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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
5



そして、およそ一刻後。

「…………え?何?新手の嫌がらせ?」

二日連続の宿直のために夕方頃に寝床から起き上がって出仕しようとした孫市が、思わず放った言葉がこれだった。
だがそれも仕方がないことだろう。出仕するにあたって秀吉から宛がわれた邸の軒下に、巨大な鮭が二匹吊り下げられていたのだから。
なんだこれは。否、嫌がらせじゃなかったら何だと言うのだ。ある意味、内裏で起きている事件などより大事件だ。随分と立派だが、まかり間違って親切な差し入れだったとしてこんな量を一人で食えるわけがない。やっぱり嫌がらせだ。そうに決まってる。違ってたまるか。
一応邸の外をぐるりと見まわってみるが、怪しげな人物などはいなかった。
とりあえず一度冷静になれ、と大きく深呼吸した。
誰がどういう意図でやったのかは不明だしわかりたくもないが、気温が下がってきている今ならば一晩くらい放っておいても大丈夫だろうと判断する。そろそろ出なければ交代時間に間に合わない。
最悪、さばいて近所にでも配ろう。
そんなことを考えながら門を潜ると、ばしゃばしゃと派手な水飛沫を撥ね上げながら若い男が駆けてくるのが見えた。傘も持っておらず、衣も被いていない。
顔を上げて孫市の姿を認めると、その顔が安堵に彩られる。

「孫市殿!よかった、行き違いにならなくて…!」

「おう、どうした?」

男は検非違使の若手の一人だった。実家が退治屋だったが自分は妖を退ける術を持たないために憧れを抱いているのだという話をしたことがあったので、孫市もよく覚えている。
全力疾走してきたらしく息を整えていた青年は、切羽詰まった様子で顔を上げた。

「急いで桂川に向かってください。内裏には話が通っていますから!」

孫市の表情から笑みが消える。僅かに瞠目し、息を呑んだ。

「まさか氾濫したのか?状況は?!」

「氾濫には至っていません。ですが、土嚢を積む人手が全く足りなくて…とにかくお急ぎください!」

軽く頷き、すぐに孫市は駆けだす。肩越しに振り返って怒鳴るように叫んだ。

「手が空いてる男共ならいくらでもいるはずだ!片っ端から声かけろ!」

「わかりました!」

力強く頷いて、青年は西洞院大路の方へと姿を消す。
水上交通の要所で土石流でも起きようものなら、都への被害は少しでは済まない。孫市は険しい表情で前に向き直ると、桂川へと急いだ。




****




辺りを警戒しながらも駆けていた政宗は、隣を悠々と歩く巨体をちらりと見やってげんなりとした表情を浮かべた。
雨で弛んだ地面は滑りやすく、ただでさえ整備されていなくて足場が悪い獣道を更に険しい道へと変えてしまっている。泥に足を取られながらではまともに走ることもままならない。そうでなくても、雨で体温が下がって常に体力が減り続ける状況だというのに。走っただけなのに息切れがしそうだ。
そんな政宗の心境を知ってか知らずか、後から追いついてきた慶次は疲れなど微塵も見せずに、上手く滑らない場所を選びながら足を運んで随分と楽に歩いているように見える。何気なくやっているが、実は相当神経を使う所業だ。
慶次のような巨漢が、細かな立ち回りを求められる退治屋など勤まるのだろうかと一瞬でも考えた過去の自分を殴りつけたやりたい気分に駆られた政宗である。経験の差というのは年の差以上にばかにならないと、改めて実感させられた。

「どうだ政宗、何か気配は感じるかい!」

増水した川の音と雨の音にかき消されないよう、半ば叫ぶように慶次が声を上げる。政宗が首を横に振ると、慶次はそうかと頷いて手のひらで顔にまとわりつく水分を忌々しげに払った。

「おぬしは見鬼の才は無いのか?!」

怒っているわけではないのだが、叫ぶと自然と怒声のようになってしまうのは仕方がないことだと思う。
慶次もそれをわかっているのだろう。特に驚いた様子もなく苦笑を浮かべた。

「それなりに力のある奴じゃねえと視えねえ。雑鬼一匹ずつ気配探るなんて繊細な真似はちょっとできないねえ」

つまり、見鬼ではあるがそこまで強い力ではないということである。
だが全く視えないわけではないなら問題ない。おそらくだが、これから遭遇するのはそれなりに力を持った妖だろうと踏んでいる。それを見越して慶次もついてきたのだろうから心配することもないだろうが。
警戒を強める政宗を見やって、慶次は少し悩んでから口を開く。

「式を呼んで探してもらったらどうだい?あいつならそれくらい簡単だろう」

案の定というか、政宗は苦虫を噛み潰したような顔になった。
そんなこと、できればとっくにしている。最初に川獺に襲われた辺りからも何度か呼びかけてみたが、相変わらず彼から応答はない。
見捨てるなら見捨てるで、さっさとそうすればいいものを。何故式となる約束を反故にすることもせず、従い続けながらも応えないのか。それが腹立たしくてならない。
慶次は僅かに拳を握りしめる政宗に気付きながらも、できるだけ淡々とした調子で続けた。

「なぁ、政宗。俺は陰陽師じゃねえし陰陽術も使えねえから、言えた義理じゃねえんだが。会話ってのは、相手の言葉も聞かなきゃ成り立たねえもんだぜ」

「…は?」

思いっきり胡乱げな声を上げる政宗だが、慶次は気づいていない様子を装った。

「相手に話を聞いてもらえないってのは、ちっと寂しいよなあ。……天狗の声を聞く努力、お前さんはしてるのかい?」

予想外の言葉だったのか、政宗は瞠目して口を開閉させた。
天狗の声を、聞く。そういえば自分から声をかけることはしても、相手の応えを聞くために力を注ぐなど、考えもしなかった。
天狗が――山城が、何か声をかけてきていたかもしれないというのだろうか。
だが政宗は首を横に振り、尊大に鼻を鳴らす。

「わかりもせぬのに、余計な口を挟むでないわ」

「……そうかい。そいつはすまないねえ」

気分を害した様子もなく、それ以上慶次は何も言わなかった。
ふと政宗が足を止める。二人の目の前。川の中に段差があるようで、一段と強烈な波が立っている場所があった。
多分、あそこだ。
印を組んで呪を唱え始めると、それを見越していたかのように川獺が数匹飛び出してくる。
陰陽師が一番無防備になる詠唱中を狙ってくるような知恵が、このような妖にあるわけがない。やはり別の妖がいる。
くわりとあぎとを開いた川獺の牙は、政宗に届く前に灰のように消えた。その体は胴で真っ二つになっている。矛を一振りして構え直した慶次が一歩踏み出すと、波の隙間から様子を窺っていた別の川獺が、合図したかのようにまとめて踊りかかってきた。
矛を一閃しようとして振り上げた腕が、不自然に止まる。驚いた拍子に均衡を崩しそうになるが、足も何故か動かない。何事だと見下ろせば、川の水が植物の蔦のように伸びて手足に絡みつき、動きを抑制しているのだった。

「なっ…?!」

振り払おうとしても、相手が水だと思えば咄嗟に対抗策が浮かばない。まずい、と考えるより早く、空いている左腕が眉間を庇った。

「ナウマクサンマンダバザラダン、センダマカロシャダソハタヤウン、タラタカンマン!」

鋭い真言と同時に、ふっと体が軽くなった。勢いのまま横薙ぎに払われた矛が川獺たちを両断し、蛙が潰れたような声を上げて亡骸が地面に零れる。
全身を暖かな霊力に包まれているような感覚。政宗が放った破邪の術が効いているのだろう。これで先ほどのような状態にはならないはずだ。
この機会を逃す手はないと、両手で矛を構えた慶次は絶え間なく襲いかかってくる川獺たちに突進した。
一方の政宗は、慶次が戦いやすい状態を保ちながら注意深く辺りを探っていた。
水の中。いっそう深い滝壺のような場所に、隠しきれずに漏れ出た凄まじい妖気が混じっているのを感じる。あれが川獺を操っているものの正体で間違いないだろう。だが、それが何かはわからなかった。今までには出会ったことのない類の妖気だ。
これだけの妖気の持ち主に正体を現されて襲われると厄介なのだが、水に同化された状況では術も効かないだろう。

「ならば、引きずり出してくれようぞ…!」

濡れて顔に張り付く髪を掻き上げ、印を組んだ政宗が川の中に意識を集中する。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

九字を切った途端、川獺たちの顔色が変わった。川の真ん中あたりで盛大な水飛沫が上がり、轟音と共に水が巻き上げられる。
咄嗟に顔を上げた慶次が護りの姿勢を取ると、澄んだ音を立てて二又矛と別の武器が組み合う。
ぎらりと邪悪に光る刃は、巨大な鎌のようだった。

「チッ」

忌々しげな舌打ちと共に、凄まじい衝撃があって組み合っていた武器が離れる。
膝をつきそうになった慶次の正面に現れたのは、精悍な体つきの長身の男だ。水の中から飛び出してきて今も土砂降りの雨の中にいるというのに、短い銀の髪は全く濡れていない。剥き出しの腕にはところどころに鱗のようなものがついていた。

「……水虎か?本物見るのは初めてだぜ」

慶次の呟きを聞いた政宗は驚いた。水虎といえば大陸の妖異だ。それがなぜこんなところで人間を襲っているのか。

「おい、人間」

低いがよく通る声が発され、男は慶次を睨み付けながら手にしていた巨大な鎌の先端を政宗に向けた。

「俺はてめえに用はねえ。そっちの方士、渡しな」

「方士?」

慶次は怪訝そうな声を上げたが、大陸ではこの国で言う陰陽師や祓い屋など、術を行使するものをそう呼ぶのだ。
男は己の獲物を肩に担ぐと、気怠そうな様子で左手を掲げた。呼応するように、川から渦柱が立ち昇る。

「痛くしねえから、ちょっと来いって!」

「政宗、逃げろ!」

突進してきた男の鎌を受け止め、慶次が叫んだ。同時に川獺たちも襲いかかってきたが、水虎を押し返す勢いを利用してまとめて斬り捨てる。だが、渦柱は真っ直ぐに政宗めがけて伸びて行った。

「砕破!」

素早く描き出された籠目紋が水流を相殺する。
嘆息した水虎は、地面に立つのと変わらない様子で川の水面に着地した。驚きに目を見開く人間二人を見やって肩を竦める。

「ちょっと顔貸すくらいいいだろーが。手間かけさせんなよ」

「そういうわけにもいかないねえ」

じりじりと間合いを測りながら、慶次は政宗を守るようにして立ちはだかる。
周りを取り囲む川獺にも意識を配りながら呪符を構える政宗の耳に囁くような声が届いた。

「……政宗、山城を呼べ。このままじゃまずい」

同時に水虎の足が川面を蹴り、一気に慶次に肉迫する。剣戟の音と共に組み合った妖を、力を込めて押し返した。
その膂力はかなりのものだが、以前対峙した折の幸村の腕力に比べれば数段劣る。あれを受けたことを考えれば少しは耐えられそうだ。
人間の力で弾き返されるとは思っていなかったのか、水虎は驚いた様子で慶次を見やる。憤怒に染まった瞳が邪悪に光った。

「退け、刈られたくなければな!」

激しい剣戟を交わす二人を見やって、政宗は唇を噛み締めた。
心の中で何度呼んでも、式がそれに応える気配はない。

『頼む兼続、返事をしろ…!』

瞑目した政宗の脳裏に、ふと先ほどの慶次の言葉が蘇った。


『天狗の声を聞く努力、お前さんはしてるのかい?』

はっとした政宗は、辺りを見回す。今は水虎も川獺も慶次に気を取られていて、政宗の周囲には何もいない。
今ならば。
印を両手で組み替え、静かに呼吸を整える。

「……ナウマクソロバヤタ、タァギャタヤタニャタ」

少しでもいい。どんな小さな声でも聞き漏らすまいと、ひたすら意識を集中した。
雨音が、どこか遠くで響いているような気がする。

「アンビラジビラジ、マカシャキャラバジリ、サタサタ、サラティ…」


――…、梵……、…!


ああそういえば、あの天狗の声はこんな声だったと頭のどこかで思った。
張りのある、よく通る声だ。聞こうと思わずとも聞き間違えるはずがない。

「サラティタライ、タライビダマニ、サンバジャニタラマ…」


――……、どこだ、政宗!


聞こえた。

「兼続、わしはここぞ!」

虚空に向かって叫ぶと同時に、目の前に銀色の鎌が迫っていることに気付いた。
勝利を確信した水虎と目が合う。その後ろで慶次が叫んでいるが、到底その武器はここまでは届かない。
咄嗟に、政宗は動けなかった。振り下ろされる鎌は嫌にゆっくりと迫ってくるように見えるというのに、金縛りにでもあったかのように硬直してしまっている。
その刃が届く直前、一陣の風が政宗の前に滑り込む。同時に散る黒い羽と、紅い飛沫。
錫杖の遊環の音が涼やかに響かせた音が、いやに遠かった。



 

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あきゅろす。
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