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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
8

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人界から隔絶された異界に降り立ち、三成は辺りを見回した。
ここは人界と同じ時空を持ちながら、山や川などは一切なくどこまでも荒涼とした大地が広がっている。
障害物がない分移動がしやすいから、幸村はこちらを通っているはずだ。
少し探れば、案の定慣れた妖気があちこちに残っている。
地を蹴った三成がその妖気を辿って行けば、思いのほか早く鬼に追いつくことができて驚いた。

「幸村、まだこんなところにいたのか」

横に並びながらそう声をかける。
空を駆ける兼続ほどではないにしろ、幸村の神速は三成よりもかなり早い。後から追いかけた三成が追いつけるはずがないのだが。
僅かに瞠目した幸村は、次いで表情を歪める。

「あまり動かしては、兼続殿のお身体に障るかと…」

そう言った幸村の声は今まで聞いたことがないくらい不安に彩られている。
なるほどと三成は頷いた。幸村の気持ちもわかるが、そうも言っていられない。

「だが、もう少し急いだ方がいい。命の方が持たんぞ」

息を呑んだ幸村が兼続を見下ろす。
深い傷からは未だに鮮血が溢れ続けていて、この短時間でもどんどん体温が下がっているような気がした。三成の言葉は的を射ている。
先導するように三成が速度を上げ、先を走り出した。

「…兼続殿、申し訳ありません。暫し、ご辛抱を」

答える声はない。当たり前だ。生死の境を彷徨っている者にそんな力が残っているわけがない。
鬼は、生と死を司る妖である。いわば彼岸と此岸の境界の番人のようなものだ。禁忌ではあるが、この世に生きる者であればその魂を川を渡らせることなく留まらせることもできる。
だが、妖であれば話は違う。彼らの生きる場所は此岸でも彼岸でもない。妖たちは、妖たちの死には関われないのだ。三成も幸村も、同胞の命を繋ぎとめる術は持ち合わせていない。
だから、この命の灯が消える前に辿り着かなければならなかった。

『どうか…!』

瞑目していた幸村は意を決して顔を上げると、遠ざかって行った三成に追いつくべく速度を上げた。




****




文机に向かっていた光秀は、音もなく開いた障子に気付いて肩越しに振り向いた。
声もかけずに光秀の部屋に入って来るような人間は内裏にはいない。障子の傍に立っているのは娘であるガラシャだった。

「どうしました?」

返事はなく、ガラシャはゆっくりと顔を上げる。その双眸が穏やかな青海を湛えているのを見て、光秀は思わず目を見開いた。

「これは、元親殿…!」

「邪魔をするぞ」

発される声はガラシャのものだが、ゆったりとした重々しい口調は彼女らしくない。音もなく傍に歩み寄ってきた娘を見上げ、光秀も筆を置いて向き直った。
ガラシャは光秀と人間との間に生まれた半妖の娘である。齢は百ほどになるのだが、見た目はまだあどけない少女だ。関わったものに違和感を持たれ、半妖であることが知れると厄介なことになると思った光秀がそれはそれは大切に育てたため、少々世間知らずなきらいがある。
昔馴染みである元親がその霊力を気に入り、内裏に用があるときはその体を憑代として現れるのだ。

「お久しぶりですね。何かありましたか?」

「用がなくては、来てはいけないか?」

「あ、いえ、そんなことは」

慌てて光秀は首を横に振った。
何しろ元親は気まぐれなため、何の前触れもなしに突然現れて一週間くらい周囲をふらふらしていたり、ともすれば五十年くらい行方知れずになったりと忙しないのだ。
光秀が内裏に出仕をするようになってからは、行方不明になることはほとんどなくなったが。どうやら心配してくれているらしく、都の近くにはいるようなのだ。
今回の憑依は二年ぶりくらいだろうか。最近にしては長い不在だった。まさかどこかで野垂れ死んでいるのではなかろうかとはらはらしていたのだが、大妖である蛟はそうそう害されたりはしない。
ガラシャに憑依した元親がくすりと笑みを零す。普段は屈託のない笑みを浮かべる面差しがかなり大人びて見えるのは気のせいではない。
膝を突き合わせるようにして座り、改めて口火を切った。

「お前の言うとおり、久しぶりだからな。少し顔を見に来たのだが、変わらぬようで何よりだ」

「元親殿も、お変わりなく」

内裏で鉄面皮と謳われる光秀の表情が、柔らかな笑みを作った。
人間たちの醜い感情が溢れている内裏にいるとどうも気が滅入りがちで、下手に付け入られぬようにと無表情を装うことも多い。このように笑ったのは久しぶりのような気がする。
そこまでしてここにいるのは、今の帝に大変興味があるからなのだが。

「桂川で、人の子が何やら騒いでいるようだ」

「……ええ」

光秀は少し表情を険しくして頷く。
堤防が決壊しかかっている、という報告は勿論届いていた。できる限り人員を割いて補修作業に当たらせているが、今のような調子で雨が降り続けば長くは持たないだろう。
元々増水気味ではあったのだ。小雨だからと放っておいたが、ここにきて追い打ちをかけるかのような土砂降りはさすがに予想外の事態だった。

「雨を止めることはできませんか」

水神の眷属である蛟ならば、それくらいのことはできるはず。
そう言外に言うと、元親は静かに首を横に振る。

「天意にそぐわぬ雨は神でも止められぬ。俺にはどうすることもできんな」

「この雨は、自然のものではないと?」

元親が重々しく頷く。それは光秀には初耳だった。陰陽寮の占にも、そのような気は出ていなかったのだが。
しかし、水神にも止められない雨とはいったい何なのか。光秀にもその正体は掴めていない。これを人間の術者に見定めよというのは、少々酷な話かもしれなかった。
だが、と元親が続ける。

「悪しきものの降らせる雨、というわけではない」

雨には様々なものがある。自然のものならいいが、地上に邪気を満たすようなものや、瘴気の雨なども存在するのだ。それらは人の心に影を作り、地上を埋め尽くしていく。
陰陽師のような術者が何らかの儀式によってもたらすこともあれば、ひとの怨念が積もり積もって自然的に発生することもある。黄泉の住人たちが降らせるもの、悪神となってしまった水神の仕業など、原因は様々だ。
今都に降っている雨は、そういうものではない。むしろ少し清冽すぎるくらいだった。それも原因に辿り着けない一因なのだが。
しかし、悪いものではないとはいえ現在桂川が氾濫しかけていることを思えば、もう立派な災害である。なのだが、今回に関しては何故か帝の腰が重く、なかなか策を講じるべく動いてくれない。
こればかりは光秀も少し頭が痛かった。帝の命が無ければ、下の者も本格的に動き出せないのだ。
不意に、目の前に光が生じて三味線が現れた。細い指が棹を掴み、足に乗せる。元親が持つと普通なのだが、今はガラシャの身体なので妙に大きく見えた。
右手に顕現させた撥を、元親は得意げに掲げて見せる。

「新調したのだ。俺の魂に凄絶に語りかけてきたのでな」

失礼、と断りを入れて受け取って眺めると、象牙の握りの先には青い水晶のような石で開きが作られていて、所々に細かな意匠が施されているのがわかった。
光秀は元親ほど三味線への造詣は深くないが、見ているだけでも目を楽しませてくれるそれはかなりの業物だということくらいはわかる。

「美しいですね」

「人の子の手によるものだが、なかなかだろう」

満足げに笑った元親が軽く三味線で曲を奏で始めた。瞑目して聞き入る光秀を見やって、元親が嘆息する。

「ここへ来る前別の所にも寄ったのだが、耳障りだと追い返されてしまってな」

光秀は驚いて目を開けた。
元親の三味線の腕は天下一品だ。天界にもこれほどの弾き手はそういない。それを耳障りとは、よほど造詣が深いかよほど興味がないかのどちらかだろう。誰だか知らないが勿体ない事をするものがいたものだ。

「それはまた、随分と不躾な…」

「何、あれはそういう性分だからな」

気分を害した様子もなく、むしろ面白そうにくつくつと喉の奥で笑った元親は、曲調を少し緩やかなものへと変えた。その頃遠い異界の地では三成が盛大なくしゃみを一つしていたのだが、ふたりがそんなことを知る由もない。
一通り曲を聞かせて満足したのか、元親は三味線を収めると徐に立ち上がった。

「…止まぬ雨か。上等。雨を止める努力はしてみる。またいずれ会おう」

「あ、元親殿!」

引き止める光秀の声も聞かず、清冽な妖気がガラシャの身体から抜け出ていく。力が抜けてぐらりと傾いだ体を慌てて受け止めると、ううんと声を上げたガラシャは眠そうに目を擦った。

「む…?ちちうえ…?」

ゆっくりと開いた瞼の奥で瞳が焦点を結び、はっとしたガラシャは慌てて起き上がる。

「わ、わらわはお勉強をしていたのじゃ!決して眠ってなど…あれ?」

今いる場所がいつもの自分の部屋でないことに気付いたのか、頭上に疑問符を浮かべて部屋を見回す。
たしか、自分の部屋で書物を読んでいたはずなのだ。いつの間にこんなところに。
光秀は笑いを押し殺して額を押さえた。

「元親殿が来ていたのですよ。たった今お帰りになりました」

「元親殿が?!」

一瞬大きな瞳が輝くが、直後にしゅんと肩を落として唇を尖らせる。どうしたのかと目を瞬かせると、ガラシャは深いため息をついた。

「一言声をかけてくれたらよかったのに…何もお話できなかったのじゃ」

元親はここにいないときはあちこちを放浪しているとかで、憑代であるガラシャによく旅先での話を聞かせてやっているのだ。
箱入り娘の彼女にとっては耳にすること全てが新鮮で、面白くて仕方がないらしい。次から次へと話をせがむので光秀が止めたこともしばしばだ。元親は笑いながらいくらでも付き合ってくれるのだが。
その辺は世間のことを何も教えず育てた光秀にも責任はあるので、少し反省はしている。
視線を落としていたガラシャが、突然あっと嬉しそうな声を上げた。

「どうしました?」

「新しい飾り紐なのじゃ!」

そう言って、ガラシャは嬉しそうにその場でくるりと回転して見せる。
装飾品の多い腰帯の中に、見覚えのない紐が一つあった。どうやら元親が手土産に置いていったらしい。彼女の持つ装身具は大体が元親からの贈り物なのだが、貰うたびにそれはそれは喜んで大切にしている。
飾り紐を色々な角度から眺めて楽しんでいたガラシャだが、ふと表情を曇らせた。

「むう、お土産までもらってしまったというのに、お礼も言えなんだとは……しょんぼりなのじゃ」

心底落ち込んでいるようで、くるくるとよく変わる表情が沈鬱なもので止まってしまう。
光秀は少し考えてから、そっと娘の肩に手を添えた。

「今度、市へ行って、一緒に元親殿へのお返しの品を探しましょうか」

人間たちが出している店に元親が気に入るような品があるとは期待していないが、先ほどの撥も人間の手によるものだと言っていたから掘り出し物があるかもしれない。ガラシャにとってもいい気分転換になるだろうと思っての提案だった。
それに、贈り物というのは品物よりも一生懸命選んだという気持ちが大切なのである。
きょとんとしていたガラシャの表情がみるみる明るくなり、がばっと光秀に抱き着いた。突然のことに、狼狽した声が上がる。

「こ、こら!はしたないですよ!」

「父上とお出かけなのじゃ!嬉しいのじゃ!」

心の底から嬉しそうな声音と思いがけない言葉に、引きはがそうとした腕がぴたりと止まってしまった。
元親への礼ができることへの喜びかと思っていたのに、第一声がそう来るとは思わなかったのだ。とはいえ、可愛い娘にそんなことを言われて嬉しくない父親がどこの世界にいるだろう。
内裏へ出仕しているせいで、普段は一緒にいてやることはできない。寂しい思いをさせている自覚はあるのだ。妖たちには無尽蔵の時間があるのだからと思ってしまうが、そういう問題ではない。これくらいで娘の笑顔が見られるなら安いものだ。
普段の己の所業を少し反省し、光秀は微苦笑を浮かべてガラシャの頭を撫でた。





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