。

「桂川の件、状況は芳しくありません。この調子では長くは持たぬかと」

「そうか……すまんのう官兵衛、お前まで詰めることになっちまって」

申し訳なさそうに眉尻を下げる秀吉に、官兵衛は首を横に振った。
都の大事に出向できぬ官吏など役に立たない。現場で仕事をしておらずとも、内裏にいてやらなければならないことは山積みだ。この状況で第一線にいられるということは、上からの信頼の証である。
少し前に半兵衛から「偉くなると仕事が増えるなんて、人間って変だね」と呆れられたことを思い出し、一瞬だけ口元を歪めた。顔は伏せているため、その表情の変化は秀吉にはわからない。
腕組みをして眉間に皺を寄せた秀吉は、手にしていた扇で己の膝を軽く叩いた。

「とりあえず、できる限りのことをするしかねえ。主上からも使える人手は全部使っていいっちゅうお許しが出た。家康殿も人を動かしてくださる。直轄軍でも遠慮なく使え。何としても氾濫だけは止めにゃあならん」

「御意」

妙案がないことを悔やんでいるのか、秀吉の表情は心の底から現状を案じているそれだ。本当なら自分も出向いてしまいたいくらいなのを押し殺している。左大臣は強い権力を持っている立場の人間だが、こういうときだけは焦れったくてしょうがない。
こういうところが、秀吉の周りに人が集まる所以なのだろうな、と官兵衛は思う。口には出さないが。
退室しようとして、ふと先ほどの気配のことを思い出した。
はて、秀吉には見鬼の才はなかったと記憶しているが、果たして。

「――秀吉様、最近何か、変わったことは御座いませぬか」

その途端、秀吉の肩が僅かに跳ねた。薄暗闇の中であったし、本当に僅かだったから普通ならば気づかなかったであろう。
だが、それがわからないようでは秀吉の右腕などやってはいられない。
数拍の鼓動を数えたところで、秀吉はいつもの人好きのする笑みを官兵衛に向けた。

「なんじゃあ?わし本人の心配をしてくれるなんぞ珍しいのう、官兵衛。気持ちは嬉しいが、特に何も起こっとりゃせんで」

快活に笑う秀吉からは、先ほどの一瞬の動揺は見受けられない。言い切られてしまえば、追求する術は官兵衛には無かった。
一礼した官兵衛が部屋を出て行き、その足音が完全に遠ざかる。そこで秀吉は深々と息を吐き出した。ずるずると脇息に凭れかかり、口元に苦笑を浮かべる。

「やれやれ…さすがに鋭いのう、官兵衛の奴」

秀吉をあそこまで看破してくる人間は内裏には存在しない。彼が自分の側にいてくれて本当によかったと思わずにはいられなかった。
そのとき、半開きになっていた蔀戸から滑り込むようにして気配が隣に現れる。ちらりと視線を巡らせ、秀吉は表情を引き締めた。

「どうじゃ、清正」

霧のようにぼんやりとした影の中から、たくましい体躯の男が顕現する。
その姿は先ほど政宗たちが対峙した水虎のものだった。両目を伏せた水虎は静かに首を垂れる。

「今日も収穫はありませんでした。申し訳ありません」

一つ嘆息し、秀吉はそうかとだけ返すと額に手を当てた。
もう少しだけ、時間が欲しい。雨を止めるための時間が。それまで、なんとか桂川の氾濫を押さえなければ。
水虎――清正は少し考える風情を見せてから徐に口を開く。

「それと、妙な連中に姿を見られました。人間二人と、妖が三匹。一匹は手傷を負わせましたが、残りは取り逃がしました」

淡々と告げられた言葉に瞠目し、秀吉は思わず清正を見やった。なんということをしてくれたのかとでも言いたげな表情を、水虎は挑戦的な視線で見返す。

「秀吉様に繋がりそうな証拠は残しておりませんので、ご安心を。人間のうち一人は最初に狙っていた術者です。俺はあれを追いますので、そろそろ失礼」

言い終えるが早いか、清正の姿がふっと掻き消えるとそのまま入ってきた蔀戸から外へと出ていく。
何度目かわからなくなった溜息を零し、秀吉は手元の扇をはらりと開くと瞳に剣呑な光を滲ませた。



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