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なんちゃって平安時代の妖怪パロ(※戦ムソ)
1

さぁさぁと、雨が降っている。


さざめきのように広がる音は、まるで。


嗚咽にも似た――……




****



ここのところ、雨が降り止まない。
辟易しながらも眠りについていた狐の耳が、ぴくりとそよいだ。
閉じられていた瞼がゆっくりと開き、怪訝そうな表情で辺りを見回す。くあっと一つ欠伸を零して伸びをすると、ねぐらにしている堂の外へ出た。
昼間だというのに日輪は顔を出しておらず、黄昏時のように薄暗い。近頃ずっとこんな調子だ。
だからといって妖怪たちが昼間に行動する気になるかというとそうでもなく、いつものように昼間は寝て夜になると起きている。染みついた習慣というのは消えないものだ。
体重のないもののように駆けていく先には、小川がある。水音に混じってその畔から響いてくるのは、涼やかな三味線の音色。
音源で薄青の髪がさらりと揺れる。もうすぐ冬だというのに剥き出しの肩は寒々しいが、降り注いでいるはずの雨は彼を避けるかのように弾かれていて、飛沫を纏った姿は仄かに光を帯びているようにも見えた。長い前髪に片方の目は隠されているが、もう片方も今は閉じられているためその色を窺い知ることはできない。
男が腰を下ろしている岩の下に駆け寄った三成は、その姿を見上げると眉間に皺を寄せた。

「この俺の安眠を邪魔するとはいい度胸だな」

不機嫌そうな声音にも、三味線の音は鳴りやまない。瞑目したままの男は構わず弦を弾き鳴らしている。狐の尾が不穏に揺れた。
青い炎に呑まれた獣の姿が、瞬く間にひとのそれになりかわる。尊大に腕を組んだ三成は、不意に体を己のものではない妖気で包まれるのを感じた。眼前の男と同じように、雨が体に触れる直前で弾かれていく。
少しだけ雨に当たってしまった髪を忌々しげに払ってから、再度口を開いた。

「鬱陶しいのだよ。全く耳障りな」

「違うな」

笑みを含んだ声音が発されるが、三味線の音はまだ続いている。僅かに開かれた瞼の奥では、青海の瞳が穏やかな光を湛えていた。

「魂を揺さぶる凄絶なる音色……それがお前の心に届いた。ゆえにお前はここに導かれたのだ」

いささか論点がずれている問答に、三成は深々と溜息をつくと額を押さえた。相変わらずこの男の意図は大変にわかりづらい。

「何用だ、元親」

「妙な結界がなくなったようなので訪ねてみたら、美しい景色に出会った。木々が、川のせせらぎが俺に囁いたのだ。ここで奏でよと」

「後生だから余所でやってくれ……」

あまりに会話がかみ合わないのでちょっと頭痛すらしてきて、肩を落とした三成は先ほど以上に深い溜息を吐き出す。
元親は蛟だ。実に神出鬼没な男で、水さえあればどこにでも姿を現す。齢がいくつになるのかはわからないが三成が物心ついた頃には既に存在していたようなので、千は超えているだろう。この小川を下流から遡ってここへたどり着いたらしい。
元々は土佐の辺りに棲んでいたらしいが、本人はあまり詳しいことは話さないし三成も特に興味はないのでよく知らないのだ。
最初の頃は、あまりの迷惑さに撃退してくれようと勝負を挑んだこともあった。が、五行の土剋水に則れば圧倒的に三成が優位だったはずなのに、水の性である蛟に片手であしらわれたという黒歴史的な思い出があったりもする。
ちなみにそのときは負けたことが理解できなくて混乱していた三成に「俺は全てに抗う。凄絶にな!」という捨て台詞を残して去っていった。それ以来、気に入ったのかはわからないが時々こうして訪れては真昼間から三味線を弾き鳴らすという迷惑極まりない所業を真顔でやってのける。
そもそも、普通の妖は夜が活動時間だというのに何故この男は真昼間からこうも無駄に元気なのか。
半分諦めてはいるが、やはり寝ているところを邪魔されれば腹が立つというものだ。
三成がさて今日はどうやって追い払ってくれようかという実に不穏なことを考えていることなどお構いなしに、元親は顔を上げると口の端に笑みを乗せた。

「して、息災か?三成」

「貴様に安眠を妨害されたこと以外は至って息災だ。だからさっさと帰れ」

「上等。ならば共に奏でよう、凄絶に」

「ひとの話を聞かんか!」

再び三味線を弾き鳴らし始めた元親に、三成の頭上に飛び出した獣の耳が前に倒れてその音色を遮断した。
共に奏でようとか言われても、三成は雅楽に興味などない。ここに兼続でもいれば龍笛なり琵琶なりで相手をさせればいいが、いないものを頼っても仕方がないので今できるのは耐えることだけだ。
少しでも聴く気があったなら元親の三味線の腕に感嘆することもできただろうが、残念ながらそんな心の余裕は持ち合わせていない。

「……この雨は、妙だ」

不意に三味線の音が鳴りやみ、元親の口からぽつりと独り言のような呟きが零れた。曇天の空を見上げて目を細める。
耳を塞いでいた三成も怪訝そうに顔を上げた。

「意にそぐわぬ雨。流れる水音はさながら破滅の歌」

「…何が言いたい?」

蛟は雨を司る水神、もとい竜神に連なる妖だ。雨が降ればその力は増す。この世界に雨をもたらすも旱をもたらすも彼らの心次第。
元親の言葉は抽象的だが、意味のないことは言わない。これは忠告だ。
意味はわからずとも聞き漏らすまいと、三成は耳を欹てる。歌うような調子で元親は続けた。

「天の気が乱れれば大地の気も影響を受けるのがこの世の理。恵みの雨も過ぐれば災厄となろう。三成、お前も気を付けることだ」

何をと問う声が言葉になる前に、元親の姿は雨に紛れ、そのまま飛翔して見えなくなった。同時に三成の全身を包んでいた妖気が消え、冷たい雨が直接衣や肌を叩く。あっという間に体温が奪われていくが、三成は気にせずに元親が去っていった空を見やったまま剣呑に目を眇めた。
言いたいことだけ言ってやりたいことだけやって突然帰っていくのはいつものことなのだが、もう少しなんとかならないものだろうか。せめて伝わる言葉で喋れと言いたいのを何度我慢したことだろう。多分言ったところで治らないだろうとは思うが。

「……そういえば」

ふと三成は目を瞬かせる。
雨が降り始めてから、もう一月になるだろうか。一度も止まない霧雨に、川は氾濫するほどではないにしろいつもよりはかなり水量が多い。雨は雪に変わる気配もないが、日に日に冷たさは増して天照大神の加護を弱めている。陰の気を持つ三成にはある意味都合がいいとも言えるが、陰陽の均衡が崩れるのは精神衛生上あまりよろしくない。
辺りが夜の帳に包まれ始めても、三成はしばらくそこから動かなかった。




****




階に足をかけようとしていた孫市は不意に清涼殿の方角へと視線を巡らせた。
どんよりと曇った空からは冷たい雨が降り注いでいて、風情ある内裏の庭の景色を陰鬱なものに彩ってしまっている。その空の下、陰陽寮の者たちが雨止めの儀式を行っているはずだった。
季節はもうすぐ冬。畑の作物の収穫もほとんど終了した時期のため、雨が降り続いたとしても市井の生活にさほど影響はない。
だが、いくらなんでもひと月も止まない雨は異常だった。
日の光が遮られれば人々の心も曇る。陰鬱な空気が蔓延すればいいことはないとかで、帝から勅命が下ったとのことだ。
孫市は今上の帝はどうにも気に喰わないが、今回の判断には賛成だった。むしろもっと早く命が下ってもよかったと思っている。雨が降ると皆が外出を控え、出たとしても足早に帰路についてしまう。おかげで最近は胸躍る出逢い的なことがちっともない。魅力的なお嬢さん方は雨はお嫌いなようで、足元を汚す前にと話も聞かずに立ち去られたこともしばしばだった。
そんな愚痴を宿直していた仲間たちに零したのはつい昨日のことである。始業の鐘鼓が先ほど鳴ったため、入れ替わりで退出しようとしていたところだ。
やれやれと肩を竦めて視線を前に戻すと、庭を突っ切ってずかずかと歩いてくる人影が見えた。

「お、政宗じゃねえか」

「む……」

よう、と軽く片手を挙げてみせるが、政宗は渋い顔をして僅かに頷いただけでさっさと中へ入ろうとする。孫市は目を瞬かせて肩越しに振り返った。

「なんだよつれねえな。あ、寝坊でもしたか?」

「違うわ馬鹿め!」

八つ当たり気味に吠えられ、思わず片耳を塞ぐ。始業後に遅刻して現れたから、一番原因としてありそうなものを挙げただけなのだが。
さすがに意味もなく怒鳴ってしまったことに気付いたらしく、政宗は一度深呼吸をして肩を落とし、小さな声ですまんと謝った。

「や、別にいいけどよ。どうした?」

首を傾げて問いかけると、政宗はがばっと勢いよく顔を上げて孫市の手を握り、いっそ悲痛な声で訴えた。

「聞いてくれるか!!」

「お、おう?」

曰く。
ここ最近陰陽寮は何かと忙しく、政宗も終業時刻きっかりに退出できる日は少なかった。日の入りが早いこの時期、少し残業をすれば外は真っ暗になってしまうため、ここのところ毎日行灯を持って道を照らしながら帰邸していた。
だが、連日の働きが認められて昨日は早々に退出してよいという許可が出たため、久しぶりにさっさと帰って夕餉を取り、さっさと床に就いた。そして今朝の目覚めは参内する時刻よりもかなり早く、実に爽快だった。
早寝早起きの素晴らしさを噛みしめつつ朝餉を取っていたところで、陰陽寮からの文が届いたのである。
雨が降り続いて今日でひと月になる。さすがに異常事態であるから、雨止めの儀式を執り行うようにと帝から勅命が下ったという旨が書き記されていた。
政宗は、他ならぬ主上からの詔とあればここが力の見せどころと、先日式に下したばかりの妖の力も借りて尽力しようではないかと息巻いた。
のだが。

「あの天狗め、わしの呼びかけにまっっっっっったく応じる気配を見せなんだ……!」

音がしてきそうなほどぎりぎりと奥歯を噛みしめる政宗の眉間に深い皺が刻まれる。
術者と式は、霊力で繋がっている。主の呼びかけはどれほど遠くにいようと必ず式に届くのだ。式に下った経緯がどうあれ、それは変わらない事実である。
そして呼びかけること一刻半。政宗の声は確実に届いているはずなのに綺麗さっぱり無視され倒し、気が付けば始業時刻が間近に迫っていて慌てて邸を飛び出してきたものの間に合わず、陰陽頭に盛大に説教をくらった挙句に儀式の参加はしなくてよいと言い渡されてしまった。踏んだり蹴ったりとはまさにこのこと。
ついでに陰陽寮からここへ来るまでの間も何度か呼びかけているが応答なし。

「意地でも応じぬつもりのようじゃな…!良い度胸ではないか式の分際で!」

「いやそれ、お前が言ってもかっこよくねーから」

呆れた口調で言えばぎろりと睨まれるが、怯んだ様子もなく孫市は肩を竦める。

「なんか理由があんじゃねえの?したくてもできねえとか」

内裏での騒ぎの折、黄泉の瘴穴を塞ぐべく尽力した政宗に、彼のものとは違う霊力が味方していたことは孫市から見ても明らかだった。あの強大な力は、政宗の麾下に下った三大妖の天狗、山城のもので間違いない。
半人前になど従わぬと堂々と言い切った彼が、あの時ばかりは政宗に力を与えた。少しは認めたのかと孫市は思っていたのだが。
顔を上げた政宗は表情に険を乗せる。

「できぬならできぬで応えようというものがあるじゃろうが!式に変事が起きればわしにもそれくらいはわかる!無視はなかろう無視は!」

つまり何でもいいからとにかく返事をしろとそう言いたいらしい。
この調子では式と主との関係がまともに成り立つのは暫く先になりそうだ。喚いている政宗の言葉を聞き流しながら、孫市は雲行きが不安な空を見上げた。まったく、現在の心境を映したかのような空だ。
そこでふと、思い出した様子で孫市が声を上げる。

「そうだ、お前に教えてやろうと思ってたんだ」

「何じゃ?」

孫市は僅かに滲んでいた笑みを消し、表情を真剣なものに変えた。

「また襲われたらしいぜ、陰陽師」



 

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